無意識日記
宇多田光 word:i_
 



例えば『Fantôme』の収録曲その多くはヒカルが母に向けて歌った歌なのは周知の通り。『道』しかり『花束を君に』しかり『真夏の通り雨』しかり。他のアルバムにもまず母に向けたベクトルが主軸になった歌詞は多い。だが、直接歌詞の中に「母」「お母さん」などの単語が出てくるものとなるとぐっと減る。『お母さんみたいに』の『東京Nights』や『Mama don't you worry about me』の『Exodus '04』、『母さんどうして』の『Be My Last』に『お母さんに会いたい』の『嵐の女神』など、かなり厳選されてくる。その中で最も直接的に『ママ!』と呼び掛けるのが『ぼくはくま』なのだ。

今挙げたそれぞれの母にまつわる歌詞をもう一度並べる。

『お母さんみたいに』
『ママ心配しないで』
『母さんどうして』
『お母さんに会いたい』

それぞれ、

・尊敬と羨望の対象として
・育てて貰った大人として
・疑問を呈する相手として
・ただ会いたい相手として

という風に、それぞれに母に対する感情は別々だ。その中でも『嵐の女神』は「会いたい相手」といういちばん明解な描写。うん、確かにこれをコンサートで歌えたら凄いだろうね。『WILD LIFE』では客電撤収ソングとして会場に流されたけれど。

だが『ぼくはくま』はもっと凄い。『ママ!』と呼び掛けるだけである。シンプル・イズ・ベスト。この歌が最も単純に宇多田ヒカルの作詞のモチベーションとモチーフを捉えて表している。母に対してどんな感情をもっているのかとか何を言いたいのか伝えたいのかとかいろいろあるけれど、いやもう基本はこの『ママ!』なのだ。言いたい。呼びたい。それが歌になった。それだけなのである。

『ぼくはくま』って、2006年当時「みんなのうた」で流された事もあり─つまりヒカルの姿なしでテレビから歌が聞こえてきていた事もあり─、「誰が歌っているのかわからない/知らない」ケースも散見されていた。後に「あの童謡を歌っていたのは宇多田ヒカルだったのか!」と知る人続出だった模様。それくらいに普段の歌手・宇多田ヒカルの歌唱や発声の特徴を打ち消した歌い方を披露していた。それもまた技術なのだが、その中で唯一、この『ママ!』の部分だけは如何にも宇多田ヒカルらしいエモーショナルな歌い方を抑えきれなかった。踏み込んで言えば、つまりヒカルの歌い方、エモーショナルで切ない歌唱法は、ママを呼ぶときの気持ちを乗せるためのものなのだ、本来は。これこそが原点、基軸となって、数々の絶品の名唱は生まれている。

結局、『ぼくはくま』を中心にしてヒカルの歌唱と作詞を眺めるととても見通しと見晴らしがよくなるのだ。その意味で、宇多田ヒカルを論じるときに「『ぼくはくま』を除く」のは、ある意味最も馬鹿げている。シンプルかつクリアな答がそこあるのに見過ごしてどないすんねん、と。寧ろここから始めなければ、宇多田ヒカルの姿は見えてこない。

そこんところは、もう一度踏まえておきたかったのでした。


明日は、そのヒカルのアーティストとしての姿を形作った藤圭子さん、宇多田純子さんの73回目の(生まれた当日を入れるなら74回目の)誕生日だ。故人の話となるとどうしても命日がピックアップされがちだが、過去に生きた偉人という観点では誕生日を祝うのもまたひとつ大事な事かもしれない。特に、命日は有名になった後に気にされるものだけど、誕生日は本来近しい人たちと祝うものだからね。ヒカルも、明日については思う事があるかもしれない。ちょうど日本に来ているのなら、息子と一緒に圭子さんゆかりの地のどこかに詣でたりするかもしれないし。仮にそんな事になっているのなら、どうか天候に恵まれますようにと祈らずにはいられない。日本の各地でまだ梅雨(の筈)だというのにこの暑さはちょっとどうかと思いますので、ね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 夏の暑さとア... 噂の緑を観に... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。