無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今週も更新されたSpotifyの【宇多田ヒカル: ArtistCHRONICLE】。第二回は『Addicted To You』から人間活動終了まで。前回が1997年から1999年までの話だったのに対してこちらは1999年末から2016年春までの約16年半。そりゃ駆け足気味にはなってるが、社会現象からやや離れてヒカルの音楽性の変化の話がメインになった分、リスナーとしてはより楽しめる回になったかも。

今回も、いや前回以上に三宅彰プロデューサーと沖田英宣ディレクターがよく喋っててくれててさ。ジャムルイのプロデューサー印税が邦楽仕様(なので米国より低額)だった話はもしや初出では? 少なくとも私は初めて聴いた。ボヘサマがノーギャラ(というかギャラが寿司とゴルフ)だった話も、ここまで具体的なのは初めてじゃない? 尺に囚われないとここまで喋ってくれるのね。それに、前回に引き続きこうやってエピソードをまとめて一箇所で聴けるというのがアーカイブ的に有難い。引用が楽ちんになるよ。それもSpotifyがこのポッドキャスト?を消さないでいてくれればですけれども。Spotify自体が消えないことも必要か。なお、このクロニクル、謳い文句は「トーク+音楽が一緒になった聴くドキュメンタリー」になってますが、要はラジオ番組です。そもそもポッドキャストも、要はラジオ番組ですね。電波がインターネットになっただけで。


さて、正直番組内容全体に関しては好意的な反応しか返せないのだけど、ここは敢えて自分らしく重箱の隅を突かせて貰おうか。『ぼくはくま』の取り扱いだ。まぁ、軽く見られてるよねこの曲。

流石に今のヒカルなら怒らないだろうが、『ぼくはくま』を蔑ろにされた時のヒカルの不機嫌さを知る身としては(昔大阪のラジオ局に出演した時にそんなことがあったのですよ。終始笑ってはいたけどね)、「嗚呼、そんなところで虎の尾を踏み抜きに行かないでくれ。」とビビってしまう。なので自分の気分の為に自分なりに捕捉しておこう。

今回のポッドキャストでは『Flavor Of Life』が大きく取り上げられていた。これは当然の話で、三宅さんも触れてた通り、一時的とはいえ世界No. 1のダウンロード数を記録したのだからね。これだけの特大ヒット曲についてならそりゃ皆言葉にも力が入るというもの。

しかし、アルバム『HEART STATION』を名盤だと褒めそやしその音楽性に迫るのであれば、『ぼくはくま』こそが最重点楽曲となる。それはアルバムでの曲順を見ればわかる。『HEART STATION』アルバムでの『ぼくはくま』は、『Flavor Of Life (Original Version)』をボーナストラックとした場合、ラスト曲『虹色バス』のひとつ前のポジションだ。これはサードアルバム『DEEP RIVER』にとっての『FINAL DISTANCE』、フォースアルバム『ULTRA BLUE』にとっての『Be My Last』の位置である(それぞれ『光』と『Passion』の前)。そして、それぞれの楽曲は各アルバムセッションのスタートとなった楽曲だ。(なお『COLORS』に関しては一旦『Single Collection Vol.1』に収録されている為、ヒカルの「あとから振り返った時にアルバムに全部の曲が入ってて欲しい」という要求に沿った特例的な扱いだとしておく。)

ならば『ぼくはくま』は『FINAL DISTANCE』や『Be My Last』と同じように扱うべきなのだが、今回のパーソナリティお二人のコメントはこんな感じ。

スーさん「11月22日発売17枚目のシングル『ぼくはくま』。これは「みんなのうた」ではありましたが、ちょっとびっくりしましたよね。突然、濃いファンの人たちの間ではお馴染みだった宇多田さんのある種の茶目っ気というか、幼さというか可愛らしさというか、そういったものがポンっとシングルになって世の中に出てきたのがこのタイミングでした。」

如何にも、他の楽曲とは全く違うポジションだと言いたげだ。これは危険な香りがする。宇多田ヒカルに対する数少ないNGワード(landmine と言おうとしたがやめとくぞ)である

「『ぼくはくま』は除く」

が出てこないかとヒヤヒヤした。でも出てこなかった。よかった。

ただ、直接的に無視したわけではないが、心情的にお二人の勘定にこの曲は入ってないんだろうなとわかるのは、次のシングル曲『Flavor Of Life』への論評で、お二人さん、こんな風に語っていたからだ。

まず柴さん。

「今三宅さん沖田さんが仰ってたように、ちょっと重く、ぐっと深い所まで入っていった宇多田さんが逆にひらけたというか、凄く、良い意味でもポピュラーな、軽快で軽くてわかりやすくて、そしてみんなが共感しやすい、そういう扉が開いたのがこの『Flavor Of Life』の頃かなって感じがしてました。」

続いてスーさん。

「あクマで、今振り返っての結果論ですけど、絶妙ですよね。その、まさにDistance、人の耳、心との距離の取り方が。あのまま深淵にどんどん行くのかなと思いきや、突然『Flavor Of Life』が出てくると。」


ふむふむ。言ってる事自体は間違いでもなんでもなく的確なのだ。『ぼくはくま』がなければ、ね。しかし、『HEART STATION』セッションのスタートが『ぼくはくま』だと思っている人は、こんな風には語らない。なぜなら、

「深い所まで入っていった宇多田さんが逆にひらけたというか、凄く、良い意味でもポピュラーな、軽快で軽くてわかりやすくて、そしてみんなが共感しやすい、そういう扉が開いた」

と形容できる楽曲はまぎれもなく『ぼくはくま』だからだ。もう書いてある通りでしょ? 軽快でみんなが共感しやすい曲。『Be My Last』に始まった『ULTRA BLUE』とは全然違いますよと当時真っ先に宣言したのはまず『ぼくはくま』だった。『Flavor Of Life』が登場したのはそのあとだ。

同じようにスーさんの「あのまま深淵にどんどん行くのかなと思いきや、突然『Flavor Of Life』が出てくる」というのも、これは『ぼくはくま』をスルーしているから出てくる言葉だ。『ぼくはくま』のわかりやすさを経ていれば、『Flavor Of Life』のポピュラリティーは自然な流れで出て来ていると感じられ、全く“突然”ではなかった。もっと言っちゃえば、『ぼくはくま』の愛され方で味をしめたヒカルが遠慮なく大衆に阿って愛されにいったとでもいおうか。私が「そこまでする!?」と戸惑った様子が当時のこの日記には記されているが、だからといってそれは突然な出来事ではなかったのだ、『ぼくはくま』が先にあったから。やはり起点は、『ぼくはくま』だったと言える。何より、そこから景色を眺めるのが、いちばん大名盤『HEART STATION』の全貌を理解しやすい。ヒカルが一旦『最高傑作かも』と『ぼくはくま』を評したのは、伊達や酔狂ではないのである。


…という感じにフォローしておけば、ヒカルが怒り出すこともないだろう。いや、今や息子の手前があるのだ、書いた曲を軽んじられたくらいで怒り出すようなことはない(昔もなかった)とは思うけど、なんだかんだでアーティストだからね。そりゃ作り出したアートには誇りってもんがあるよ。そこはしっかり尊重しておくのが適切且つ平和だと、思いますですよ。

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