そんな感じだったので、実は「宇多田ヒカル、クリス"ダディ"デイヴと共演!」というニュースも、驚きはしたけれど、テンションが上がる所までは行かなかった、というのが正直な気持ちでな。いやまぁ勿論レコーディングに突入しているというの自体が嬉しい情報なのでその分のテンションはきっちり上がってるのではあるのですが。
しかし、冷静に捉えてみるとヒカルがクリス・デイヴを選ぶのも自然な流れなのだ。ちょうど先週自分もロバート・グラスパー'ズ・エクスペリメントの「ブラック・レイディオ」をTSUTAYAに行って借りてきたとこでな。ここらへん、カマシ・ワシントンは(彼のソロ名義での)初来日公演にまで赴いたくせに、グラスパーの方は5年も前の作品をレンタルで済ますあたり、i_さんの関心の違いが如実にわかるのだが、兎も角、数年前に世間を騒がせた名作と誉れ高い「ブラック・レイディオ」を聴いてみようと思ったのですよ、この度。
で、聴いてみると、なんともポップでキャッチーなヴォーカル・アルバムでな。こりゃ名盤だ。エクスペリメントだなんていうプロジェクトだからてっきり実験的なサウンドでもやってるのかと思ったが、完全に楽曲勝負・歌重視のアルバムだった。いやはや、いい意味で面食らったよ。
そうなのだ、こういう歌重視のサウンドでのプレイを心得ているから、ヒカルはクリス・デイヴを選んだのだ。クリスは「ブラック・レイディオ」の全12曲でクレジットされているが、歌を食ってしまうようなプレイは(恐らくひとつも)なかった。こんなに心地よくスウィングするビートに乗って歌えば、さぞ心地よかろう。
ロナルド・ブルーナーJr.がそういうプレイを出来ない訳ではない(彼は万能なのだから)だろうが、こういうプレイを所望ならわざわざ彼に頼む事もない、かな。なんか色々先走ってるな俺。まぁいいか。
先走りついでにもっと踏み込んでいこう。「ブラック・レイディオ」は2012年のアルバムだそうだが、そのサウンドは、それこそ例えば『This Is The One』のようなアルバムから、上手く補助線を引ければ到達できた作風に思えるのだ。
『This Is The One』は2009年。「メインストリーム・ポップ」を標榜し、ほんのりソウル/R&B風味を漂わせるポップ・ソングを主体としたアルバムだった。「あの作品がソウル/R&B?」と思われるかもしれないが、当時Utadaをオンエアしたラジオ局は多くがリズミック系だったのだから"リスナーの受け取り方がそうだった"と言うしかない。
その時の"ポップとソウルの匙加減"を手助けしたのが北欧出身のSTARGATEであった。少しアーバン寄りというか、アメリカらしさを出したい曲ではトリッキー・スチュアートを迎えていた。この時点では控えめだったが、もしUtadaが2010年以降も続けてアメリカで活動していたとしたら、2012年頃はどんな活動をしていたのか、どんな音楽形態を標榜していたのか、非常に無駄な妄想が膨らむ。
流石に「ブラック・レイディオ」ほどの大胆なジャズ・テイストにまでは踏み込んでいなかっただろうな、と高を括りかけたのだが、冷静に思い出してみるとヒカルは2010年の時点でシャンソンとジャズをマッシュアップするというもっと過激な事をやっていたのだ。『愛のアンセム』である。
確かに、あの曲は愛の賛歌とスペインという特定の楽曲同士の特殊な組み合わせであって、そこから新しいジャンルが生まれるような類のものではなかった、とはいえる。しかし、そこらへんで"味をしめて"Hikaruが『This Is The One』に続くUtadaの3rdアルバムを、仮に人間活動に入らずに作り始めていたとしたら、組み立ての発想は異なるものの、「ブラック・レイディオ」に近い、ジャズとソウル/R&Bから等距離にあるような独特のサウンドに辿り着いていたのではないか、そんな風に妄想が発展するのだった。
無論、今更そんな事を言っても仕方がない。だが、ヒカルが今そういうサウンドに少しばかり興味があるというのなら、これは追い風順風満帆、そのまま突き進めレッツらゴー、と思ってしまう。こういう高いレベルのミュージシャンたちに刺激を貰えるのは、なんだかんだ言ってやっぱり魅力的な事なのですよ。嗚呼、新曲を聴くのが益々楽しみになってきたぜ。
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