無意識日記
宇多田光 word:i_
 

到来  


こちらは嬉しいから構わないのだが、なぜそんなに『30代はほどほど。』を再配信してくれるのか、そこが謎だ。贖罪というのならDVDにして売ってくれればいいのに。『20代はイケイケ!』はそうしてくれた。1500円で。「いやいや、3曲もライブ・パフォーマンスを観れるのだからもっと高くてもいいのよ?」と随分恐縮した事を思い出す。もしかしてそんなに売れなかったのかな。収益が見込めないなら宣伝媒体として、という事なのか単にひたすら太っ腹なのか。ありがたく頂戴しておこう。

こういう対処が、レコード会社を移籍したあともスムーズに続いている事も、考えてみれば不思議だ。普通、そんな"前の会社での仕事"を引っ張り出してこれるもんなんだろうか。梶さんと沖田さんのみならず、チーム宇多田だった人々(そういや何人居るんだろね。2人きりだったりして。)もまたEPICに移籍したのだろうか。或いはGYAO!主導の企画だからレコード会社移籍は関係ないのか。まぁ再配信なんてファイル置き直すだけだから実践は出来るならすぐなんだけど、いつもの"権利処理"業務の煩雑さとかなかったのかねぇ。

まぁいいか。こうやって再三再四再配信してくれれば、生放送で観れなかったという悔しさも、皆から幾らか薄れていくかもしれない……いやいやいやいや、それじゃいかんのだ。同じ轍を踏んではいけない。二の舞もいけない。しっかり学ばないと。

ある意味、接続不調が問題の在処を曖昧にしてしまった感がある。何度も繰り返して主張してきたように、仮に接続が安定していて皆が全員生配信を享受できていたとしても、このプロジェクトの"筋の悪さ"は消えないのだ。寧ろ、それが伝わりにくくなっている今の事態は、危なっかしい。何度も言っているように、このプロジェクト自体がまずいのだ。やるべきではなかった。それを最初の時点で見極められなくてはならなかったのだ。そこには宇多田ヒカルというクリエーター/シンガーに対するリスペクトが欠けている。そんなまのをファンが喜ぶ筈がない。ファン以外なら面白がるかもしれないけれど。

くどいので今回はここで切り上げるが、この「メイキング・ダイジェスト」に漂う"腐臭"をまた嗅いだ時は、全力で叩き潰すつもりで非難する所存。轟々行くぜ。学ばなくてはならないのだ人は。経験と歴史から。

ヒカルはどう思ってるんだろうねぇ。


翻って楽しい話題に移ろう。先週金曜深夜、「MUSIC HUB」のゲスト回第3回が放送された。実に楽しい放送だった。今週から出ないなんて残念。ヒカル本人は出ないけど「なりくんが語る宇多田ヒカルラジオ収録裏話」とか今週喋ってくれないかな。そうこうしてるうちに聴取が習慣化するリスナーも中には居るかもわからない。利用できるものはどんどん利用しよう。

しかし、3週目。本当にただの雑談でしたね(笑)。でもまぁ、これでいいのである。2週目の「丸の内サディスティック(EXPO Ver.)」がビッグ・サプライズ・プレゼント過ぎたのだ。冗談抜きであれ、普通に配信シングルとしてリリースしとけばゴールド行ったんじゃない? つくづく商売が下手なチームですよ(笑)<冗談だよ

でも、本当のプレゼントはこの砕けた会話ですよ。もうね、お母さんの事があったせいでどうしてもヒカルが喋ると重い話題もついてきちゃってて、だからってそれを"煩わしいと思えない自分"が居て、あぁ、どこかそういう重々しさをヒカルに期待しちゃってるんだなぁファンとして、っていうのがどうにも引け目でね。『桜流し』や『真夏の通り雨』といった重い曲調が『Fantome』において"支配的なポジション"に居たのが大きかったのかな。

こうやってなりくんとの雑談を耳にして、なんだかやっと素直にヒカルに馬鹿な話を期待できる気分になってる。ダヌパの存在がいちばん大きいのだけれど、音楽的にも「ただ馬鹿騒ぎするだけの曲」とかを期待できそうで。有り体に言ってしまえば、モードが『Fantome』から次のアルバムに移りつつある気分を感じるのです。こういう時に言うんだよね―昨日今日と寒かったけれど明日からまた暖かくなります―「春が来ました」って。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『30代はほどほど。』のメイキングダイジェストとやらをGYAO!が配信してくれていたので観てみた。やれやれ。「失敗するプロジェクト」の見本のような雰囲気が流れてくる。こりゃあ、そうなるわな。

幸いに、と言うべきか何なのか、WEBで観てても『30代はほどほど。』を"叩いて"いる人間はほぼ自分以外にはみられない。ならば自分が押し黙ってしまえばもう一生"誰もイヤな思いはしない"んだなぁ、と思うとすぐに筆が鈍る。人生短いんだし。しかし、得られる教訓は得ておきたい、という本音が勝った。相変わらず書く。

先週「けものフレンズ」の第11話のニコニコ生放送でアクセス過多により接続不良が多発するという"事件"が起きた。一般会員のみならずプレミアム会員まで弾かれたというから相当であるが、これを受け公式は即謝罪、翌日に再放送を設定した。まぁなんというか、よくあるとまではいかないが、突発的に人気の出た作品に対して運営システムが追いつかなかったという1例だ。

宇多田ヒカルはちゃうやん。人気あるのわかってるやん。事前登録制にしたやん。なんで接続不調が起きるねんいう話。予測がつかないなら何故試験放送をしなかったのかと、ここでも再三指摘してきた。

「メイキングダイジェスト」をみて、合点がいった。納得はしとらんが。完全に「意識高い系」の空気になっとる。皆クリエイティブに対して凄く意識が高い。本当に皆頑張ったんだろう。努力したんだろう。寝る間も惜しんで働いたのだろう。こうやって皆が皆やる気を出して高い意識が現場を埋め尽くすと、誰も言えなくなるのだ、「このプロジェクトって根本的に間違ってない?」って。

つまり、『30代はほどほど。』が失敗したのは、スタッフの誰かが怠けていたとか手を抜いたとかではなく、真逆で、皆が真剣に取り組んだからこその必然的な結果なのだ。「努力すれば結果はついてくる」。その通り。見事に結実した。ダメなものをちゃんとダメなものとして仕上げたのだから。

誰かが勇気を出して言わなくてはいけなかったのだ。大した額ではないかもしれないが、VRメガネに関しては返金まで行った。普通の商習慣に照らせば"不祥事"と言っていい"被害"が出たのだ。結果論だがそうなる。

しかし、現実に、走り出してしまったプロジェクトを途中で中止させるのは極めて難しい。特に、現場がやる気で漲っていると尚更なのだ。どこか綻びがあればそこを突いて中止に追い込む計画を練る事も出来るかもしれない。しかし、こうも誰もが高い意識でいられると、それこそ、"とてもそんなこと言い出せる雰囲気じゃない"んですよ、えぇ。

そういうプロジェクトの最大級が"太平洋戦争"だというのはよくある比喩なのだが、70年前の話なんて知ったこっちゃないのでその比喩には関わらない。だが、もしそうだったとしても納得できるなぁ、と「メイキングダイジェスト」をみて思ってしまったよ。皆が真面目で働き者であればあるほど、あっという間に全体が落とし穴に向けて突っ込んでいく。「そっち行ったらまずいんじゃないの?」と言えるのは、プロジェクトが提案されて走り出すまでのほんのちょっとの間しかない。そのほんのちょっとを突けなかったのが今回の「敗因」だったのかな、とそう思った。そこで「そうだよねぇ」と言えてれば、何事もなかったのだ。歴史は繰り返す。最初の思い付きがダメかどうかを判断するのは大変難しいが、ここから教訓を学んでおかないと「失敗」した甲斐がない。学び取れる事は学び取っておこうぜ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )