無意識日記
宇多田光 word:i_
 



チャック・ベリーの事を持ち上げまくっているが、60年前、想像するに、R&R(ロックンロール)が勃興した時代は随分と馬鹿にされていたのではないかとな。

R&Rは、ブルーズをベースにしながら全くブルーズらしくない所が特徴だ。同じようなコード進行を持ちながらbluesと言った時の憂いや味わいがまるでなく、まるでお祭りのような音楽になった。古典的なブルーズを信奉する伝統的なミュージシャンたちは、さぞかしR&Rを"破壊的"いや"破戒的"だと感じた事だろう。

もっとも、急に50年代にR&Rが突然変異的に現れたのではなく、30年代40年代に"リズム&ブルーズ"と呼ばれるジャンルが隆盛し、その頃の音楽は既にR&Rと言ってもさしつかえない、アッパーで陽気でエネルギッシュな"ブルーズ"が演奏されるようになっていた。ある意味、50年代のR&Rの大ヒットは、短期間であったが、歴史的必然であったのだ。

この頃"リズム&ブルーズ"と呼ばれていた音楽はその後ゴスペルやジャズといったジャンルとつかずはなれず交わりながら60年代頃には"R&B"と呼ばれるようになっていく。元々"Rhythm & Blues"の略なのだが、最早それは"アール・アンド・ビー"という新しい音楽ジャンルとなっていた。

R&Bは昔のリズム&ブルーズに較べても随分都会的に洗練され、70年代にかけて"ソウル・ミュージック"の中心部を担うようになる。これ以降、ブラック・ミュージック(うわぁ、昭和な響きだぜ(笑))のメインはソウル、そしてヒップホップへと移っていく。アレサ・フランクリンが60年代以降"クイーン・オブ・ソウル"と呼ばれ、90年代にはメアリーJ.ブライジが"クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウル"と呼ばれたのは、それぞれの時代背景があっての事だ。


宇多田ヒカルの元々の歌唱スタイルは、この、R&B/ソウルと呼ばれるものだ。曲作りのスタイルは、対照的に、R&B/ソウルに全く囚われないジャンルレスなものとなっていったが、歌い方の基本は、なんだかんだで"アール・アンド・ビー"のそれである。少なくとも英語の歌は。

ヒカルの声質は、なぜかどこか暗い。その意味で本当に母上様そっくりなのだが、お陰でなのかなんなのか、明るい歌を歌っていてもどこか陰がある。そう考えると『ぼくはくま』の歌い方の明るさは極めてテクニカルだな。『ママ』の一言で総てがバレてしまうのだが。

この『ママ』、いや、母上藤圭子様の歌声はしばしば「bluesy」と形容される。ヒカルがその声質を継承しているとするとその歌声には、R&Rの倍の長さの歴史があるブルーズ(blues)の魂(soul)が宿っているともいえる。ヒカルの歌い方は早熟な83年生まれらしい、90年代初頭に活躍したソウル・シンガーのそれがベースになっている一方、日本語の歌を究めていく過程で母・藤圭子の歌唱が、そうだな、なんて言おうか、そう、"立ちはだかる"ようになった。

藤圭子といえば演歌の歌姫の代表的な存在である。一方、強烈にその"演歌の世界"に対する愛憎がせめぎあっていた。ヒカルが歌を歌うのは嬉しいが演歌を歌うのは嬉しくない、人生が不幸になると説きヒカルを演歌から遠ざけたが、一方のヒカルは母を尊敬するあまりカラオケで「面影平野」を披露するなど母へのリスペクトを隠さない。結局それはまた演歌に接近する事でもある。皮肉だね。


演歌は「日本のブルーズ」とも言われるジャンルだが、歴史はそこまで古くない。現存する歌手のレパートリーがあれば歴代の演歌のヒット曲の7割くらいはカバーできるのではないか。着物等を着て歌うものだから日本の心云々言われるが、その演奏形態をみればわかる通り、サウンド自体は輸入音楽の継ぎ接ぎである。それで何の問題もないのだが、それを"日本の伝統"だなんて言うからおかしくなる。

ヒカルなら、しかし、継ぎ接ぎでなく、日本語そのものに根ざした日本語の歌を作り歌えるようになるかもしれない。一方で、英語の歌においてはしっかりとブルーズの伝統(こちらは正真正銘だ)に則った歌い方ができる。演歌との距離感、ブルーズ/R&B/ソウルの経験。どちらも兼ね備えているとなると美空ひばり以来、それを自作するとなると勿論前代未聞である。


話が長くなっているが、主旨は伝わり始めているだろうか。珍しく、歴史の中での歌手・宇多田ヒカルの立ち位置について語っている。ヒカルなら、「演歌ではない日本のブルーズ」を歌える。それが結論であり、話のスタートだ。ヒカルが人間活動中にどれだけ日本語の歌のルーツを調べられたかが鍵である。熊野まで赴いて何を見聞きし、何を閃いたのか。そこを知る事で次の流れが…見えてくるまではしないまでも、見えてきた時に理解できる下地は育まれよう。

育ってきたヒップホップ/ソウルからR&Bを手繰ってブルーズを引き寄せる。母を通して、演歌を歌いながら日本語でのブルーズに近づいていく。恐らく、多くの人々にとってヒカルの英語の歌と日本語の歌はかなり別々のものだろうが、しっかりと地に足をつけてそれぞれのルーツを辿っていくと、100年以上の歴史の中で最も伝統的で、且つどこでも聴いた事のない異様にオリジナルな歌をヒカルが(今後)歌う必然性がみえてくる。まだまだ朧気だが、母と向き合った『Fantome』はその先駆けである。この意識的なチャレンジはまだ始まったばかり。ヒカルが「私、ママよりいい歌を歌えるようになったよ」とヒカルが言う瞬間は未来永劫訪れないかもしれないが、それ位を目指して欲しいものである。

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よく1日で音楽を聴き過ぎて感覚が麻痺してくる事があるのだが(あるある…なのか?)、そういう時にリセットと称して聴き直すアーティストというのがある。自分にとってはチャック・ベリーがそのうちの一人だ。

麻痺、というと大袈裟なのだが、文章を読み過ぎるとゲシュタルト崩壊というのが起こるが、それがリスニングにも起こると思って貰えれば。「ちょっと何言ってるかわからないんですけど」状態になる。

そんな時でも、チャックを聴いていると途端に楽しくなってくるから困る。リセット力は非常に高い。それ位音楽的な基本がしっかりしている…というか、基本そのもねだからな。ジョン・レノンが「ロックンロールに別名をつけるとすればチャック・ベリーだ」と発言したが、もうそれ位にこのチンピラ親父がギターを弾いて歌えば即ちロックンロールになる。なんかもう凄いを通り越して呆れる。そして笑うしかない。

もしジョン・レノンが生きていたら、どんな小さなクラブだろうが喜んでチャックのLIVEのオープニング・アクトを勤めるだろう。この間も冗談で言っていたのだが、全世界でスタジアムをあっさりソールドアウトにするような、ロックフェスを開催して百のバンドを呼ぶよりそのバンドひとつ呼んだ方が手っ取り早いような、ビッグ中のビッグなバンド、ポール・マッカートニーやザ・ローリング・ストーンズがもし仮に今現役のミュージシャンの前座を務めてもいいと言えるとすれば、もう恐らくこのチャック・ベリーをおいて他に居ないのではないか。歴史的な偉大さでいえばそれくらいにグレイトなのがチャックである。エアロスミスが解散ツアーかと言ってるのなんて彼からしたら孫がダダこねてストリートでのたうちまわっているようなものだろう。

しかし、実際のこのおっさんは、いや俺も実物みた事ないから結局は知らないんだけど、とにかくただの小物、チンピラなのだ。ロックンロールのオリジネーターと呼ばれているが、多分当時は「なんか流行ってる音楽があるから試しにやってみた」程度だったに違いない、と私なんかは思う。それがやってみたらそれこそ天性の感覚がロックンロールにジャスト・フィットしてしまったというか。歴史的経緯なんて吹っ飛ばして、このおっさんの生きてるリズムがロックンロールそのものというか。こんなにも音楽性が一人の人間の「生きる」を体現する事があるのかと。歌も別にうまくはないしパワーもない。ギターなんか添え物だ。昔からちゃんとした演奏はサイド・ギタリスト任せなんだから。なのに、このおっさんが出てこなかったら20世紀後半の音楽市場はまるで違ったものになっていたのだから怖い。売上は大した事ない(全盛期に全米1位をとってない)くせに、その影響力たるや桁外れなのだ。いやはや、偉大なチンピラである。


…あれ?なんでこんな話になったんだっけか…嗚呼、3月1日で色々と状況がリセットされたから、じゃあチャック・ベリーでも聴きますかとなって聴いてみたら相変わらず楽しかったので。他意はない。本当にただそれだけですじゃ(笑)。

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