私が愛聴するバンドに、サンタラという気だるげでブルウジーな曲調を得意とする歌い手がいます。
「バニラ」でスマッシュ・ヒットを飛ばしたとき、私が受けた衝撃は強烈で、きっとわが国を代表する歌い手になると思ったのですが、デビューから10年以上、根強いファンはいますが、なかなか大ヒットには恵まれないようです。
醒めた曲調が好まれないのでしょうか。
しかし、必要以上に暑苦しい歌を歌うよりも、現実を生きる多くの人々は醒めているわけですから、もう少し支持されても良さそうなものです。
サンタラに、「サイモンの季節」という曲があります。
残念ながら、動画サイトを探したのですが、この曲だけアップされたものは見つからず、ライブのダイジェスト動画に、わずかにみられるだけでした。
その中に、ママが話した「The Strawberry Statement」、あたしたちは映画じゃないから、ラストシ-ンやエンドマークもあり得ない、という歌詞があります。
「The Strawberry Statement」とは、わが国では「いちご白書」というタイトルで知られた往年の青春映画です。
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世界中で学生運動の嵐が吹き荒れた狂乱の政治の季節を生きる米国人学生、サイモンが主人公です。
団塊の世代の人々は、なぜか、あの狂気じみた時代を、郷愁とわずかな感傷を込めて語りますが、要するに若さのエネルギーを体制への不平不満にぶつけただけの話で、そこには高度な思想も、改革への意志もなく、ちょうど酒やマリファナでひと時の快楽に耽る若者となんら変わりありません。
それは良いとして、あたし達は映画じゃないから、ラストシーンやエンドマークもあり得ない、という歌詞、これは間違いです。
人は必ず命を失います。
これがエンド・マークでなくて何なのでしょう。
仮に魂が不滅で、死後の世界が存在したとしても、現世での生にエンドマークを打たない人間は、100%存在しません。
そしてまた、死の直前には、ラスト・シーンが必ず存在するはずです。
私が26歳の時、祖母が亡くなりました。
その時はなんとも思いませんでしたが、昨年の3月5日、父が亡くなったのは堪えました。
3月4日に入院先にお見舞いに行った時は、わずかながら意識があり、最後の言葉を聞くことができました。
私にとっては、これが父のラスト・シーン。
そして翌日、父ははかなくなってしまいました。
これがエンド・マーク。
浅草寺病院の個室から見える、雪がちらつく浅草寺の五重塔があまりにも美しく、悲しみと強烈な痛みを伴って、今も鮮やかに思い起こされます。
まさしく映画のラストシーンとエンドマークのようでした。
その後に続いた一連の通夜や葬儀のことは、よく覚えていません。
火葬場で、親戚どもが握り飯を頬ばっている姿を見て気持ち悪くなり、お茶を飲んだら戻してしまったことだけは、よく覚えています。
父の死後一か月で体重が5キロ落ち、一年間で24キロ落ちたことは、このブログでもたびたび紹介してきたところです。
誰もがいつかは死ぬと知っていながら、それが今日や明日のことだとは思わずに呑気に生きているように見えます。
私自身もそうです。
「古今和歌集」にみられる存原業平の辞世、
ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを
は、多くの人の実感に近いのではないでしょうか。
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私もいずれラスト・シーンを迎え、ついにはエンド・マークを降ろさなければならない日がきます。
それは必ずしも近い将来ではないかもしれません。
しかし、それは必ず訪れます。
できれば私は、両親や家族に祝福されて始まったファースト・シーンのようなにぎやかなものでなければ良い、と思います。
死期を悟った象がいつともなく、どこにともなく去って行くように、誰に看取られることもなく、できれば遺体も発見されないまま、もしかしてあの人はどこかで生きているのではないか、という幻想を持たせたまま、どこまでも孤独に、静かに消え去っていけたら、と夢想するのです。
でも現代社会では難しいでしょうねぇ。
体中にチューブを通され、延命治療という名の地獄を通過しなければ消え去ることもできないのだとしたら、医学の進歩とは罪なものです。
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