先ほどテレビ番組で、元気に稼ぐおばあちゃんの特集を放送していました。
その中で、箱根の山にほど近い金時山の頂上で山小屋を経営する80歳のおばあちゃんが登場していました。
なんと、14歳から80歳の現在にいたるまで、年中無休で山小屋を開いているというのです。
山頂は登山口から2時間ほどと、比較的低いものですが、当然電気は通っておらず、夜はろうそくの明かりで過ごすそうです。
住んでいる場所は山小屋の屋根裏。
わずか2時間で登れる山とあって、宿泊施設は無いそうです。
近隣で採れるなめこなどをこれでもかと入れたきのこ汁が名物だとか。
休日には3千人、平日でも千人もの人が山頂の金時茶屋を訪れるそうで、儲かってウハウハでしょうねぇ。
ただ、いくら儲かっても、年中無休では山を下りることもままならず、金を遣う機会とて無いでしょうねぇ。
なんでも元は両親が経営していたところ、14歳の時に父親が他界、病弱だった母親に代わって金時茶屋を守るようになったとか。
66年間、ひたすら山頂で登山者に暖かいきのこ汁を提供し続けてきたのですねぇ。
ちょっと想像しにくい人生です。
その間、テレビも洗濯機も冷蔵庫も無い生活を送ってきたとは驚きです。
病気になっても細くて足場の悪い山道を下りることはできないでしょう。
まして亡くなったりでもしたら、遺体を焼き場に運ぶことも困難でしょう。
その困難を当たり前のこととして引き受け、おのれの運命を甘受して暮らしてきたことは、賞賛に値するものです。
私はと言えば、職場のエレベーター横に貼ってある、3階までは節電と健康のため階段を使いましょう、という紙をせせら笑い、何のための文明の利器じゃ、とばかり、2階に行くにも地下1階に行くにも必ずエレベーターを使う軟弱者で、山登りなんて考えただけで笑ってしまいます。
しかし人は生まれた時代、地域の影響から逃れることはできません。
この惰弱な私ですら、金時山の頂上で生まれ育てば、自ずと違った人生を生きたことでしょう。
近頃、リタイアした団塊の世代を中心に、登山がブームだとか。
2時間で登れる程度の山ならきっと健康維持に役立つでしょう。
山ガールと称する登山好き、もしくは登山者風のファッションを好む若い女性も増えているやに聞き及びます。
それを聞いて思い出すのは、80年代ににわかに現れた陸(おか)サーファー。
都会の真ん中で、使いもしない巨大なサーフボードを持ち歩く愚か者たちです。
あんな大きい物を。
邪魔でしょうに。
私はただ、おのれの楽を求めながら、苦しい人生を歩む人々を眺めて喜ぶほかない愚か者なのです。
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私の職場では、TV会議システムというものを導入し、関係する他機関とTVを使って会議を開催しています。
それとは別に、TV講義システムというものをこのたび概算要求し、それが通ったため、導入することになりました。
そのシステム導入の旗振り役をしてきた機関の情報担当者が今日の午後私の職場を訪れ、仕様の説明、導入する部屋やエレベーターの採寸をし、こちらも様々な要望を行いました。
これが今導入されているTV会議システムより格段に優れている点は、パソコンやタブレットなどを使って、1対1の打合せでも、最大240名までの会議や講義にも使える点と、TVにプラスして電子黒板を導入し、電子黒板に書かれた内容がそのままそれぞれに機関に設置された巨大な電子黒板にも、また、パソコンやタブレットなどの端末にも表示され、逆にパソコンやタブレットにメモしたことをTV講義システムに載せて参加者に見てもらうことも、また、クローズにして自分だけが見られるメモとしても使える点です。
時代は進んでいますねぇ。
うん千万円もかかる調達で、いわゆる政府調達と呼ばれる大型の契約になります。
政府調達とは、かつて世界貿易機関が主催するウルグアイ・ラウンドで主要先進国等が合意した調達方法で、官報に和文と英文の入札公告を掲載し、広く世界の企業の参入を促すもので、公告期間も通常の一般競争入札よりもはるかに長く、参加しようとする企業が仕様に不満がある場合には苦情を申し立てることができ、その場合には苦情処理委員会なるものを立ち上げなければならず、公的機関の契約事務を担当する者にとってはたいへん面倒な手続きが必要で、嫌がられています。
私もかつて、契約事務を担当していた頃、何回か行ったことがありますが、思い出したくも無い瑣末な面倒事に巻き込まれたことを思い出します。
私は今、契約事務を担当していませんので、他人事ではありますが、分厚い仕様書を見ただけで不快な思い出が甦ります。
わが国も多大な恩恵を受けている公正で自由な競争のためとはいえ、面倒な手続きを考え出したものです。
流行作家の林真理子が「野心のすすめ」なるエッセイを発表し、これがたいそう売れているそうです。
読んでいないので何とも言えませんが、タイトルからして読む気が起きません。
アマゾンのレビューを見ると、大分評価が分かれているようです。
野心のすすめ (講談社現代新書) | |
林 真理子 | |
講談社 |
ひどいのになると、著者の単なる自慢話に過ぎない、とこきおろしている者もいれば、感銘を受けた、と感激している者もいます。
賛否両論が分かれるからこそ問題作なのかもしれませんねぇ。
しかし元々のわが国の伝統的価値観から言えば、野心を持つということはあまり褒められたことではありません。
せいぜい明治維新後、クラーク博士が札幌農学校の生徒に「Boys, be ambitious」と発破を掛けたりして、立身出世を良しとする風潮が生まれて後のことと思われます。
また、「少年よ、大志を抱け」と訳されることが一般的ですが、ambitiousという言葉には清廉潔白なイメージはなく、野望とでも訳したほうが原意に近いものと思われます。
わが国では、仏教的価値観から、欲望などの執着を捨て、道を求めることを良しとする風潮が長く続き、今もそれはわが国の人々の精神の奥に脈々と受け継がれています。
中曽根政権下、朝飯のおかずはめざし一匹だったという清貧のイメージがある土光敏夫臨時行政調査会長がもてはやされたことなどに見られますね。
もっとも、土光敏夫はお金持ちだったはずで、単にめざしが好きだっただけではないかと思いますが。
そんな中、「野心のすすめ」とは挑発的なタイトルを付けたものです。
しかもそれで大儲けするのですから、まさしく野心の塊のようなおばさんです。
人間にはもとより強い欲望があります。
性欲・食欲・睡眠欲は人間が生き延びるために是非とも必要な欲望ですが、それ以外にも、出世欲、名誉欲、金銭欲などがあり、これらが社会を構成する重要な要素になっています。
同業他社と熾烈を極めた競争を繰り広げるのは、社会的に生き残るため。
社内で激しい出世争いは地位や名誉や高給を得んがため。
これらの欲望がなくなれば、人間社会は成り立たないこともまた事実。
しかし私は、精神障害を発症してから、そういったことに何の興味もなくなりました。
お釈迦様が規定した4つのの人間本来が持つ苦しみ、すなわち、生・老・病・死の解決には、これらの欲望は役に立たないばかりか、有害でさえあります。
しかし人間というもの、本来的に欲深ですから、なかなか執着を捨てることも道を求めることもできません。
だからこそ、鴨長明は「発心集」を書いて人々に発心の重要性を説いたのでしょう。
方丈記 発心集 歎異抄 現代語訳 | |
三木 紀人 | |
学灯社 |
私は何も発心して出家しようとまでは思いませんが、愚かな欲望からは抜け出し、出来る範囲で道を求めたいと思います。
なかなか困難であろうとは思いますが。