流行作家の林真理子が「野心のすすめ」なるエッセイを発表し、これがたいそう売れているそうです。
読んでいないので何とも言えませんが、タイトルからして読む気が起きません。
アマゾンのレビューを見ると、大分評価が分かれているようです。
野心のすすめ (講談社現代新書) | |
林 真理子 | |
講談社 |
ひどいのになると、著者の単なる自慢話に過ぎない、とこきおろしている者もいれば、感銘を受けた、と感激している者もいます。
賛否両論が分かれるからこそ問題作なのかもしれませんねぇ。
しかし元々のわが国の伝統的価値観から言えば、野心を持つということはあまり褒められたことではありません。
せいぜい明治維新後、クラーク博士が札幌農学校の生徒に「Boys, be ambitious」と発破を掛けたりして、立身出世を良しとする風潮が生まれて後のことと思われます。
また、「少年よ、大志を抱け」と訳されることが一般的ですが、ambitiousという言葉には清廉潔白なイメージはなく、野望とでも訳したほうが原意に近いものと思われます。
わが国では、仏教的価値観から、欲望などの執着を捨て、道を求めることを良しとする風潮が長く続き、今もそれはわが国の人々の精神の奥に脈々と受け継がれています。
中曽根政権下、朝飯のおかずはめざし一匹だったという清貧のイメージがある土光敏夫臨時行政調査会長がもてはやされたことなどに見られますね。
もっとも、土光敏夫はお金持ちだったはずで、単にめざしが好きだっただけではないかと思いますが。
そんな中、「野心のすすめ」とは挑発的なタイトルを付けたものです。
しかもそれで大儲けするのですから、まさしく野心の塊のようなおばさんです。
人間にはもとより強い欲望があります。
性欲・食欲・睡眠欲は人間が生き延びるために是非とも必要な欲望ですが、それ以外にも、出世欲、名誉欲、金銭欲などがあり、これらが社会を構成する重要な要素になっています。
同業他社と熾烈を極めた競争を繰り広げるのは、社会的に生き残るため。
社内で激しい出世争いは地位や名誉や高給を得んがため。
これらの欲望がなくなれば、人間社会は成り立たないこともまた事実。
しかし私は、精神障害を発症してから、そういったことに何の興味もなくなりました。
お釈迦様が規定した4つのの人間本来が持つ苦しみ、すなわち、生・老・病・死の解決には、これらの欲望は役に立たないばかりか、有害でさえあります。
しかし人間というもの、本来的に欲深ですから、なかなか執着を捨てることも道を求めることもできません。
だからこそ、鴨長明は「発心集」を書いて人々に発心の重要性を説いたのでしょう。
方丈記 発心集 歎異抄 現代語訳 | |
三木 紀人 | |
学灯社 |
私は何も発心して出家しようとまでは思いませんが、愚かな欲望からは抜け出し、出来る範囲で道を求めたいと思います。
なかなか困難であろうとは思いますが。