ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

謎のカスパール・ハウザー

2013年05月26日 | 文学

 70年代から80年代にかけて、渋澤龍彦とともにアンダーグランドの文化人として名を馳せた人に、種村季弘という独文学者がいます。

 渋澤龍彦はSMのSのほうの創始者、サド侯爵「悪徳の栄え」などを翻訳紹介したことで有名であり、また、正体不明の作家、沼正三の問題作「家畜人ヤプー」の作者ではないかという疑惑を持たれました。
 この人は生涯在野のフランス文学者兼小説家として過ごし、大学などに宮仕えすることはありませんでした。

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)
渋澤 龍彦
河出書房新社

 

悪徳の栄え〈下〉 (河出文庫)
渋澤 龍彦
河出書房新社

 

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

 

家畜人ヤプー〈第2巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

 

家畜人ヤプー〈第3巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

 

家畜人ヤプー〈第4巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

 

家畜人ヤプー〈第5巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

 

家畜人ヤプー 1 (バーズコミックス)
沼 正三,江川 達也
幻冬舎

 

家畜人ヤプー 2 (バーズコミックス)
沼 正三,江川 達也
幻冬舎

 

家畜人ヤプー(3) (バーズコミックス)
沼 正三,江川 達也
幻冬舎

 

家畜人ヤプー(4) (バーズコミックス)
江川 達也,沼 正三
幻冬舎

 

家畜人ヤプー 5 (バーズコミックス)
沼 正三,江川 達也
幻冬舎

 

家畜人ヤプー 6 (バーズコミックス)
沼 正三,江川 達也
幻冬舎

 

家畜人ヤプー 7 (バーズコミックス)
沼 正三,江川 達也
幻冬舎




家畜人ヤプー 8 (バーズコミックス)
沼 正三,江川 達也
幻冬舎



家畜人ヤプー 9 (バーズコミックス)
沼 正三,江川 達也
幻冬舎


 講演などを引き受けることもなく、人前で話すのが苦手だったと思われます。
 三島由紀夫や唐十郎など、妖しい文化人との交流が深かったことでも有名です。

 一方、Mの創始者、マゾッホ「毛皮を着たヴィーナス」などを翻訳、紹介したことで知られたのが種村季弘です。

毛皮を着たヴィーナス (河出文庫)
種村 季弘
河出書房新社



 この人、私の母校の教授でもあり、講義を聞いたことがあります。
 書くものは面白いのに、下を向いてぼそぼそしゃべり、驚くほどつまらぬ講義でした。
 有名人ということもあって、初日は大講義室に入りきらぬほどの学生が押し寄せていましたが、しだいに学生が減り、年度末には数えるほどしか聴講する者はいませんでした。

 この人が書いた評伝に「謎のカスパール・ハウザー」というエキサイティングな著作があります。

謎のカスパール・ハウザー (河出文庫)
種村 季弘
河出書房新社


 1828年の今日、ドイツ、ニュールンベルクで16歳ほどの少年が保護されました。
 彼はしゃべることができず、言葉を理解することもできませんでした。
 また、よちよち歩きしかできなかった、とも。
 紙とペンを与えると、スパール・ハウザーという名前だけを書いたそうです。
 法学者、医者、神学者などが彼に興味を抱き、教育を重ねた結果、どうにか言葉を理解し、話すことができるようになり、後に語ったところでは、暗い部屋に閉じ込められ木馬の玩具だけを与えられ、孤独に生きてきたそうです。

 カスパール・ハウザーです。

 彼は当初異常に鋭敏な知覚を持っており、暗闇のなかで文字を読んだり、棒にふれるだけでそれが鉄製か真鍮製かを当てたり、何百メートルも離れた蜘蛛の巣に獲物がかかったことが分かったりしたそうです。
 暗闇の中で独り生きていくうちに鋭敏な感覚を身に付けたものと思われます。

 それが証拠に、教育を受け、ふつうの暮らしをするうちに、それらの知覚は失われていったそうです。

 当時のマスコミは彼のことを書き立て、王様のご落胤ではないかとか、ナポレオンの孫ではないかとか、いわゆる貴種流離の物語を作り上げて大衆の関心を引きました。

 しかし、彼が流暢に言葉を操ることができるようになる前に、何者かによって暗殺され、ついに犯人が捕まることはありませんでした。

 この一件によって、ますます彼は貴種流離の悲劇の王子として扱われるようになったのです。
 バーデン大公カールのご落胤という説が有力で、近年、彼の下着から採取した体液をDNA鑑定しましたが、バーデン大公家が一貫して調査を拒否しているため、仮説の域を出ません。
 また、バーデン大公家と近しい者の城から、1928年、偶然隠し部屋が見つかり、部屋の間取りや木馬など、スパール・ハウザーの証言と一致するものが多く発見されたため、この説を裏付けるものと言われています。



 カスパール・ハウザーとバーデン大公カールです。

 いずれにせよ、カスパール・ハウザーは発見から5年ほどで暗殺されてしまったわけで、真相は永遠の闇の中です。

 後に人を過酷な環境において経過を観察することをスパール・ハウザー実験、過酷な監禁生活で成長した者がみせる症状をカスパール・ハウザー症候群と呼ぶようになりました。

 今となっては謎は謎のままそっとしておくほかありませんが、人の世というもの、何でも起こりうると知ると、平凡でつまらぬおのれの境遇が、幸福に思えてくるから不思議です。

 そういう意味では、彼は凡人に幸福をもたらす天使なのかもしれません。


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先輩が女性に

2013年05月26日 | その他

 昨夜、同居人が10年ほど前に某地方公共団体の教育庁に出向していたころの同僚とOB会とかで、独り静かな夜を過ごしました。

 最高ですねぇ。

 同居人と一緒に買い物に行くとなかなか買ってもらえないアワビの刺身を購入しました。
 肝もついていて、これが絶品なのですよ。
 独りの夜は静かにゆっくりと時間が流れ、最高ですねぇ。

 結婚は人生の墓場とはよく言ったものです。

 そこで驚愕の事実を知りました。

 同居人の先輩だった男性が、女性になっていたということ。
 もともとどこかなよなよした感じで、女性っぽかったということですが、妻も子もあったということで、まさか女性になっていようとは思わなかったそうです。

 性同一性障害だったんでしょうかねぇ。

 娘が大学に入ったことが決意を後押ししたようで、娘も分別がつき、父親の性癖を理解できる年になったからだとか。

 男性の性同一性障害の場合、通常、性欲の対象は男性であるはずですが、妻があるということは、両刀だったのでしょうか、あるいは世を忍ぶためぐっと堪えて女性と結婚したのでしょうか。
 そこらへんはなかなか聞くこともできず、分からず仕舞いです。

 単なる女装癖というのでは性同一性障害とは言えず、趣味の範囲にとどまります。

 それにしても、これまで男として生きてきたそのしんどさを思うと、胸が痛みます。
 多くの女性としてしか生きられない男性、いわゆるオカマは、水商売などで生計を立てるイメージがあります。
 それがおのれの性を活かし、生きやすい職業だからだろうと推測します。
 しかしオカマといえど、通常の事務職や営業職でしか働けない人も多数いるものと推測します。
 そういう人は、おのれの本性を隠し、男のふりをして生きなければなりません。

 それがどれほど辛いかは、私たち普通の男が、女として生きなければならない社会を思い浮かべれば、容易に想像がつくでしょう。

 彼から彼女になった先輩には、今までの恨みを晴らすべく、堂々と女性として生きてほしいと思います。

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2週間ぶりの診察

2013年05月25日 | 精神障害

 このところ精神科の診察は3週間に一度でしたが、前回薬を減らしたことから、今日は2週間ぶりの診察となりました。

 結果として、薬を減らしたとはいうものの、特段精神症状に変化はなく、相変わらず、自覚的には精神症状を感じていないことを訴えました。
 精神科医は、それをひとまず褒めながらも、減薬は今後もゆっくりと行う方針を変えず、とりあえず今の薬のまま、診察はこれでまどおり三週間に一度ということになりました。

 私としては、抗うつ薬はもう必要ないのではないかと思っています。
 抗躁剤は生涯飲み続けなければならないのは分かりますし、頓服の抗不安薬は常に持ち歩いていないと不安なので、それは構いませんが、抗躁剤を飲みながら抗うつ薬も飲み続けるのは奇妙な感じがします。

 抗うつ薬は精神の落ち込みを抑える薬。
 抗躁剤は精神の高揚を抑える薬。

 これを両方飲み続けるのは、なんだか奇妙です。

 精神科医は、抗うつ薬には心を落ち着ける作用があるので、有効な処方であると言います。
 私は医師の言いつけ通り、きちんと薬を飲んでいますが、納得づくというわけではありません。

 それにしても精神病というもの、厄介なものです。

 私は、今振り返ってみて、うつが激しい時も、躁が激しい時も、よく覚えていません。
 だからこそ病気なのかもしれませんが。

 ここ三年以上、私はへヴィな仕事を引き受け、それによって精神がやられたということはありません。

 しかし、職場の人々から見れば、私は相も変わらず爆弾を抱えた変なやつでしかありえません。
 それは一種の差別ですが、私自身が精神病差別にさらされ続けて思うのは、この世から差別が無くなるということは未来永劫あり得ないということ。

 私のような精神病差別に限らず、男女差別、民族差別、宗教差別また、性的嗜好による差別。

 人というのは本来的に多様なもので、自分もしくは多数者に理解できないものを差別するということは、そっくりそのまま自分に帰ってきます。
 つまり、マジョリティがマイノリティを差別するのと同様、マイノリティはマジョリティを理解できず、結果としてマイノリティによるマジョリティ差別が起こるということです。

 それはひとえに、自分を中心に考えることから起きること。

 私はかねてから、人間はすべからず傲慢なほどの自信を持って、誇り高く生きることを称揚してきました。

 それは、何も自分大事で生きよということではなく、おのれ独り大事にできす、おのれの生き方に誇りを持てないような者に、多様な他人を認めることなどできようはずもないと思うからです。

 おのれがこの世で最も大切な存在だと認識できれば、他人もまた、それぞれに大切な人間だということを知り、おのれの価値観とは相容れぬ他人を尊重することができると思うのです。

 したがって人間は、すべからく大傲慢で生きるべきです。
 大傲慢と大傲慢が社会を形成したとき、初めてくだらぬ差別は失せ、大傲慢同士が互いを認め合う社会が生まれると思うのです。

 だから私は、自己卑下する人が嫌いです。
 この世でたった独りのおのれ一人を尊重できなくて、どうして他人を尊重することができるでしょう?

 私は常に、大傲慢で生き続けたいと思っているのです。

 そんなことを夢想しながら、それでもやっぱり差別は半永久的に続くだろうと思っています。

 人はどういうわけか、あいつとこいつを分けて、あいつは良くてこいつは悪いと思い込む、悪い趣味を根源的に持っているようです。

 それは悲しいことですが、人間社会の冷厳な事実。

 人の内心を支配することはできませんから、せめては建前だけは、差別は許されないのだとしか言えない空気というか、社会を作るべきでしょう。

 この世で最も大切なのは、本音ではなく、建前なのですから。

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クロユリ団地

2013年05月25日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は映画館に足を運びました。

 「リング」で世界を恐怖に陥れ、Jホラーに新しい歴史を刻んだ名匠、中田秀夫監督の最新作「クロユリ団地」を観るためです。

 先ごろAKB48を卒業して新境地を目指す前田敦子が複雑な役柄を演じて秀逸です。

 古い団地、クロユリ団地に引っ越してきた両親と長女、弟の4人家族。
 前田敦子は長女を演じ、クロユリ団地から程近い介護の専門学校に通っています。
 引越し当日、隣の独居老人へ挨拶しに行きますが、どうも様子が変です。
 翌朝から、隣家の奇妙な物音に悩まされることになります。

 ある時、長女は団地の砂場で一人で遊ぶ幼い男の子と友達になります。
 そして隣家の独居老人は、孤独死していたことが判明。
 長女は独居老人の霊に苦しめられていると信じ込みます。

 独居老人宅の片付けに着た遺品整理会社の青年と知り合った長女は、その青年の知り合いの霊能者によって、怖ろしい真実を突きつけられます。 

 

 
 前田敦子がだんだんおかしくなっていき、生気を失い、廃人のようになっていく姿は見事でしたが、どうしてもAKB48のセンターというイメージがつきまとい、感情移入しにくい感じがしました。

 彼女はこれから長いこと、AKB48のセンターだったという過去に苦しめられることでしょう。
 もっとも、そうであったからこそ、メジャーな映画の主役に抜擢されたことも事実ですが。

 この映画は、基本的に日本の怪談話の伝統を背負っているように見受けられます。
 死霊に魅入られた者が衰えていく、というパターンですね。
 違うのは、死霊が物理的な力を行使すること。
 「四谷怪談」にしても「牡丹燈籠」にしても、死霊はただ出てきて脅かすだけで、物理的な力は行使できず、それを見た者が勝手に気が触れたりなんかして、破滅していきますから。

 「リング」ほどの高い完成度は期待できませんが、それでも並みのホラー映画とは異なり、格調高く、人間心理を巧みに描き、この世の者とこの世ならぬ者との交流を描いて見事です。

 この世ならぬ者が知らぬ者で、おのれに災いをなすと知れば、それはオカルト映画に見られる悪魔と変わるところがありません。
 また、この世ならぬ者が親しい者で、自分を守ってくれるのであれば、安っぽいお涙頂戴になってしまいます。

 この世ならぬ者が自分に近しい者で、しかも災いをなすとなったら、これほど怖ろしい状況はありますまい。

 結局この世とあの世は交わらぬほうが良く、不幸にして接点を開く扉を開けてしまったならば、早々に閉じるほかありますまい。

 まずまずの出来と観えました。

クロユリ団地 (角川ホラー文庫)
加藤 淳也,堀江 純子,三宅 隆太
角川書店



クロユリ団地 ‐Comic‐ (怪COMIC)
桜 水樹
角川書店

 

リング (Blu-ray)
松嶋菜々子,真田広之,中谷美紀,竹内結子,佐藤仁美
ポニーキャニオン

 

リング [DVD]
鈴木光司,高橋洋
角川映画

 

怪談牡丹灯篭 怪談乳房榎 (ちくま文庫)
三遊亭 円朝
筑摩書房



東海道四谷怪談 (岩波文庫 黄 213-1)
鶴屋 南北,河竹 繁俊
岩波書店




四谷怪談 (まんがで読破)
バラエティアートワークス
イースト・プレス

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80歳のエベレスト登頂

2013年05月25日 | 社会・政治

 冒険家で知られる三浦雄一郎が80歳にしてエベレスト登頂を成し遂げましたね。
 見事という他ありません。
 知りませんでしたが、この人、某高校の校長を勤めているとかで、生徒たちも抱き合って喜んでいました。
 青少年が野望を抱くのは結構なことです。

 私はなにしろ上り坂を登ること、走ること、待つことが大嫌いなため、山登りなど考えただけで笑う他なく、現に山登りをしたことがありません。

 強いて言えば、山頂近くまで車で登れる鋸山と、やはり山頂近くまでロープウェイが通じている高尾山に行ったことがあるくらいですかねぇ。

 とても登山とはいえません。

 あ、それと、山形の山寺に詣でたことがありましたが、急な階談を無理して登ったため、足を痛めてしまいました。
 人間無理はいけません。

 そういう私には、80歳という老境に達して、世界最高峰で酸素が平地の三分の一しかないというエベレストに登るなど、正気の沙汰とは思えません。

 彼の生徒たちは、努力すれば夢はかなう、という誤ったメッセージを受け取り、多くが人生を誤ることでしょう。

 生きるということは、つまらぬ平凡な日常の繰り返し。
 その繰り返しに耐えることこそ、飯の種を得る手段と言えるでしょう。
 多くの人々がそれに耐えることによって社会は成り立っています。

 夢や野望をたきつけることは、無限の可能性を秘めた青少年には有効かもしれませんが、いつか、それは夢幻であったと知り、絶望しながらも日々を誠実に生きるほか、生きようが無いことに気付くでしょう。

 それにしても冒険家と言われる人々、頭のネジが一本抜けているような気がします。
 本来人間は、危険には近づかないようにできているはず。
 そうでなければ、どいつもこいつもあたら命を落とすようなことを繰り返し、人間は絶滅するでしょう。

 しかし世の中にはごくわずかではありますが、天才とでも言う他ない人がいて、そういう人だけが、夢や野望を達成でき、しかも人というものはおのれの狭い経験でしか物を語れないようにできているため、自分が出来たんだから誰でもできると勘違いして、他人をたきつけるようなことを平気で口にするのでしょうねぇ。

 迷惑な連中です。

 よく小中学校の図書室などに、「偉人伝」みたいなものが置かれています。
 しかし私は、凡人だが、誠実に、地道に人生を全うした「凡人伝」をこそ、読ませたいと思います。
 「偉人伝」を読んで感化され、自分も偉人になってやる、という誤った考えを改め、凡人でも誇り高く、立派に生きれば良いのだと、思ってほしいのです。

 もっとも、私がそう思うのはおのれが凡人ゆえ。
 結局私も私独りの狭い了見からは抜け出せないようです。

 それはそれとして、偉人たる三浦雄一郎の偉業を賞賛したいと思います。

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失顔症

2013年05月24日 | その他

 米国の人気映画俳優、ブラッド・ピットが、自らが失顔症であると告白して話題になっています。
 時あたかも婚約者である人気女優、アンジェリーナ・ジョリーががん予防のために乳房を切除したタイミング。
 ブラッド・ピットはこの症状のために多くの知り合いや映画関係者に失礼をはたらいたと告白しています。

 失顔症とは、相貌失認とも呼ばれ、平たく言えば人の顔が覚えられない病気。

 これ、社会生活を送るうえでは、結構致命的なんじゃないかと思います。

 サラリーマンでも俳優でも、よく知っている相手にいちいち「あなたはどなたでしょうか」と問うていたら、不興を買うことは必定。

 それならいっそ、自分はそういう病気ですと、カミングアウトしてしまったほうが、楽に生きられるでしょう。

 脳の一部が働いていないとか、医者は様々な仮説を立てているようですが、実際のところよく分かっていないようです。

 これ、古代ローマ時代から記録されている古い病気のようです。

 世にはあまたの病気があり、それぞれに苦しいものですが、有意な治療法が確立されていない病気ほど苦しいものはありますまい。

 それに比して、私が抱える双極性障害は、躁を抑える薬もうつを抑える薬もあり、患者数も多いことから、まだ治癒する可能性があります。
 現に私は、服薬治療を続けているおかげか、ここ4年ばかり、精神症状を自覚していません。
 全くの健康体だと思っています。

 今日、帰りに内科医のところに行き、2週間前の血液検査の結果を示されました。
 数値が高いと赤で、低いと青で表示されるのですが、わずか3年前はメタボリック症候群で真っ赤っかだったのが、今はほとんど黒(正常値)で、わずかに青がある状態になりました。

 痩せるということは、体に劇的な変化をもたらすものだと痛感します。

 青は、運動不足を示す数値。
 他に青がでたのは血糖値ですかねぇ。

 わずか四年前には糖尿病一歩手前までいき、そろそろ糖尿病の薬を飲まなければいけないかというところまで数値が出ていたのですが、今では糖分が足りないというところまできてしまいました。
 肝臓の数値も酒の飲み過ぎか、赤だったのですが、今は黒になりました。
 酒は減らしていないのですが、不思議です。
 きっと過剰な体脂肪が肝臓にも悪影響を及ぼしていたものと想像します。

 正直、中年太りは如何ともなしがたく、半ば諦めていたのですが、一年ちょっとで24キロ落ちるという驚異的な体重減少で、少なくとも検査の結果は健康そのものということになりました。

 しかし私は、そのことを素直に喜ぶ気にはなれません。

 何しろ体重激減の直接の理由は父親の死による食欲減退。
 精神的には立ち直っているつもりでも、胃袋だけは、父の死の悲しみから抜け出せないでいるようです。

 私はただ、今食えるものを積極的に食う以外に方法は無いと思っています。
 無理に食えば消化しきれずに戻してしまいますから。

 それにしても、失顔症と言い、食欲減退と言い、人間というものよほど厄介にできているようです。
 内科医は血液検査の結果を見て褒めてくれますが、真の健康は、じつは血液検査など関係ないような気がします。

 そう遠からず命を落とす身であれば、健康バカみたいになったりせず、日ごろの人生を楽しみたいと思わずにはいられません。


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暗い日曜日

2013年05月24日 | 文学

 北原白秋は短い間でしたが、私のふるさと、江戸川区に住んでいたことがあります。
 23区とはいえ東のはずれで、当時はずいぶん鄙びた感じだったようです。

 夏浅み 朝草刈りの童らが 素足にからむ 犬胡麻の花

 北原白秋が江戸川区在住の頃詠んだと伝えられる和歌です。
 歌の内容からも、当時の江戸川区が牧歌的な雰囲気を持った田舎であったことが知れます。

 西欧の文学にかぶれていたこともある北原白秋ですが、こんな牧歌的な、ノスタルジックな和歌を詠んでいたのですねぇ。

 ちょっとびっくり。

 江戸川区では、都内で唯一の手作りの風鈴を作っていたり、金魚が盛んだったり、奇妙なものが有名ですね。
 しかし私は江戸川区に住んで都心の学校に通っている頃、江戸川区はとてつもなく都心から遠いド田舎で、なんでこんなところに住まなければいけないのだと嘆いていました。

 で、周辺区から都心に通うしんどさに嫌気がさして、千葉に就職して東京から遁走しいたというわけです。
 千葉市中心部から電車で二駅目に住んでいるせいか、住まい周辺は今の所のほうが都会的で利便性も高く、しかも人は少ないという、私にとって理想的な環境です。

 しかし私にとって最も印象深い北原白秋の歌は、

 草わかば 色鉛筆の赤き粉の ちるがいとしく 寝て削るなり

 ですかねぇ。

 この歌に触発されて、中学生の初夏、江戸川土手に寝転んで色鉛筆を削ってみたことがあります。
 しかし、和歌で読むと詩情あふれる状況ですが、やってみると怖ろしく退屈なのですよねぇ。
 それ以来、文学作品はあくまでも作り物として鑑賞するのが良く、その光景を真似したところで白けるだけだと思い知りました。

 何事も影響されやすい人がおり、曽根崎心中が流行った江戸時代、心中する男女が後を絶たなかったとか。

 今も著名人が自殺するとそれと同じ方法で後追い自殺する人が現れますね。
 色鉛筆を削るくらい他愛ないことですが、生き死にが関わるとは穏やかではありません。

 1933年、ハンガリーで、「暗い日曜日」という歌が発表されるや、この歌を聞いた多くの者が自殺するという事件が起きました。

暗い日曜日 ― オリジナル・サウンドトラック
ワーナーミュージック・ジャパン
ワーナーミュージック・ジャパン

 英国BBCでは放送禁止になったそうです。
 欧米では、今も自殺の聖歌などと呼ばれいるようです。

 怖ろしや。

 わが国でも、淡谷のり子をはじめとして、多くの歌手がこの歌の日本語訳を歌っています。

 まぁ、都市伝説のような気もしますが。

 いずれにしろ、芸術作品や流行歌などに影響されない、強い精神力が求められます。

北原白秋歌集 (岩波文庫)
高野 公彦
岩波書店


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株価暴落

2013年05月24日 | 社会・政治

 昨日、株価が暴落したそうですね。

 アベノミクスの効果で、株価が急上昇を続け、このままでは小型バブルが起きるのではと懸念していましたが、そううなくはいかないようです。

 直接のきっかけは、バーナンキ米FRB議長が、量的緩和の縮小に言及したことだと言われています。

 株というもの、怖ろしいですねぇ。

 政府高官のちょっとした発言で乱高下するのですから。
 だから私は株に手を出しませんし、今後とも出すつもりはありません。

 アベノミクスと浮かれていられるほど、社会情勢は甘くないということでしょうか。


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恋文の日

2013年05月23日 | お笑い

 なんでも今日は恋文の日なんだそうで。

 やや無理目ではありますが、5月23日で恋文と読むそうです。
 某映画会社が定めたとか。

 かつて、恋文は恋情を伝える重要な手段でした。
 しかし今、電子メールでのやりとりが一般化し、手で紙に文字を書いてそれを郵送するなどという悠長な手段を採る者は壊滅しました。

 郵便は、もっぱら印をついた原本が必要な時や、内容証明、配達証明など、争い事の際に証拠となるようにわざわざ使う面倒なものに成り下がってしまいました。

 確かに今、まず手紙を書くということはありませんねぇ。
 電子メールのほうが早くて便利だし、ファイルを添付することによって大量のデータを瞬時に送れますから。

 しかし、これらによって現代人が苦しめられているのも事実。
 毎日職場のアドレスには何十通というメールが届き、しかもそのうち半数以上は、参考程度にCCで送られてくるものです。
 そうは言っても一つ一つチェックしなければそれがどうでも良いものか重要なものか分からず、職場ではメール恐怖とでも言うべき者が続出しています。

 それに比べて、手書きの恋文というのはずいぶん優雅で趣深いものです。

 相手のことを考えながら、ゆっくりと、書き連ねていくわけですから。

 思い起こしてみると、私は恋文なるものを贈ったことも貰ったこともありません。
 多分私の世代くらいを境に、恋文というものは廃れたのではないかと想像します。

 かつて渋谷に恋文横丁なる小汚い飲み屋街があり、学生の頃、時折訪れました。
 恋文を代筆する者がそこにいたからそう名付けられたと聞いたことがありますが、ことの真偽は定かではありません。

 今となっては誰も恋うることなどありませんが、生涯に一度くらい、下手な手書きで恋文を書いてみたいものです。
 下手な和歌なんか添えちゃったりして。

 でも、貰うのは嫌ですねぇ。

 堂々たる中年オヤジの私に恋文を寄越すなど、どうせ碌な女ではありますまい。
 
 近頃とみに、女性特有の、思い込みの激しい強い恋情に嫌悪を感じるようになりました。
 私も30歳くらいまではそこそこ女性にもてたりして、それを良いことに悪行におよんだことも数知れませんが、今となっては、最も怖ろしいのは女性の強い情です。

 幸いなことに、同居人はあっさりしていますが、それでも、時折くだらぬことをぬかして私を困らせます。

 すなわち、自分はいつも君を見つめているのに、君は自分をちっとも見ようとしないだとか、早寝しようと布団にもぐりこんだ私に覆いかぶさって、自分が先に死んだらずうっとこうやって君に覆いかぶさってやるだとか。

 困っちゃいますねぇ。

 かつては惚れあって一緒になったとはいえ、もう15年も経つのですから。

 古女房の顔など長時間見ていられるはずがないというものです。

 かつて、ドイツの文豪ゲーテは、80歳を過ぎて16歳の少女に恋をし、熱烈な恋文を贈ったと伝えられます。

 ことほど左様に恋情というものは人間性を狂わせる怖ろしいものです。

 私がそんな恋情に駆られることが今後起ころうとは考えにくいですが、恋を忘れて久しいこの身に、淡い恋心が芽生えたとしたら、それはそれで楽しいのではないかと想像して、独り悦に入っているのです。

 そんな僥倖に見舞われたのなら、一世一代の手書きの恋文でも書いてみましょうか。

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原爆投下は神の罰?

2013年05月23日 | 社会・政治

 韓国の大手新聞、中央日報が、原爆投下は神の罰、と書いて、韓国の反日的言動には慣れっこで、ほとんど黙殺しているわが国政府も、わが国のマスコミも、さすがに許せないとばかり、激しく反発しているようです。

 菅官房長官は「記事の表現は誠に不見識だ。わが国は唯一の被爆国なので、こうした認識は断じて許すことはできない」と批判。
 同時に、21日にソウルの日本大使館から中央日報に抗議したそうです。

 さらに原爆投下を、日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐、とまで書いているそうです。

 空いた口がふさがらないとはこのことです。

 わが国ではかつて、敵味方供養と称して、戦が終われば敵兵も含めて供養するのが当たり前で、あの苛烈を極めた元寇においてさえ、戦が終わった後は憎いはずのモンゴルの犠牲者もわが国の武士と一緒に供養したというのに。


 第二次世界大戦は、世界の主要軍事大国が最初にして今のところ最後の、いわゆる総力戦です。

 総力戦とは、戦場で戦う兵隊のみならず、本国に住まう国民も、空襲の恐怖に怯え、かつあらゆる方法で勝利のために国家国民が総動員される体制のことと言ってよいでしょう。
 そのような状況のなか、何が何でも勝利をおさめるために連合国も枢軸国も手段を選ばぬ大量破壊、大量殺戮を行いました。
 その文脈でとらえれば、わが国は米国による原爆投下を単純に非難することはできません。

 しかし、少なくとも第三国が、原爆投下は神の罰だなどと、よく恥ずかしげもなく言えたものです。
 しかも彼の国のオピニオンリーダーとも言える大手新聞が、本気でそんなこと考えているのでしょうか。

 かつて、石原莞爾世界最終戦争論を唱えて満州事変を引き起こし、わが国を泥沼の激戦に導くきっかけを作りました。

 彼曰く、世界最終戦争論とは、東洋の代表たる大日本帝国と、西洋の代表たる米国とが生き残りを賭けた総力戦を戦い、わが国が勝利し、東洋的理念に基づいた世界秩序のもと、恒久平和が保たれる、という、何ともロマンティックな考えです。

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)
石原 莞爾
中央公論新社

 

マンガ最終戦争論 (PHPコミックス)
江川 達也
PHP研究所

 彼は時の首相、東条英機にうとまれ、あらゆる役職を解任されて隠居生活に入ります。
 しかし戦局の悪化のため、やむを得ず東条英機は石原に意見を求めます。

 すると石原は、戦線の拡大は必ず補給路を断たれるから、太平洋においては本土空襲の基地となる距離のサイパン死守に徹し、広げ過ぎた戦線から撤退するよう求め、東条英機はせっかく分捕った島を棄てられるかと激怒し、結局石原の考えが入れられることはありませんでした。

 歴史にifは禁物ですが、サイパン死守に徹し、太平洋各地に散らばった日本軍をサイパンに集中的に投入すれば、後の本土空襲による悲劇を避けられたかもしれません。

 結果的に、勝者は米国でしたが、日米ガチンコ対決の後、少なくとも大国同士のガチンコ対決は70年ちかく起きておらず、米国の価値観に支配された世界で、長いこと大きな戦争は起きていません。

 世界最終戦争論という荒唐無稽に見える思想も、あながち間違いだったとは言えますまい。
 日本国憲法が公布された際、石原は「数年を経ずして必ず米国はソ連に対抗するために日本に再軍備を求めてくる。しかし、この憲法を盾に絶対に応じてはならない。米国の属国になるわけにはいかない」と、これまた未来を予想して見事的中させています。

 端倪すべからざる人物です。

 それに比べて韓国の大手新聞というのは、ずいぶん情緒的というか、短絡的というか、子供っぽいというか、わが国の悪口を書いていさえすれば新聞は売れると思っているのでしょうか。

 私の職場に、五年間ソウルに留学し、韓国人女性と結婚した者と、学生時代1年間ソウルに留学した者がいます。
 彼らが言うには、韓国マスコミと一般の韓国人の意識は乖離しており、マスコミが反日宣伝に精を出しているのに比べて、一般の韓国人はほとんど反日的な意識は無いそうです。
 むしろ非常に親切で、暑苦しいくらいの友情を向けてくるとか。
 ただし、街頭インタビューなどでマイクを向けられると、判で押したように反日的なことを言うそうです。
 それがかの国の建前なのでしょうねぇ。

 ソウルの二度泣きという言葉もあるとか。

 日本からソウルへ転勤を命じられて、行きたくないと言って泣き、ソウルから日本へ帰国するよう辞令がでて、帰りたくないと言って泣くからだそうです。
 日本人にとってはソウルは居心地が良いらしいですねぇ。

 国民の意識と乖離した新聞や政府は、長くはもたないんじゃないでしょうか。


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祝 ワーグナー生誕200年

2013年05月23日 | その他

 昨日はリヒャルト・ワーグナーの生誕200年記念日だったそうで、ドイツ国民はこぞってこれをお祝いしたようです。

    ワーグナーです。


 ワーグナーの交響曲は、激しい高揚をたらす麻薬のような所があり、ナチス・ドイツは第二次大戦中、ワーグナーの交響曲を盛んに宣伝に使い、また、ワーグナー自身が反ユダヤ主義者だったと伝えられることから、生誕200年のお祭りにも関わらず、ワーグナーの思想的偏向を責める向きもあるようです。

 無粋ですねぇ。

 芸術家なんていうものは、およそおかしな思想をもつもので、それをもって芸術作品の価値が下がるものではありますまい。

 バヴァリアの狂王と呼ばれたルートヴィッヒワーグナーの音楽を愛好し、彼と親交が深かったそうです。
 ルートヴィッヒはいわば似非芸術家とも言うべき通俗的で嘘くさい、派手な芸術を好みました。

 真冬の深夜、体育館のような広い建物を夏のように暖房をかけ、偽の月を浮かべ、人造の真っ青な池を作って半裸の美少年を侍らせて悦に入る姿がヴィスコンティの名作「ルートヴィッヒ」で描かれ、学生の頃それを見て、薄気味悪さとともに、王家の財産を次々と似非芸術のために浪費していく狂的な姿に、シンパシーを感じたことを覚えています。

ルートヴィヒ 復元完全版 デジタル・ニューマスター [DVD]
ヘルムート・バーガー,ロミー・シュナイダー,トレヴァー・ハワード,シルバーナ・マンガーノ,ヘルムート・グリーム
紀伊國屋書店

 

狂王ルートヴィヒ―夢の王国の黄昏 (中公文庫)
三保 元
中央公論社


 また、コッポラ「地獄の黙示録」では、米軍がベトナム戦争で、ヘリコプターからナパーム弾を落とす際、ワーグナー「ワルキューレ」を大音量で流し、地上で逃げ惑うベトナム人にゆがんだ笑顔を浮かべながら機銃掃射する米兵が不気味で、公開当時小学生だった私は震え上がり、その後しばらく、「ワルキューレ」が耳を離れませんでした。

地獄の黙示録 特別完全版 [DVD]
マーロン・ブランド/ロバード・デュバル/マーティン・シーン/デニス・ホッパー
ジェネオン・ユニバーサル

 

ワルキューレの騎行~ワーグナー:管弦楽名曲集
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,ワーグナー,メータ(ズービン),シュタイン(ホルスト),ショルティ(サー・ゲオルク)
ユニバーサル ミュージック クラシック

 じつのところワーグナーの音楽は私には刺激が強すぎるようで、ワーグナーを聞くと、今度は逆に極端に音が少ないエリック・サティの静かなピアノ曲が聞きたくなります。

サティ:ピアノ作品全集(6枚組)
サティ,クリスティーナ・アリアーノ(Pf)
Brilliant Classics

 テレビで見ると、ドイツはこのおめでたい日を複雑な思いで迎えているようです。
 祖国の偉大な音楽家でありながら、ドイツの恥部を刺激するのでしょうねぇ。

 わが国では、ナチス・ドイツのような壮大な国家戦略も謀議もなく、場当たり的に第二次大戦に突入し、ユダヤ人抹殺を目論むような巨大な計画もなく、連合国も犯したであろう程度の、普通の戦争犯罪しかなかったため、今もドイツ人ほど自国を責めたりしません。

 当たり前ですが。

 そのため、ニュールンベルク裁判と同じような方法で東京裁判を行おうとした連合国は、ドイツのように突っ込みどころ満載の国とは違い、わが国を責める材料を集めるのに四苦八苦したようです。
 やってもいない犯罪をでっちあげるんですから、それは大変な作業でしょう。

 ワーグナーの生誕200年のお祝いくらい、政治的な思惑は抜きにして、素直に喜んでほしいものです。


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美と恐怖

2013年05月22日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は14時で早退し、フレンチ・ホラーを鑑賞しました。
 「リヴィッド」です。

 これはじつに残酷で、しかも美的な映画で、私はその青みがかった映像を、ひたすらうっとりと見つめました。
 久しぶりの大当たりです。

 かつて怪物や幽霊が活躍する怪奇文学は、耽美主義の系統に分類されていました。
 それはホフマンなどのドイツ・ロマン派でも、「雨月物語」などの江戸文学でも。
 それらのDNAを引き継ぐホラー映画も、もともとは美的であることが求められ、美と恐怖は本来的に相性が良いものです。

 近年、ホラー映画は残酷描写が追求され、悪趣味なまでに醜悪な作品が受けるようになってしまいましたが、「リヴィッド」は原点に立ち返った、ゴシック・ロマンの王道を行く見事な作品に仕上がっています。

 これほど美的なホラー映画は、老いた吸血鬼の悲しみを描いた「ノスフェラトゥ」以来ですねぇ。 



 物語は、森の中の豪邸で植物状態のまま眠り続ける老婆の家に、泥棒に入る若者3人組が、恐怖の一夜を過ごすという、わりと単純なものです。

 老婆には一人娘がいたのですが、少女の頃亡くなり、バレエ教師であった母親は、娘を剥製にしたうえで機械仕掛けでバレエを踊る人形にしてしまいます。

 そして老婆とその娘には、人の生き血をすすりたいという、根源的な欲求が隠されていたのです。

 泥棒に入った若者たちは死んで人形となった娘、植物状態で動けないはずの老婆に襲われます。

 ストーリーだけを見ると、残忍極まりないものですが、どうした加減か、映像はあまりにも美しく、さすがにフレンチ・ホラーとうならされました。

 世の中には様々な学問があり、それぞれの分野で実証的研究を重ね、究極的にはこの世の真実や真理、普遍的価値などを求めています。
 しかし、学問はあまりに細分化されてそれぞれの学者は蛸壺に入り込み、ほとんど自己満足としか言いようがない惨状を呈しています。
 私には、学問が真実を追求することはもはや不可能であるように感じられます。

 私は、この世の真実はじつは物語にしか無いのではないかと思っています。
 人間の智慧では実証研究には限度があり、真実を直感的に感じ取った物語作者による物語だけに、それは示唆されるように感じます。

 たとえば記紀にみられる日本神話。
 さらにはギリシャ神話

 それほど体系だてられてはいないとはいえ、あらゆる民族が独自の神話を持っており、神話こそが物語の祖であり、そこには様々な人間の真実を突いたエピソードが盛り込まれています。

 「リヴィッド」には、そうした素朴な物語の要素とともに、人を魅了する美と恐怖がないまぜになり、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。

 ぜひご覧いただきたい一作です。

リヴィッド LIVIDE [DVD]
クロエ・クールー,カトリーヌ・ジェコブ,マリー=クロード・ピエトラガラ,クロエ・マルク,ベアトリス・ダル
キングレコード



リヴィッド LIVIDE(Blu-ray Disc)
クロエ・クールー,カトリーヌ・ジェコブ,マリー=クロード・ピエトラガラ,クロエ・マルク,ベアトリス・ダル
キングレコード

 

ノスフェラトゥ [DVD]
クラウス・キンスキー,イザベル・アジャーニ
紀伊國屋書店



ノスフェラトゥ Blu-ray
クラウス・キンスキー,イザベル・アジャーニ
紀伊國屋書店

 

新版 古事記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
中村 啓信
角川学芸出版



ギリシア神話 (岩波文庫)
高津 春繁
岩波書店




雨月物語 [DVD]
京マチ子,森雅之
コスモコンテンツ



改訂版 雨月物語―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
鵜月 洋
角川学芸出版

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早退

2013年05月22日 | 仕事

 今日は大分気温が上がっているようですねぇ。
 14時を過ぎて、事務室内はもわぁっとしてきました。
 おまけにエアポケットに入ったかのように今日は仕事がありません。

 こんな日もあるんですねぇ。

 で、今日は14時から3時間休暇を取って早退することにしました。
 休めるときは休んでおかないと体がもちませんからねぇ。

 これから帰って何をしましょうか。


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防災

2013年05月22日 | その他

 米国、オクラホマで発生した竜巻、すざまじい被害ですねぇ。
 死者数はまだ確定されていないようですが、何十人も亡くなっているようです。

 国際紛争は軍事力増強などで、犯罪は警察力の増強などで、ある程度防ぐことができるかと思いますが、突然やってくる自然災害へ対処するのはなかなか困難で、人智を超えた自然災害は、ほとんど防御不能であるかのごとくです。

 せいぜいいざという時どこに逃げるかを日頃から訓練するくらいが関の山でしょうか。

  わが国では地震や津波が最も怖ろしい自然災害ですが、米国では竜巻なんでしょうか。
 どちらにしても避けがたいものであることに変りはありません。

 私はマンションの2階に住んでいます。
 高層階が一般的に人気ですが、私は高層階に住んでしまうと、逃げられないし、そもそも地上に降りるのが億劫だと思って2階にしました。
 縄梯子も買いました。
 最悪、布団をかぶって飛び降りても死にはしないでしょう

 悲観的に準備して、楽観的に対処せよ、というのが防災の要諦。
 
 できれば天寿を全うしたいですからねぇ。

縄ばしご ワイヤー入・アルミ製(足場) 5m 2階用
宮堂
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生活保護

2013年05月21日 | 社会・政治

 近頃在日外国人や帰国した中国残留孤児の生活保護の不正受給が問題になっていますね。

 先般、歌舞伎町で飲食店を経営する女が、年商がゆうに1億円を超えているにも関わらず、肝炎で働けないと称して何年にも渡って生活保護を受給し、しかも厳しい所得制限がある格安の都営住宅に住んでいたことが発覚しました。
 
 お馬鹿さんですねぇ。

 それだけの収入がありながら、さして高くも無い生活保護を不正にせしめたせいで、お縄になってしまうなんて。

 その程度の金のために前科者になってしまっては大損です。
 損得勘定が得意な人だったと想像しますが、根本的な損得勘定はできず、目先の利益に走ってしまったようです。

 以前には中国残留孤児が帰国し、中国から大量の親戚を呼び寄せ、その一族郎党だけで100人を超える生活保護を申請して問題になりました。

 生活保護は最後のセイフティ・ネット。

 それで私腹を肥やす輩が続出すると、本当に生活保護を必要としている人々にまで疑惑の目が向けられる可能性が出てきます。

 また、貧困ビジネスと呼ばれるものも悪質です。

 生活保護を受けるための方法を調べることさえできないオツムの弱いホーム・レスをかき集めて生活保護を申請させ、生活保護の大半をせしめてしまうヤクザどもがいるとは、全く呆れた話です。
 金持ちから金を盗もうとかだまし取ろうというのはよくあることだと思いますが、金など持っていないホーム・レスを鵜飼の鵜のように扱って公金をだまし取ろうとは、あんまり情けない魂胆で、泣くにも泣けず、笑うにも笑えません。

 生活保護というのは一種の劇薬のような面があると思います。

 本当に必要としている人がいて、それらの人々に支給するのは当然のことですが、悪意なく、困りに困って生活保護に駆け込んだ人でも、働かずとも生きていけるだけの金を月々もらえるとなれば、就労意欲が失せるのは当然で、しかしだからと言って生活保護制度を止めてしまうと飢え死にする人がでることも予想され、止めてしまうこともできません。

 劇薬と言うより麻薬に近いかもしれません。

 精神症状がひどい時、障害者2級に認定されれば、障害者年金が月17万円も支給されることを知り、それだけあれば贅沢しなければ食っていけると思い、精神科医に相談したことがあります。
 しかし主治医は、「そんなことは考えず、復職してきちんと給料をもらうことを考えましょう」と言って診断書を書いてはくれませんでした。

 その時はがっかりしましたが、復職して丸3年を超え、なお再発のきざしが見られない今になってみれば、障害者年金などもらわなくて良かったと痛感します。

 働かずとも金がもらえる身になれば、おそらく復職なんて考えず、生涯障害者年金で気楽に生きようと考えたことでしょう。

 まぁ、主治医にしてみれば、サラリーマンが半年休む程度の精神症状でその都度障害者手帳など持たせるわけにはいかない、と思ったのでしょうねぇ。

 私はしんどい最中だったので、自分は世界一重篤な精神障害者だ、くらい思っていたのですが、多くの患者を見ている主治医からすれば、軽いほうに見えたのかもしれません。

 私自身もまた、不正受給とは言えないかもしれませんが、働かずに食っていける方策を考えたくらいですから、生活保護の不正受給者とは五十歩百歩ですが、しかしだからこそ、不正受給者に対しては許しがたい思いに駆られます。

 真にやむを得ない場合を除き、人はすべからく自助努力によって食い扶持をかせぐ方法を探るべきで、安易に生活保護に頼ってはいけません。

 そうでないと、劇薬でもあり麻薬でもある生活保護によって、骨抜きにされてしまいますよ。


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