ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

ドリーム・ホーム

2013年01月24日 | 文学

 昨夜は香港の殺人劇をDVDで鑑賞しました。

 香港は英国領であった当時、映画産業が盛んでした。
 ブルース・リーやジャッキー・チェンやトニー・レオンなどのスターを生み、ジョン・ウ―やウォン・カーウァイなどの名監督を輩出しました。

 しかし、1997年に英国は香港を中国に返還。
 中国は香港を特別行政区とし、それまでどおり表現の自由を認めると表明しましたが、香港映画界は急速に衰退してしまいました。

 政治が文化にどれだけ強い影響を与えるかを思い知らされましたね。

 昨夜観た「ドリーム・ホーム」、1991年、1997年、2004年の時制を倒錯させながら、時代の波に翻弄される香港の若い女性が狂気の大量殺人に走る姿が描き出されます。

 1991年、香港返還を数年後に控えた香港政府は海岸沿いの老朽化した団地を取り壊し、住民に引っ越しを迫ります。
 そんな中、海が見える団地で育った少女は、漁師の祖父や、海沿いに住みたいと言う祖母や両親の願いを叶えるため、いつかベイ・エリアに家を買うのだと決意します。

 不動産バブルが高騰する中、ベイ・エリアのマンションの値段は急騰。
 大人になった彼女は昼は銀行で働き、夜はデパートで働くなど、マンション購入のための貯蓄に励みます。

 そしてやっと、念願のベイ・エリアのマンション購入契約を結ぼうというその日、売主はまだ値が上がると判断し、契約金額を5割増しにするよう要求します。
 絶望する女性。

 そこで彼女が取った行動がぶっ飛んでいます。
 そのマンションに現在住んでいる住人を、片っぱしから殺害していくのです。
 それも血も涙も感じられない残忍な方法で。
 そのような事件が起きれば、マンションの値は急激に下がるだろうと踏んだわけです。

 案の定、売主は大幅な値下げに同意。
 マンションが買えると思った主人公に、予想外のニュースが飛び込んできます。
 不動産バブルがはじけ、不動産の値段が暴落していると言うのです。
 呆然としてそのニュースに聞き入る殺人鬼。

 彼女は家が欲しい鬼と化していたのです。
 しかももう、祖父母も両親もこの世の者ではないというのに、約束を果たそうとして怖ろしい犯罪に手を染めてしまったのです。

 かなりストレートな残酷シーンが満載ですが、基調に流れる殺人鬼の悲哀が、観る者の胸を打ちます。

 ホラーというか、人情ホラーというか、ジャンルにはまらない、不思議な映画でしたねぇ。

ドリーム・ホーム [DVD]
ジョシー・ホー,イーソン・チャン
GPミュージアム


にほんブログ村


映画(オカルト・ホラー) ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

性的マイノリティの成人式

2013年01月23日 | その他

 先ほどNHKの某番組で、成人式を取り上げていました。

 少し遅すぎはしませんかと思いましたが、それはゲイやレズビアン、性同一性障害の者など、性的マイノリティばかりが集う成人式でした。
 体は男性だけど心は女性の者が振袖を着てきたり、その逆の者はスーツや紋付袴で現われたり。
 彼ら彼女らは、一様に誇らしげで、楽しそうでした。

 おそらくは、幼少の頃、物心ついた時から世間の常識に違和感を持ち、差別や偏見にさらされ、親や家族からも理解されずに過ごしてきたであろう20年間を吹き飛ばすような、晴れやかな笑顔でした。

 人間というもの、少数派を差別するのが本能であるかのごとくに感じられます。
 心ならずも少数派に生まれついてしまった人々の心中を思う時、人間であること、わけても私自身が少なくと性的には多数派の異性愛者であることに、恥ずかしさすら感じました。

 わが国は伝統的にトランス・ジェンダーということに寛容というか、むしろ積極的にそれらの存在を自然の一部として受け入れ、歌謡や芝居などではそれらの存在をごく当たり前の者として描いてきました。

 それは国際的にみて、奇跡のような大らかさで、わが国が誇って良い文化であると思います。

 例えば今がまさに絶頂期のAKB48の歌を見ると、ほとんどが、少女たちのグループでありながら、「僕」という男性一人称の少年の目線で歌われています。
 そのようなことは、Kポップにしても、欧米の若い女性歌手にしても、まず見られない倒錯した詞です。

 これはおそらく、宝塚や歌舞伎などの性別を超えた芸能と連なるもので、現代の若者の心性にも、それら性をやすやすと乗り越えるわが国の伝統文化が息づいているために受け入れられたのだろうと推測します。

 わが国がトランス・ジェンダーに最も差別的だったのは、明治維新以降、急速に近代化を押し進め、時代の必然として帝国主義的政策を取らざるを得ず、軍国化していった頃だろうと思います。
 戦後も、急速な経済発展を求めるがゆえに男は外で働き女は家庭を守るみたいな、いびつな性差による役割分担を国家が求めたため、それは続いたように思います。

 わが国の伝統文化に反する、恥ずべき時代だったと言わざるを得ません。

 しかしやっと、欧米中心の価値観が、わが国の伝統文化である、トランス・ジェンダーに寛容なそれに追いついてきたように思います。
 わが国もまた、世界の価値観の変容に伴って、遅まきながらトランス・ジェンダーに寛容な風潮に回帰してきたようです。

 それは誠に喜ばしいことです。

 私は高校生時代、何度もゲイと思しきおじさんから痴漢に会いました。
 それは今思い出しても気色の悪い経験でしたが、当時同性愛やバイ・セクシャルの文学や芸術に憧れていた私にとって、自分がどこまでいっても異性愛者だと思い知らされる、屈辱的な経験でもありました。

 そういった痴漢を除いて、高校生の頃、一度だけ、二つ下の後輩男子から口づけされたことがあります。

 あれは今になってみると不思議な感覚でした。
 痴漢に会うのとは違って、嫌悪感はなく、むしろ甘美なものだったと思います。
 後輩がどういうつもりでそういう挙に出たのか、知るよしもありません。
 高校卒業以来会った事もありません。
 彼が今どうしているのかも知りません。

 私はその後異性愛者として性欲の赴くままに行動し、若い頃には常軌を逸した行動に出たこともあります。

 そして今は、精神障害の後遺症か、男性機能を失いました。

 そんな私にとって、あの後輩の思い切った行動は、その後のあまたの女性たちとの狂気じみた交渉よりも、少年時代の甘い記憶として、鮮烈に残っているのです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

済みました

2013年01月23日 | その他

 今日の休暇最大の理由、障害者自立支援法の継続申請と車の定期点検が済みました。

 千葉市の区役所はわが家から徒歩7分の好立地。
 区役所職員の応対は昔に比較してずいぶん良くなりました。
 昔、役人の態度はひどかったですからねぇ。

 そういう私も木っ端役人の端くれ。
 ただ私の場合、文部科学省所管の国立大学や国立研究所を転々としているので、一般人を相手にすることはありません。
 相手にするのは同業者と、研究者。
 区役所職員はやくざだろうが認知症気味の高齢者だろうが平等に接しなければならず、その苦労がしのばれます。

  ディーラーまでは車で5分ほど。
  駅前に住むと大抵の施設が近くにあって極めて快適です。

  車の定期点検は、車購入の際半年に一度無料で点検してもらうオプションを選んだものですが、今回初めて不具合が見付かりました。
 不具合といっても、タイヤに釘が刺さっていたというもの。
 釘が抜けなかったために空気がほとんど漏れず、パンクに気付かなかったようです。
 こういうことがあると、きちんと点検をすることの必要性を痛感します。
 パンク修理代だけ実費で約1,500円。
 痛い出費というほどではありません。

 ただ、今の車は購入して5年が過ぎ、走行距離も45,000キロを越えたため、営業マンはそろそろ次の車をと、色々勧めてきて面倒です。
 同じディーラーで購入し続けてもう3台目なので、次もそこで購入するものと決めてかかっているようです。

 でも今私が興味があるのはレクサスの250。
 排気量のわりにボディが小さく、タイヤが太いのが魅力です。
 でも高いんでしょうねぇ。
 私は4台続けて日産車に乗っていますが、今日産車で欲しいと思う車はありません。

 消費税が8%に上がる前には本格的に検討しなければなりませんね。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンク~破戒僧~

2013年01月23日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は休暇を取りました。
 障害者自立支援法の継続申請を行うためと、車の定期点検のためです。

 朝一番で、悪を描いた文芸大作「マンク~破戒僧~」を鑑賞しました。

 

 160年もの長きに渡ってフランスで発禁処分を受けていたといういわくつきの暗黒文学が原作になっています。

 17世紀スペイン、マドリード。
 赤子の時にカトリック修道院の前に捨てられたアンブロシオは、町中の人に尊敬される優秀な神父に成長しました。
 すべての欲を絶ち、規律を重んじて粛々と日々を送るアンブロシオですが、出生の謎と、ひどい頭痛に密かに悩まされています。 

 ある日、傷ついた顔を隠すために仮面をかぶっているという見習い修道士がやってきます。
 “彼"は、なぜかアンブロシオの頭痛を和らげる力を持っていました。
 しかしその正体は、彼に近づく為に修道士に扮した魔性の女だったのです。
 その美しい女の誘惑にかかり、アンブロシオは戒律を破ってしまいます。
 破戒僧となった彼は、欲望を抑えることが出来なくなり、魔性の女の意のままに、黒魔術に手を染め、聖なる教会を黒ミサで汚し、強姦、窃盗、殺人とあらゆる悪徳に身を沈めていくのです。

 女色に目覚めた彼は、熱心に修道院に通ってくる町の中流家庭の美少女に懸想します。
 じつは彼は商人の娘と大貴族の子息の間に生まれた子で、幼少のみぎり、大貴族の命により使用人に殺害されていたはずでした。
 しかし使用人は赤ん坊を不憫に思い、修道院の玄関に捨てるのです。
 その肩には大きなあざがあります。

 魔性の女に不思議な花をもらい、その花の匂いがかがせればどんな女も落ちる、とささやかれます。

 情欲の虜となった彼は、密かに美少女の家を訪れ、姦通。
 それを見つけた美少女の母親を刺殺してしまいます。
 まさに死のうとする瞬間、母親は彼の肩に刻まれたあざをみて、死んだはずの長男だと確信します。
 彼は信者との姦通だけでなく、知らず知らずのうちに近親相姦の罪をも背負ってしまったのです。

 仮面をかぶって修道院に入り込んだ魔性の女こそが、悪魔の化身と見てよいでしょう。
 しかしその正体、目的ははっきりせず、強いて言えばアンブロシオを悪の道に引きずり込むこととしか思えません。


 ここら辺の入り組んだ因果を伴う演出は、悪を描かせれば世界一の舞台芸術である歌舞伎と相通ずるところがあります。

 それにしても中世のキリスト教圏というのは不思議な点が多々あります。
 人間が作り出したに過ぎない悪魔という概念に怯え、常に悪魔との戦いの準備をしています。

 わが国を始めとするアジア諸国では、ついに絶対悪という概念を持つに到りませんでした。
 善悪は相対的なものであり、簡単に互いが置換するという感覚は、日本人なら子どもでも自然に身につけます。

 まして女色が悪というのはおかしいですね。
 人類が生き残るためには絶対に必要なことですから。

 キリスト教原理主義者は生殖のための性交しか認めておらず、従って子が出来るはずのない同性愛や肛姦を禁じるばかりか、コンドームをつけての性交も禁じているとか。

 肉の穴に肉の棒を差し込む程度のことで大騒ぎするのは滑稽でさえあります。

 古来わが国では性に大らかで、異性愛も同性愛も粋な遊びとされてきました。
 その伝統は今に引き継がれ、性は楽しむものであって禁忌するものではありません。

 性に大らかな国、時代に生まれて良かったと、心の底から思います。

マンク 破戒僧 [DVD]
ヴァンサン・カッセル,デボラ・フランソワ,セルジ・ロペス,ジェラルディン・チャップリン,ジョセフィーヌ・ジャピ
角川書店

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村


映画 ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からっぽ

2013年01月22日 | 文学

 おそらく日本文学史上、最もシニカルで、それでいて耽美主義的で、擬古典的な、矛盾する要素をたくさん持ちながら、完成度の高い文学作品を書き続けた作家は、三島由紀夫をおいて他にはおりますまい。

 私は学生時代、多くの古典を大学の要請により読みましたが、当時最も心酔していたのは、三島由紀夫石川淳渋澤龍彦でした。

 なかでも政治的発言が多く、最後は自衛官にクーデターを起こすよう決起を促し、割腹して果てるというその生き様死に様は、良くも悪くも私の精神形成に大きな影響を与えました。

 彼は自決の四か月前、ある雑誌に日本の未来を予言する寄稿を寄せています。

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらうそれでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。

 三島由紀夫
の自決から42年、現在のわが国は彼の予言どおりになったでしょうか。

 今のわが国は無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国と言えるでしょうか。

 私はそうは思っていません。
 彼が自決した1970年とは時代背景がずいぶん変りました。
 いわゆる社会主義者はほぼ絶滅し、健全な保守主義が台頭してきています。
 しかしここまで来るのに60年以上かかってしまいました。

 三島由紀夫は日本民族が本来的に持っている底力を過小評価していたとしか思えません。
 戦後25年くらいの頃合いでは、とても彼が夢見たような美しい日本を取り戻すことは不可能で、エコノミック・アニマルと呼ばれても、力を蓄える時期だったのだろうと思います。

 短気を起こして義憤に駆られ、腹を切るとは正気の沙汰ではありません。
 作品の完成度はすぐれて高いのに、小説家や芸術家が政治に頭を突っ込むと、碌な事はありません。
 おのれの勝手なロマンチシズムに陶酔し、政治を玩具にしてしまうのです。

 思えばヒトラーも、画家や建築家を志した芸術家でした。
 芸術家というもの、作品の制作にあたっては恐るべき緻密さと粘り強さを見せるのに、政治の話になると急に性急な変化を望むようです。

 しかし現実の政治には時間がかかります。
 原案を作って、会議にかけて、反対する会派と話し合って、落とし所を探る。
 民主主義社会というのは怖ろしく意思決定に時間がかかります。
 それがテロリストやロマンチストには我慢ならず、ついつい、独裁者の登場を待望してしまうのでしょう。

 その心性は、私には痛いほど分かります。
 私自身の中に、三島由紀夫的な気の短さが存在しているのだろうと思います。

 しかしそこはぐっと我慢して、小さな職場で会議を重ね、合議によって意思決定をしていくという死ぬほど面倒くさい仕事を続けなければならないのです。

 三島由紀夫は、おそらく日本精神に殉じるという気持ちは無かったのだのではないかと思います。

 生来のマゾヒスティックな欲望と、政治的ロマンチシズムを満たすために最も効果的なのが、クーデターを訴えて失敗して自決する、というストーリーだったのでしょう。
 それは苛烈な決断であったろうと思います。

 私はそんな彼を羨ましいと思いながら、淡々とシニカルに日を過ごす他ありません。

 過激政治団体でも新興宗教でも、なんでもいいから仮に魔術的思考をもった団体に所属し、おのれの精神を殺し、団体のために命を投げ出すという身勝手なヒロイズムに惹かれる私を押しとどめることは難儀です。

 でも結局、そんな勇気はなく、平凡なサラリーマンとして一生を終えるのでしょうねぇ。
 なんとも退屈で面倒くさい話です。

 
にほんブログ村


人文 ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花束

2013年01月21日 | その他

 今日は同居人の誕生日。
 44歳になります。

 21年前出会った時、彼女は23歳で私は22歳でした。

 ずいぶん時が流れましたが、子どもがいないせいか、あるいは苦労していないのか、年のわりには保存状態は良好です。

 一緒に暮らし始めてからもうすぐ15年になります。

 柄にもなく、仕事帰りに駅前の花屋で花束を購入して同居人へのプレゼントとしました。
 
 圧倒的多数の男は花束をもらっても喜びません。
 食えるわけではなし、一週間もすれば枯れてゴミになってしまうような物、なんでもらって嬉しいのか、私には謎です。

 しかし女性の多くは花束を貰うと喜ぶということくらい経験的に知っているので、過去、何人かの女性に花束を贈りました。
 すると大抵、贈ったこっちがびっくりするくらい喜ぶのですよねぇ。

 花束なんて五千円も出せば見栄えの良いものが買え、しかも効果は絶大というわけで、費用対効果の面から言って、これほど効果的なものはありません。

 じつに不思議です。

 日頃クールでドライな印象を与えるわが同居人も、こと花束贈呈となると例外ではないのが不思議です。

 花というものには、男には分からない独特の魅力があるとしか思えません。

 多分私には生涯分からないのでしょうけれど。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さっさと死ねるように

2013年01月21日 | 文学

 麻生副総理兼財務大臣、なかなかイカした発言をかましてくれちゃったようです。

 「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」

 だそうで。

 これ、死期が近付いたご当人が言うならともかく、他人が言うことじゃないですねぇ。
 まるで姥捨て山みたいな発言です。

 財務責任者としてそんなことを思う気持ちは分からないでもないですが、それ言っちゃあおしまいよみたいな感じです。

 死期が近付いて、覚悟を決める人もいるでしょうが、自分だけはそう簡単に死なないと思いこむのも人情です。

 ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを

 と詠んだのは存原業平でした。
 「伊勢物語」に見られます。
 希代のプレイボーイの辞世としてはありきたりな感じがしますが、多分偽らざる心境だったのでしょうねぇ。

 名画「楢山節考」では、寒村の掟に従って老いた母を山の上に捨てに行く様子が描かれます。
 一面人骨だらけの山の一隅で、老いた母は雪の中静かに端坐し、手を合わせて死を待ちます。
 鬼気迫る場面でした。
 この母は黙って掟に従いますが、なかには抵抗する老人もいて、老いた父親を籠に閉じ込めて背負って山を登る途中、父親が背中で暴れるので山から突き落として殺害するという残酷なシーンもありました。
 
 この作品でも覚悟を決めた者と生き残りをかけて暴れる者が対比されています。

 死という事態、生きている者には全く未知の世界で、死んでしまった者はもう死がどういうことなのかを語る術を持ちません。

 未知だからこそ人は死を怖れ、神道では死を穢れと見るのでしょう。

 そのような多くの人が恐怖する事態を、高齢者だからと言って怖れなくなるなんてことはありますまい。

 いつまでも元気で生きていたいのが、人間だけでなく生きる者すべての究極の願望でしょう。
 だからこそ、古来、権力者は不老長寿の妙薬を必死で探したわけです。

 自分の死をめぐる切ないばかりの人々の気持ちを、麻生副総理兼財務大臣は、いかにも易々と切って捨てたものです。

 国家財政の窮乏は多くの国民を不幸にするでしょうが、それ以上に、高齢者には早く死んでもらいたいと思う政府高官の存在は人々を精神的に追い込むに違いありません。

伊勢物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
坂口 由美子
角川学芸出版




楢山節考 [DVD]
緒形拳,坂本スミ子,左とん平,あき竹城
東映ビデオ



楢山節考 (新潮文庫)
深沢 七郎
新潮社


にほんブログ村


人文 ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルジェリアのテロ事件

2013年01月21日 | 社会・政治

 ここ数日、アルジェリアで起きたテロ事件のニュースが混乱気味に逐次飛び込んできています。
 アルジェリア政府が情報隠ぺいともいうべき態度を取ったまま、情報は錯綜し、何が本当なんだかわからないまま、わが国をはじめ関係各国は苛立ちを募らせています。

 アルジェリア政府は前のめり気味にテロリストの掃討作戦に走り、多くの人質が犠牲になった模様です。
 日本人の犠牲者は9人というのが現時点での最新情報です。
 しかし、実際にはどれだけの犠牲者がでたのか、まだ分からないというのが実情のようです。

 一体何が起きたんでしょうねぇ。

 フランス軍がマリの内戦に介入したのが原因とも、仲間のテロリストの解放を求めているとも言われていますが、それもはっきりしません。

 真相は闇に包まれています。

 現代社会においては、イスラム過激派のテロが、世界を混乱に陥れる最大の危険要素になっています。
 庶民の幸せを願い、恒久平和を求めるべき宗教が、なぜ過激なテロ行為の原因になってしまうのでしょう。
 穏健なイスラム教徒は、テロリストを正統なイスラム教とは似て非なる者だと決めつけます。

 しかし、イスラム教の開祖、ムハンマドは、「殺人は良くない。しかし、イスラム教を信じないのはもっと良くない」と宣言して、自ら軍を率いて異教徒と戦いました。
 キリスト教にも原理主義者がおり、仏教にも過激な一派が存在しますが、少なくともイエスもブッダも自ら闘うことはしませんでした。

 また、わが国の仏教は様々な宗派に分かれ、かつてはかなり激しい宗論を闘わせ、対立もしましたが、仏教徒同士が殺し合いをしたことも、わが国古来の信仰である神道や、戦国時代に入ってきたキリスト教と戦ったこともありません。

 一向一揆というのはありましたが、それは宗教弾圧を行った権力者に抗議するもので、自らが信じる教えを盲信し、それを広めようとしたわけではありません。

 それらを考えると、イスラム教というのは、開祖自らが殺し合いを行った、特異な宗教であると考えざるを得ません。
 その出自からして、好戦的であったわけです。

 現代人は、そのような人々ともうまくやっていかなければならないという、業を負っています。

 多様な価値観や信教の自由を認めるというのは、自由主義社会では普遍的な価値とされていますが、それらを普遍的な価値とは認めず、世界のイスラム化こそが世界に平和と繁栄をもたらすのだと信じているとすれば、もはや話し合いは不可能です。
 原理原則が異なる人々といくら話し合っても、何も合意できないでしょう。

 しかしそれでも、自由主義社会は根気強く話し合いを続けるしかありません。
 テロ行為には強い態度を取らざるを得ませんが、テロリストにシンパシーを感じる一般のイスラム教徒とは、まだ話し合いの余地があると思います。

 世界情勢は複雑怪奇と言わざるを得ません。

コーラン 上 (岩波文庫 青 813-1)
井筒 俊彦
岩波書店



コーラン〈中〉 (岩波文庫)
井筒 俊彦
岩波書店



コーラン 下 (岩波文庫 青 813-3)
井筒 俊彦
岩波書店


にほんブログ村


政治 ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入試中止?

2013年01月20日 | 社会・政治

 先般体罰を苦にして自殺した大阪市立桜宮高校のバスケ部キャプテン。
 体罰は学校教育法に違反する犯罪であり、その死はまことに痛ましいものです。
 高校2年生といえば、未来は無限に広がって見えて当然の年頃。
 それが自ら未来を閉ざしてしまうとは。

 で、それを受けて橋下大阪市長が同校体育科の入試を中止せよ、と言い出しました。

 しかし入試は2月10日と聞きました。
 もうあんまり日がありません。
 願書を出してきた受験生にどう説明するのでしょうか。

 きっと受験生のなかには、どうしてもこの高校の体育科に進みたいと、努力を重ねてきた者もいるでしょう。

 たしかにバスケ部顧問以外にも多くの教師が日常的に体罰を行っており、教育現場としては集団狂気のような状況を呈してはいたようです。
 しかしこのような事件の後、何の再発防止策も考えず、いきなり新入生の受け入れを拒否するとは、いかにも乱暴で稚拙な対応と言わざるを得ません。

 ますは再発防止策の策定と、法を犯した教員の逮捕が先決で、将来を同校に託すことを夢見る少年少女の希望を打ち砕くことではないはずです。

 かつて全共闘運動華やかなりし頃、東大が入試を中止した年があります。
 当時の名門校、日比谷高校では東大を目指していた高校三年生が、急遽志望校を京都大学に変更したり、浪人してでも東大を目指したりといったことがあったようで、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」にコミカルに描かれています。

 その時は安田講堂そ過激派学生が占拠するなどの大混乱ゆえやむを得ざる仕儀だったのでしょうが、桜宮高校における体罰は、たとえ組織としての規律が緩んでいたとしても、原則的には法を犯した個々の教員がその責任を負うべきです。

 しかしマスコミの報道を見ると、どうも体罰教師を行き過ぎた指導を行ったという程度にしかとらえておらず、学校教育法に違反した犯罪者だという認識に欠けるようです。

 確かに学校教育法では、体罰は禁止されているものの、体罰を行った場合の罰則規定がありません。
 しかしそれは、刑法で傷害罪というのがあるわけですから、傷害事件として逮捕し、司法にその判断を委ねるべきだと考えます。

 そうでないと、体罰は明白な犯罪行為であるのに、その犯罪性が歪められ、体罰は教育上必要だなどと叫ぶ戸塚ヨットスクールなどを増長させることになりかねません。

 どうしても体罰が教育上必要だとお考えなら、体罰容認論などという犯罪行為を助長するようなことを叫ぶのではなく、学校教育法を改めよと、法律論を唱えるべきでしょう。

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)
庄司 薫
新潮社

にほんブログ村 政治ブログ 国政・政局へ
にほんブログ村


政治 ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大寒

2013年01月20日 | 文学

 今日は大寒ですね。
 24節季の最後。

 「暦便覧」では、冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也、と説明しています。
 たしかに今日は北風が吹いて首都圏は寒いですが、晴れていて、南向きのわが家のリビングはぽかぽかです。

 大寒というと思い出すのが、飯田龍太の、

 大寒の 薔薇に異端の 香気あり

 という句ですねぇ。
 飯田蛇笏の倅で、現代的な感覚で句作にいそしんだ人で、上の句は中でも有名なものでしょう。
 
 上の句は本来初夏に咲くべき薔薇が冬に咲いて、その香気に異端を感じるというわけで、その言葉の選び方など、極めて幻想的で耽美的なものです。

 その言葉遣いから、私は長いこと俳句の魔術師、西東三鬼の作と勘違いして覚えていました。
 お恥ずかしいかぎりです。

 西東三鬼大寒の句といえば、

 大寒や 転びて諸手 つく悲しさ

 を挙げなければなりますまい。
 ここには老境に到ったのであろう俳人の寂寥感が、冬の凍てつく感じとあいまって、独特の悲哀を感じさせます。


 四季がはっきりしたわが国には、それぞれの季節ごとの楽しみがあり、特に冬のような厳しい季節には、なおさらそれを楽しむことによって、過酷な季節を乗り切ろうとした古人の智恵が感じられます。

 今度の火曜日と木曜日には首都圏に雪の予報が出ています。

 通勤ではしんどい目に会うでしょうが、せめてわが家にたどり着いたのなら、幻想的な美しさを放つ雪景色を肴に、雪見酒としゃれこみたいものです。


季題別 飯田龍太全句集
飯田 龍太
角川学芸出版



飯田蛇笏秀句鑑賞
丸山 哲郎
富士見書房

 

西東三鬼集 (朝日文庫―現代俳句の世界)
西東 三鬼,鈴木 六林男
朝日新聞社

にほんブログ村 本ブログ 純文学へ
にほんブログ村


本・書籍 ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三週間

2013年01月19日 | 精神障害

 今日は疲労回復のため、一日家でごろごろしていました。
 ただ、三週間に一度の診察日だったため、車で15分ほどの精神科クリニックに夕方行ってきました。

 朝はいつもひどく憂鬱だけれど、職場に行ってしまえば怒涛のような仕事をてきぱきとこなし、帰る頃には軽い高揚感がある、と言ったところ、主治医は考え込んでしまいました。
 朝憂鬱というのはうつ状態の典型的な症状。
 高揚感があるというのは躁状態をうかがわせます。

 とりあえず安定して出勤できているということで、薬は変わらず、また三週間後に診察ということで落ち着きました。

 私は障害者自立支援法「重度かつ継続」の認定を受けており、診察代も薬代も1割負担で済んでいます。
 2年ごとに更新ということで、その診断書が用意されていました。
 これを千葉市の保健福祉センターに提出し、審査を受けるわけですが、2年前と違い、今回は認定されるかどうか微妙なところです。

 診断書には「近年は安定しているが、気分の動揺が見られる」ことを理由に「重度かつ継続」が相当であると書かれていましたが、診断書の他に納税証明書を提出しなければなりません。


 2年前は長期病気休暇明けということで年収がずいぶん低かったのですが、今回は同世代のサラリーマンとしては一般的な年収です。

 これで認定されるのかいな?と思いました。

 しかし自分一人が得することを考えていては社会は成り立たないわけで、3割負担に戻ったからと言ってただちに生活が困窮するわけではありませんから、認定されなくても仕方ないかなと思っています。

 支払い能力がある以上、甘んじて受けなければいけませんから。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都日帰り

2013年01月19日 | 仕事

 昨日は京都駅近くのホテルで会議のため、京都へ日帰り出張でした。
 朝8時半に家を出て、帰ってきたのが夜8時。
 自腹を切って往復グリーン車を使いましたが、疲れますねぇ。
 座っているだけなのに、電車というのは不思議と疲れます。
 振動などのため、知らず知らずのうちに体が緊張しているんでしょうね。

 来月22日も京都日帰り。
 疲れますねぇ。

 新幹線の車窓から、米原あたりはかなり雪が降っているのが見えました。
 ほとんどは畑や田んぼなのでしょう、まるで雪原でした。

 東京も京都も晴れていたのに、不思議。

 今日はなんだか疲労が残っているようで、何もする気が起きません。
 労働というのは体に悪いものだと痛感します。

 高度成長期、モーレツ社員という言葉が流行りました。
 バブルのときも、「24時間戦えますか」なんて歌の文句をよく聞きました。

 でも多分、それはそういうポーズを取っていただけのような気がします。
 よほど体力があるか、躁病の人以外、大抵の人は適当に手を抜いてだましだましやらないと、とてもフルタイムで毎日働く生活に耐えれらないような気がします。

 あるいは私が特別仕立ての怠け者なのかも。

 真面目に働いても給料は上がらず、情報革命によって分担する仕事は増える一方。
 それでいて将来に明るい展望が開けない嫌な時代が続いています。
 食うに困るということはないものの、明日は今日より良くなる、という感覚が持てなくなってしまいました。

 先進国共通の悩みなのでしょうが、少子高齢化に伴う社会の縮小がどこまで行くのか、空怖ろしくすら感じます。

 それでも私たちは、日々の雑事を誠実にこなしていく以外、できることはありません。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい加減にしてよ、鳩

2013年01月18日 | 社会・政治

 鳩山元総理、中国に招待されてのこのこ出かけていったようですね。
 「尖閣諸島は係争地」とか言って中国人民を喜ばせたとやら。
 実態は係争地なんでしょうが、日本政府の立場は尖閣に領土問題は存在しない、というもの。
 元総理がそういう建前を忘れてはお話になりません。

 また、南京虐殺を記念する博物館に出かけ、館長の話にいちいちうなづきながら、深く頭を垂れて謝罪したとか。
 南京大虐殺については、そもそもそんなものは存在しない、という者もいれば、数千人規模という者もおり、中国政府は30万人と主張し、真相は藪の中。
 しかし30万人というのは嘘でしょうねぇ。
 なぜなら当時南京にはそれほど多くの人は住んでおらず、皆殺しにしてもおっつかないわけですから。
 白髪三千条のお国柄ですから、なんでも水増しするのがお好きなようです。

 そういう嘘を鵜呑みにして自分が総理の時は領土問題は発生しなかった、と自慢げに言うその姿は、気持ち悪いというより滑稽ですねぇ。

 総理時代、私はこのブログで散々鳩山元総理を批判しましたが、まさか総理を辞め、議員も引退した今になってこんな記事を書くとは思いもしませんでした。

 期待を裏切らないご大層な御仁です。

にほんブログ村 政治ブログ 国政・政局へ
にほんブログ村


政治 ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疲れた

2013年01月17日 | 仕事

 疲れました。

 今月はなんだか残業が多くて疲れます。
 今日は博士論文審査会が長引いて残業になってしまいました。
 先月も残業が多く、今日給料が出て、明細を見て驚きました。
 当たり前ですが、超過勤務手当がついて、いつもより10万円ちかくよけいに貰えました。
 なるほど、用も無いのに残業するやつが後を絶たないわけです。
 私には急ぎの仕事がないのに残業するなんて不可能ですが。

 明日は会議で京都に日帰り出張。
 これも疲れるんですよねぇ。
 前回は往復とも新幹線はグリーン車を取りました。
 それでもけっこう疲れましたねぇ。
 明日ももちろんグリーン車。
 日帰りで、精神障害者の私が京都を往復するとなると、健常者よりも気を使わなければなりません。

 因果な質に生まれついたものです。

 やれやれ。
 


にほんブログ村


人気ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済

2013年01月17日 | 社会・政治

 安倍総理、日本を、とりもどす、をキャッチ・コピーに素早く次々と政策を実行に移していますね。
 このスピード感、民主党政権下では感じられないものでした。

 一番熱心なのは経済問題。
 日本を取り戻すには経済が好転しないと始まらないというわけで、大型の補正予算を準備中です。
 しかし経済規律も重要で、国債を乱発してでも経済を刺激したいというお気持ちは分かりますが、ほどほどにしておいたほうが良いでしょう。

 経済という言葉、明治初期にeconomyの翻訳語として造られたものです。
 経世済民と言う漢語を縮めたもので、本来の意味は、世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。

 これはeconomyとは似て非なるものです。

 わが国で言う経済は、人々を苦しみから救うことを主眼としており、欧米で使われる商業活動といった意味のeconomyとはそのバックボーンが全く異なっています。

 もしかしたら戦前、急速に帝国主義列強の一角に連なっていったのも、戦後の高度経済成長も、わが国が漢籍からとった経済という言葉を生み出したことに象徴されるように、あくまで精神は日本古来のもの、あるいは北東アジア一般のものを保ち続けたからとも言えるでしょう。

 それなら安倍自民党の、日本を、取り戻す、という言葉は、とりもなおさず、わが国古来の伝統文化や価値観を称揚せしめ、その上で実際の政治や経済活動を行うということでなければなりません。

 
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする