わが国の文化は、伝統的にHybrid Cultureだと言われることが多いですね。
適切な日本語が思い当たりませんが、混合文化とか混成文化と言うことでしょうか。
古くは仏教の受容。
これによって、神道を中心としたアニミズムの文化は一歩後退しましたが、神仏習合に見られるように、廃れることはなく、新しい文化である仏教と融合しながら、古い文化も生き残ってきました。
また、儒教を受け入れる際、本場、中国では孝をなにより重んじるのに対して、わが国は意図的に忠ということに重きを置きました。
これは結構大きな違いで、親孝行のためなら人様の迷惑になることも厭わない、という精神性を持つ中国に比べ、わが国は公のために尽くす忠こそ大事であるととらえました。
また、明治期、例えば絵画などでは、欧米風の油絵や風景画がもてはやされましたが、そうかといって伝統的な名所図や浮世絵、襖絵などは廃れることはなく、むしろ欧米風の写実的な手法を取り入れながら独自の発展を遂げました。
古くは和魂漢才、明治期には和魂洋才と言って、進んだ外国に学ぶけれど、精神はわが国独自のものを維持する、という宣言を行ったわけです。
ここに、現在わが国を席捲するヲタク文化などのポップ・カルチャーが花開いた最大の原因があるように思います。
今やわが国のポップ・カルチャーは、世界標準の文化になったとも言え、それはわが国がどんな技術や思想を取り入れたところで、わが国がわが国である国の根本を捨て去ることが無かったからだと言えましょう。
例えばオーストラリアなどの美術館に行くと、アボリジニの芸術を展示するコーナーがあります。
しかし、それら先住民の芸術と、欧米の芸術が交わることはありません。
あくまで世界標準は欧米の芸術であり、先住民のそれは世界標準から外れたカウンター・カルチャーとしての扱いしか受けいていません。
まぁ、一種の差別でしょうねぇ。
しかしわが国は、伝統的な文化と舶来の文化を融合し、世界に例をみないHybrid Cultureを作り上げました。
これは驚愕すべき事態です。
私たちは、Hybrid Cultureを生み出した伝統文化と、素直に学んだ舶来の文化との融合を、より一層、称揚せしめねばなりません。
Hybrid Cultures: Strategies For Entering And Leaving Modernity | |
Renato Rosaldo,Nestor Garcia Canclini,Christopher L. Chiappari,Silvia L. Lopez | |
Univ of Minnesota Pr |