ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

新春能

2013年01月27日 | 文学

 千葉市文化センターで行われた新春能を鑑賞してきました。
 どこかから補助金が出ているのか、2,500円と格安です。

 曲は狂言が「金籐左衛門」
 大蔵流が演じます。

 山賊の金籐左衛門は山道で女を脅して身の回りの持ち物を奪いますが、奪った袋の中の小袖や鏡に見とれて油断しているうちに、女に長刀をこっそり盗られてしまいます。
 逆に女に身ぐるみはがされるという筋書きで、弱い善人が強い悪人をやっつけるという、狂言によくある逆転劇です。


 気楽に観られる喜劇で、悲劇である能と喜劇である狂言とをセットで上演し、双方を総称して能楽と呼ぶわが国の舞台芸術の文化は、極めて洗練されていると言えましょう。
 喜劇と悲劇は裏表ですからねぇ。

 能は、「田村」です。
 金春流井上貴覚がシテを務めていました。
 この人、いわゆる御曹司ではなく、サラリーマンの倅だったところ、高校時代に能の魅力に取り付かれ、法政大学の能楽研究所を卒業してから金春流に弟子入りしたという異色の経歴の持ち主です。
 彼の目の付け所が良かったのは、弱小の金春流に弟子入りしたこと。
 大所帯の観世流や宝生流では、生涯シテを務めることは出来なかったでしょう。
 金春流も彼を看板にすることで、素人にも開かれた流派というイメージで勢力を拡大したいご様子。
 両者の思惑が一致したのですね。

 「田村」という曲は、清水寺を創建した坂上田村麻呂を主人公にしたもので、前段は童子の姿になった田村麻呂の幽霊が登場して、訪れた僧の清水寺の縁起をはなし、夜桜を見るなどし、後半はたくましい武将姿の田村麻呂が観音様のご加護を得て鬼神を退治するなど明るく祝祭的な雰囲気です。



 いわゆる修羅物(殺生に明け暮れる武士は修羅道に落ちるとされ、それを供養する能)ですが、平家などを題材にした負け修羅ではなく、数少ない勝ち修羅で、私は初めて勝ち修羅を鑑賞しました。
 正月ということで、負け修羅は縁起が悪いということになったんでしょうね。

 シテを務めた井上貴覚、童子姿での弱々しい舞と、武将姿での荒々しく激しい舞を見事に分けて舞っていました。
 まだ40代前半ということで、これからますます活躍するであろう能楽師です。

 能を観るといつも思いますが、そのファッション性、舞台の洗練度、緊張感において、世界広しといえども並ぶものの無い優れた舞台芸術です。
 歌舞伎をハリウッドの娯楽作とするならば、能は芸術的な文芸作品といったところでしょうか。
 それぞれに魅力的ですが、美しさという点において、能に勝る舞台芸術はこの世に存在しないでしょうねぇ。

 良い目の保養をさせてもらいました。

田村 (能の友シリーズ (2))
川西 十人
白竜社



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アルジェリアのテロ

2013年01月27日 | 社会・政治

 アルジェリアのテロ事件、犠牲者最後の遺体が無言の帰国を果たし、一応の区切りがつきました。
 これからアルジェリア政府には事件の全容解明を求めなければなりませんが、期待できませんねぇ。
 もともと日本のプラントはアルジェリア軍が護衛していたとか。
 いかに強力なテロリストといえども一国の正規の軍隊が守る施設に攻撃を仕掛けるというのは相当なことで、アルジェリア軍の中にテロリストと内通していた者が存在すると見られているようです。

 アルジェリア政府にとって、それは否定もしくは隠蔽したい不都合な真実でしょう。
 それが事実ならアルジェリア軍は世界中から信頼されなくなります。
 しかしそれを隠蔽すればなおさら信頼されないというジレンマに陥り、アルジェリア政府は事件の幕引きを急ぎたいというのが本音でしょうね。

 わが国のプラントが狙われた理由の一つには、わが国が米国と軍事同盟を結んでいることが挙げられるでしょう。
 理由がそれだけなら、やむを得ないといわざるを得ません。
 しかし米国そのものではなく、英国などのわが国以外の同盟国でもなく、この日本が狙われた理由があるとすれば、それは深く追求し、防止策を取らねばなりません。

 推測ですが、わが国の防衛意識の薄さがあるのではないかという気がしてなりません。

 わが国は世界で最も安全な国の一つと言われ続けてきました。
 また、世界の紛争勃発に際しては、平和憲法を盾に、我関せずとばかり世界平和維持への貢献を怠ってきました。

 いわば一億総平和呆けとも言うべき、ある意味幸せな、浅い眠りのような状態を生き続けて来たことがテロリストに付け込まれたのだとしたら、これは重大な問題です。

 わが国だけが危険極まりない世界情勢から逃れていられる道理はありません。
 平和を祈念するだけでは平和は維持されるはずもなく、テロリストや敵対する国家がわが国に手を出すことをためらうような力を涵養することだけが、人間という好戦的な生き物が支配する世界で生き残る術だと言えます。

 悪魔の論理によってしか平和が維持されないという冷厳な事実を思う時、私は深いため息をつくしかないのです。

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