ある時、40歳を過ぎた女性が、働いた経験もなく、独身を貫き、裕福な親と同居し、多額の小遣いをもらい、スポーツや旅行、芝居や美術鑑賞を楽しんでいる姿を紹介したテレビ番組を放送していました。
それを一緒に観ていた父が、一言、「人生がもったいない」と呟きました。
私は父とは真逆の感想を持ちました。
素晴らしい人生だ、と。
私は食うためにつまらぬ宮仕えに耐え、惚れた女と暮らすためには常識的に籍を入れるのが効率的だと思ってそうしました。
しかしそれが、私に幸福感をもたらしたかと言えば、大いに疑問であると言わざるを得ません。
なるどほど、私は手堅い職場に就職し、安月給ながら食う心配はありません。
また、この人ならば、という相手と入籍し、家庭を築きました。
しかし私は、これらこの世を上手に渡っていくための方途を自ら選んだことに、激しい後悔を感じます。
乞食をやったって食っていくことはできましょう。
家庭を持つなど、自ら重い荷物を背負うようなもので、賢明な者のすることではありません。
要するに私は、おのれ本来の深い欲望よりも、世間体だとか、常識だとかを重視したわけです。
なんという俗物。
私は俗物を馬鹿にしながら、気がついてみたらその俗物になってしまっていたのです。
しかし今さら、どうしろと言うのでしょう。
私は俗物として20年以上擬態して生き続けてしまいました。
もはやそれが擬態なのか本性なのか、それすら分かりません。
このまま黙って擬態を続けるより他、私には今後の生き方が思い浮かびません。
しかし例えば、突如発心して出家するとか、すべてをなげうって行乞の旅に出るとか、そういう精神上の一大決心が私の精神を襲ったなら、私はそれに素直に従いたいと思っています。
酒を飲んだり、女遊びに励んだり、様ざまな好みの耽美的芸術や物語に親しんだり、そういったことはもはや一通り済ませました。
唯一私が心の奥深くで求めながら、実行に移していないことは、この世の真理を探す長い旅であるに違いありません。
いつ私が発心するのか、それを待ちたいと思っています。
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方丈記 発心集 歎異抄 現代語訳 |
三木 紀人 | |
学灯社 |