今日は朝から憂鬱感、悲哀感がひどく、なんとか出勤はしたものの、動作が鈍いのが自分でも分かり、仕事の手順もいつものように手際よくいかず、これでは使い物にならん、と思って午後から休暇を取って帰宅しました。
よくうつ病患者は雨や冬が苦手だと言われます。
私の知り合いのうつ病患者にも、雨の日は起き上がることすらできない、と嘆く人が何人もいます。
私は雨や冬はなんとも無いのですが、どうも春の気配が苦手なようです。
春愁なんていう言葉があるくらいですから、春になるとなんとなく憂鬱になる人はけっこう多いのではないかと邪推します。
おそらくわが国で最も有名な辞世は西行法師の、
願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
だと思います。
西行法師は死体が隠れてしまうほどの花吹雪を思い描いていたのでしょうか。
月を求め、花に狂った日本的美意識の塊の人だったように思います。
願いどおり、73歳の春、亡くなりました。
一方、春愁という言葉は、春愁秋思という表現で、白楽天の陵園妾に見られます。
春には愁いを感じ、秋には物思いに沈むということかと思いますが、私はどちらかというときらびやかな花鳥風月を愛でる感覚よりも、春愁秋思の心性に強いシンパシーを感じます。
一昨日あたりから首都圏は急に気温が上がり、春めいた日が続いています。
その春の瘴気が、私をして憂鬱や悲哀に陥れたものと推測します。
しかしそれなら、春をやり過ごせばいいだけで、今は精神病薬という強い味方がありますから、きっと私は大丈夫でしょう。
私は真冬、土も凍る北国で、亡くなりたいと願っています。
寒さゆえの清潔さが、この上なく好ましく感じられます。
北国の冬は死の季節。
死の季節に自らの死を望むことは自然なことのような気がします。
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