今日は昨日と打って変わって静かに家内にて過ごしました。
今日も気温は高けれど、強風吹きすさび、明日からの仕事の明け暮れに暗い影を落とし、私の心は陰鬱に沈みました。
陰鬱を晴らすのに、運動、酒、寝逃げなどさまざまな方法がありますが、最も即効性があり、しかしその場しのぎでしかない、かねて親しみ続ける詩歌へと逃避しました。
我らは神秘を尊び、夢幻を歓び、そが腐爛したる頽唐の紅を慕う。
哀れ、我ら近代邪宗門の徒が夢寝にも忘れがたきは青白き月光のもとにすすりなく大理石の嗟嘆也。
明治末期、北原白秋が発表して当時の詩の愛好者を驚愕せしめた「邪宗門」の冒頭部分の一部です。
邪宗門とはキリスト教のこと。
当時、西欧の浪漫文学にかぶれた北原白秋が、キリスト教徒という意味ではなく、キリスト教をバックボーンに持つ西欧の文化に心酔する者というほどの意味で、我ら近代邪宗門の徒、と名乗ったと思われます。
この詩集の冒頭部分にかくのごとき一文を高らかに示したことに、耽美主義を標榜する北原白秋の高揚が感じられ、熱にうかされたかのような後に続く詩の数々を予感させます。
この自己陶酔にも似た詩編は、冷静な時であれば鼻につきもしましょうが、春の瘴気と日曜日夕刻の憂愁に沈む身であれば、いっそ麻薬にも似た作用で私の心を強引に持ち上げてみせます。
異国への憧れが強く出て、それを強調するためにポルトガル語を多用したその詩群は、日露戦争後の自国への自信回復を持ってしても、当時の人々に強い衝撃を与え、近代日本人がはかなくも邪宗門の徒であるしかないことを、意識せしめたに違いありません。
わが国は第二次大戦の敗北によって、再び自国への自信を喪い、邪宗門の徒になったでしょうか?
私は反対の効果があったように思います。
深い敗戦の悲しみは、耽美主義的傾向を持つ芸術家らを、むしろ伝統的な日本文化に回帰せしめました。
その悲しみは、素朴に戦勝国の文化を憧憬するには、あまりに深すぎたのでしょう。
その点明治期の邪宗門の徒は、むしろわが国の国威発揚と機を一にしていたような気がしてなりません。
そういう明るさが、憂鬱な私を高揚せしめるのでしょう。
少し脳内麻薬が出たところで、湯にでもつかりましょう。
そしてわずかな酒でも飲むとしましょうか。
これら異国情緒に憧れる詩群に接した後では、むしろ葡萄酒かウィスキーが相応しいかもしれませんが。
先ほど蛸ぶつと本マグロの中トロを買ってきたので、このつまみには酒でしょうねぇ。
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北原白秋詩集 (新潮文庫) |
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