Sunday Song Book #936

2010年09月12日 | Sunday Song Book

<09月12日プレイリスト>
[「JACK KELLER(ジャック・ケラー)特集 Pt.1」]
ONE WAY TICKET(TO THE BLUES)/NEIL SEDAKA '59
JUST BETWEEN YOU AND ME/THE CHORDETTES '57
BEATS THERE A HEART SO TRUE/PERRY COMO '58
EVERYBODY'S SOMEBODY'S FOOL/CONNIE FRANCIS '60
MY HEART HAS A MIND OF ITS OWN/CONNIE FRANCIS '60
RUN TO HIM/BOBBY VEE '61
PLEASE DON'T ASK ABOUT BARBARA/BOBBY VEE '62
VENUS IN BLUE JEANS/JIMMY CLANTON '62
HOW CAN I MEET HER/THE EVERLY BROTHERS '62
GOTTA HAVE YOUR LOVE/THE SAPPHIRES '65
EASY COME, EASY GO/BOBBY SHERMAN '70
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■内容の一部を抜粋
・近況
あいかわらず番組は前倒しで収録しているそうだ。9月は、これまでずいぶんツアーをやってきたが、今までいちばんタイトなスケジュールかもしれないとタツローさん。9月は東京に帰れるのが数日しかなく、ひたすら地方を廻ってるとか。先週は新潟、仙台で、無事終わってるはず。今週は14日(火)、15日(水)が広島、週末18日(土)、19日(日)は神戸。

・「JACK KELLER(ジャック・ケラー)特集 Pt.1
ソングライター特集。アルドン、スクリーン・ジェムズのスタッフ・ライター。これまでアルドン、スクリーン・ジェムズはバリー・マン/シンシア・ワイル、キャロル・キング/ジェリー・ゴフィン、そしてヘレン・ミラーとやってきた。スクリーン・ジェムズ関係は今回で四弾目となる。ヘレン・ミラーなみにジャック・ケラーも日本では知名度がないけれど、「この曲はジャック・ケラーの曲だったのか」という驚きがあると思う、とタツローさん。知名度がないいちばん大きい理由は100%完璧な作詞のパートナーが得られなかったこと。そういう意味ではヘレン・ミラーとよく似ている。世代はヘレン・ミラーより遥かに下でバリー・マンとかニール・セダカといった人に近い。ブルックリン生まれのニューヨーカー、ジャック・ケラー。偉大なるポップのソングライター。

・ONE WAY TICKET(TO THE BLUES)
ジャック・ケラーの作品で日本でいちばん有名な曲。1959年、ニール・セダカの出世作「OH! CAROL」のB面に入ってた曲「ONE WAY TICKET(TO THE BLUES)」(「恋の片道切符」)。

・ジャック・ケラー
1936年11月11日、ニューヨークのブルックリン生まれ。父親は大学卒の会計士で夜はアコーディオン・ミュージシャンとしてニュージャージーのダンスバンドで働いていた。その後会計士をやめてミュージシャンに専念。ジャック・ケラーも11歳からピアノを学びはじめるが、1952年に彼が15歳のときに父親が急逝したため、学校の後、カメラ修理屋で働くという苦労をすることになる。父親の急逝がミュージシャンを選ばせたという背景がある。彼の友達、ポール・カウフマン(のちに作曲家になったが、いちばん有名なのはジョニー・ティロットソンの『POETRY IN MOTION』)にアコーディオンを教えて、自分はピアノで合奏して、16歳のとき、1953年にダンスバンドのピアノ弾きで週給15ドル、これが音楽の商売のはじまり。

・JUST BETWEEN YOU AND ME
1955年に人のつてを頼って、当時の作曲家の殿堂、ブリル・ビルディング(アルドン、スクリーン・ジェムズもこの中にあった)に出入りするようになり、曲の売り込みをはじめる。そのときに紹介されたキャシー・リンという作詞の女性と組んで書いた曲「JUST BETWEEN YOU AND ME」が、1957年に白人の4人組のコーラス・グループ、コーデッツに取り上げられて記念すべき初ヒット。全米チャート8位。

・BEATS THERE A HEART SO TRUE
「JUST BETWEEN YOU AND ME」のヒットをきっかけにプロのソングライターとして生きていこうと決める。プロのソングライターとしての心得を教えてくれた最大の恩人がノエル・シャーマン。ノエル・シャーマンは兄弟のジョー・シャーマンとソングライター・コンビを組んでいたが、兄弟仲が悪く、作詞を担当していたノエル・シャーマンは作曲家を物色していた。ノエル・シャーマンはジャック・ケラーを自分の弟のようにかわいがり、ジャック・ケラーはノエル・シャーマンから作曲のノウハウを学んだ。ペリー・コモの1958年のシングル「BEATS THERE A HEART SO TRUE」はタツローさんがジャック・ケラーの初期の最高傑作だという作品。ティーンネイジャーの文化はロックンロールの全盛期だったので、この頃バディ・ホリーらが亡くなり、エルヴィスが入隊して、ロックンロールが急速に衰退してゆくが、大人はまだこういう一時代前の音楽を聴いていた。

・EVERYBODY'S SOMEBODY'S FOOL
・MY HEART HAS A MIND OF ITS OWN
ジャック・ケラーは1959年にアル・ネヴィンズとドン・カーシュナーが経営していたアルドン・ミュージックという会社と契約する。この時代からロックンロールに代わりアイドル歌謡が世の中に出てくる。アイドル歌謡を一手に引き受けて大成功を収めたのがこのアルドン・ミュージックだった。ニール・セダカの「ONE WAY TICKET(TO THE BLUES)」はこの時代の作品。ニール・セダカはシンガー・ソングライターだから自分で曲を作ってヒット曲をたくさん出すことになる。その作詞のパートナーのハワード・グリーンフィールドはニール・セダカがツアーに出ている間は暇になる。なのでいろんな人に詞を提供することになる。その中でいちばん成功したのがジャック・ケラーとコンビを組んだときだった。1960年に記念すべきNO.1が2曲立て続けに生まれる。コニー・フランシスに提供した「EVERYBODY'S SOMEBODY'S FOOL」と「MY HEART HAS A MIND OF ITS OWN」。

・RUN TO HIM
ジェリー・ゴフィンとのコンビでボビー・ヴィーに提供した「RUN TO HIM」が1961年全米2位のヒット。

・PLEASE DON'T ASK ABOUT BARBARA
ビル・ブキャナンとのコンビでボビー・ヴィーに提供した「PLEASE DON'T ASK ABOUT BARBARA」が1962年全米15位。

・ウィスキーが、お好きでしょ
サントリー「角瓶」のCMに使われているまりやさんヴァージョンの「ウィスキーが、お好きでしょ」がシングル「ウイスキーが、お好きでしょ」として11月3日にリリースされることになった。CMヴァージョンの着うた、着うたフルが9月8日水曜日から先行してレコチョクで配信されている。CDにはCMのアレンジ・ヴァージョン、服部克久さんが編曲したオーケストラ・ヴァージョンと、さらに服部克久さんが編曲したもうひとつのオーケストラ・ヴァージョン(英語詞)が入る。今回の「ウィスキーが、お好きでしょ」は石川さゆりさんヴァージョンの歌詞を一部加筆しているリニューアル・ヴァージョンになるそうだ。作詞は田口俊さん、作曲は杉真理さん。

・100年MUSIC FESTIVAL
10月30日、31日に日本武道館で行われるワーナーミュージック・ジャパンの40周年のイベント「100年MUSIC FESTIVAL」の31日(日)の公演にタツローさんとまりやさん参加。

・souvenir again 竹内まりや LIVE 2010
TOKYO FM fm osaka 30周年記念イベントから10年。40周年の記念イベントとして「ケンタッキーフライドチキン Presents TOKYO FM/FM OSAKA 開局40周年記念スペシャル souvenir again 竹内まりや LIVE 2010」が開催されることになった。12月3日(金)、4日(土)が日本武道館、12月21日(火)、22日(水)が大阪城ホール。東京、大阪二日ずつの全4公演。オープニング・アクトはBOXとセンチメンタル・シティ・ロマンスが一日ずつ交代で務める。
http://w1.onlineticket.jp/tkt13/web/mariya-live/index.html

・VENUS IN BLUE JEANS
1962年の全米7位、ジミー・クラントンの「VENUS IN BLUE JEANS」は日本でも大変有名な曲。邦題は「ブルー・ジーン・ビーナス」。このシングルが出た当時のクレジットはハワード・グリーンフィールド/ニール・セダカとなっていたそうだ。大滝詠一さんの「風立ちぬ」の元ネタ。タツローさんはジャック・ケラーとエリー・グリニッチが大滝さんのソングライティングにいちばん影響を与えたソングライターじゃないかと思ってるそうだ。

・HOW CAN I MEET HER
1962年にエヴァリー・ブラザーズに提供した「HOW CAN I MEET HER」はジェリー・ゴフィンの作詞。

・GOTTA HAVE YOUR LOVE
1963年にドン・カーシュナーはアルドン・ミュージックをコロンビアに売却する。このときにスクリーン・ジェムズ・コロンビアという出版社に名前が変わった。これがきっかけとなりジャック・ケラーはニューヨークからロサンジェルスに居を移す。ここからヒット・ソングよりテレビ番組の音楽に深く関わるようになる。1963年以降はアイドル歌謡のヒット曲が減ることになる。サファイアーズという男女混成の3人組に提供した「GOTTA HAVE YOUR LOVE」はトニー・パワーズとの共作。1965年、全米77位。R&Bチャート33位。

・EASY COME, EASY GO
ボビー・シャーマンの代表作「EASY COME, EASY GO」は日本でもヒットした曲。1970年、全米9位。

ジャック・ケラーはあまり欲がない人でL.A.に移ってからはヒット曲を出そうという感じがしない。1980年代にはナッシュビルに移るが、自分がヒット・ソング・ライターだと声高にアピールしていない。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係
■今後の予定
09月19日は、「ソングライター JACK KELLER(ジャック・ケラー)特集 Pt.2」
http://www.smile-co.co.jp/tats/
コメント (3)
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