Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

帰れる場所とかけがえのない人。

2017-05-31 15:45:33 | アメリカ生活雑感
歌を忘れて、もうかれこれ1年半になる。
最後に人前で歌ったのは、2015年のクリスマス。それを最後に「歌ひきこもり」生活に入り、ボーカル仲間たちともすっかりご無沙汰になってしまっていた。
ときどき「歌いにおいでよ」と天岩戸をこじ開けようとする仲間から電話がくるけれど、どうしてもそんな気になれなかった。
歌いたいというパワーすら湧いてこぬまま、間があくと余計に憶病になって行きたくなくなる、そんな悪循環の日々だった。
というわけで、ここ数年は音楽は「聴く専門」という生活。

そんなある日、なんとなくきいていたラジオから、今晩家の近所のよく昔歌いに行っていたBarにビッグバンドが来るという情報が流れてきた。特に予定もなかったので気晴らしにPちゃんと一緒に出かけてみようということになった。

そこに行くのには、もうひとつ理由があった。
かれこれ1年半も会っていない、大好きな夫婦に会える気がしていたから。

リチャードとシルビア。
リチャードは6歳の時から歌っている筋金入りのシンガーで、御年89歳!
83歳のシルビアとは再婚同士で、リタイア後は毎晩のようにふたりで外食を楽しみ、リチャードがときどき飛び入りで歌うのを楽しみにしている素敵な老夫婦。
彼らのダンスはプロ級で、他の追随を許さぬほど素敵なのだ。

このふたりは昔から私たちのことをとてもかわいがってくれていた。とても気にかけてくれていたのに、何も言わぬままぱったりと会わなくなってしまっていることにずっと心が痛んでいた。
今晩ここに行けば、必ず彼らはいるはず。そう信じていた。



店に入ったらすぐに、彼らがテーブルで食事をしているのが見えた。
目と目があった瞬間、ふたりが私たちめがけて飛んできた。
そのあとは、無言でただ長い長いハグ。
今迄の時間を埋めるかのような、温かいハグ。

色々と事情を説明し、これまで音信不通にしてしまっていた無礼を詫びた。
ふたりはやさしく私を見つめて、母のお悔やみと「よくがんばったね」とねぎらいの言葉をかけてくれた。

肉親を見送るのはつらい経験だったけれど、母は精いっぱい生きた。母は死をもって、残された私たちに今を精いっぱい生きる事を伝えたかったのだと思う。私も生かされている意味を実感した、と話したら、涙を浮かべて深くうなずいてくれた。

今も現役で素晴らしい歌声を聴かせてくれるリチャードは、この11月で90歳を迎える。
なんでそんなに元気なの?と聞くと、
「いいかい、体がいくつトシをとるかじゃないんだよ。年齢は数字でしかない。トシがどう行動にあらわれるか、なんだよ。」
とお茶目にウィンク。

1927年生まれ。もちろん戦争経験者だ。
日本には終戦直後、GHQのスタッフとして札幌に赴任し、数年を過ごした。そこで触れた日本人のふるまいや日本文化にとても感動した、その時のことを忘れない、という。

「日本人もアメリカ人も、みんな同じ人間同士なんだ。つくづく、思う。戦争とはなんと浅はかなことなのか、とね。あんなに殺し合いをしたドイツ人や日本人は、今ではアメリカ人にとってかけがえのない友人なのだから」

こうして取りとめのない話をしつつ、素敵な夜はおしゃべりとともにふけていった。

「今夜は会えて本当にうれしかったよ。また歌いにおいで。毎週待ってるからね。11月には90歳の誕生Partyをするからふたりで是非来るんだよ」


彼らに私の父を合わせるのが当面の目標。リチャードに比べれば、父もまだまだ若造?
今夜、思いたってここに来て本当によかった。



ヘン顔で今晩の記念撮影



2015年のクリスマス
リチャードとシルビア



今はこんな気持ち。
「ごめんよ、僕にはまだ帰れる所があるんだ。」 (アムロ・レイ)
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