前から見たかった映画『父と暮らせば』の特別上映会を、満を持して見に行った。
劇団こまつ座の座付き作家の井上ひさしさんが書き下ろしたこの作品は、1994に初演からこれまでに、すまけい・梅沢昌代、前田吟・春風ひとみ、沖恂一郎・斉藤とも子の三組の、珠玉のようなキャストによって、八演計269回の上演を重ねた不朽の名舞台。北海道から沖縄まで、全国111カ所を巡演し、1997年のフランス、2001年のモスクワ公演でも盛大な喝采を浴びた。
昭和23年、広島の原爆投下から3後の広島。生き残った後ろめたさから幸せになることを拒否し、苦悩の日々を送る主人公・美津江。父・竹造に励まされ、悲しみを乗り越え、未来に目を向けるまで4日間の物語。
娘・美津江役には、宮沢りえ。父・竹造役には原田芳雄。美津江の恋の相手、木下正役に浅野忠信、という超演技派ぞろいだ。
ともすると暗く重くなりがちなテーマを、あくまでも父と娘の二人だけの会話を中心としたある種ユーモラスともいえる手法でたんたんと語り、しかし、心にずしり何かを残していく。
ヒロシマ・ナガサキを語れる世代もすでに高齢化し、日本ではもはやこの悲惨な体験自体が風化していくのではないかという危機感が私の中にも高まっていた。
とかくいやなことは早く忘れましょう、被害者面するのはもういいかげんにやめましょう、という意味のない協調路線が蔓延しているような気がしていた。
一緒に見に行った30年来の親友も、「今度娘をつれてヒロシマに行こうと計画してるんよ。だって最近は修学旅行でヒロシマにもナガサキにも行かへんし、学校でも原爆のことあまり教えてないんやもん」と言っていた。
私たちは中学時代の修学旅行でナガサキに行き、原爆記念館を訪れた。あのときの衝撃は30年経とうという今でも二人の中にいまだ鮮明に残っている。
こうやって親がきちんと問題意識を持って次世代に教育としてつなげていくことこそが、今日本の教育で一番望まれていることではないだろうかと思う。
この戯曲の前口上で、井上さんはこのように語っている。
■ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアに対して加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
しかし前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。どうかご覧になってください。
劇団こまつ座の座付き作家の井上ひさしさんが書き下ろしたこの作品は、1994に初演からこれまでに、すまけい・梅沢昌代、前田吟・春風ひとみ、沖恂一郎・斉藤とも子の三組の、珠玉のようなキャストによって、八演計269回の上演を重ねた不朽の名舞台。北海道から沖縄まで、全国111カ所を巡演し、1997年のフランス、2001年のモスクワ公演でも盛大な喝采を浴びた。
昭和23年、広島の原爆投下から3後の広島。生き残った後ろめたさから幸せになることを拒否し、苦悩の日々を送る主人公・美津江。父・竹造に励まされ、悲しみを乗り越え、未来に目を向けるまで4日間の物語。
娘・美津江役には、宮沢りえ。父・竹造役には原田芳雄。美津江の恋の相手、木下正役に浅野忠信、という超演技派ぞろいだ。
ともすると暗く重くなりがちなテーマを、あくまでも父と娘の二人だけの会話を中心としたある種ユーモラスともいえる手法でたんたんと語り、しかし、心にずしり何かを残していく。
ヒロシマ・ナガサキを語れる世代もすでに高齢化し、日本ではもはやこの悲惨な体験自体が風化していくのではないかという危機感が私の中にも高まっていた。
とかくいやなことは早く忘れましょう、被害者面するのはもういいかげんにやめましょう、という意味のない協調路線が蔓延しているような気がしていた。
一緒に見に行った30年来の親友も、「今度娘をつれてヒロシマに行こうと計画してるんよ。だって最近は修学旅行でヒロシマにもナガサキにも行かへんし、学校でも原爆のことあまり教えてないんやもん」と言っていた。
私たちは中学時代の修学旅行でナガサキに行き、原爆記念館を訪れた。あのときの衝撃は30年経とうという今でも二人の中にいまだ鮮明に残っている。
こうやって親がきちんと問題意識を持って次世代に教育としてつなげていくことこそが、今日本の教育で一番望まれていることではないだろうかと思う。
この戯曲の前口上で、井上さんはこのように語っている。
■ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアに対して加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
しかし前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。どうかご覧になってください。
要約すると、
「殉教者」というのはすべからく暴力の犠牲者であると私は定義する。日本の殉教者の里である長崎に原爆は落とされ、何万人もの人々が暴力の犠牲となった。しかし一方で、日本はアジアの各地で暴力の犠牲者を生み出してもいた。私たちは、この中で、自身が暴力の犠牲者として十字架で死なれたイエスのfollowerとして、これらの暴力の犠牲者、すなわち無名の殉教者の人生を思い起こすべきではないか。
というような話をしたのでした。
さすがにバークレーの神学校だけあって、多くの人からはポジティブな反応が返ってきましたが、同時に従軍経験を持つ学生たちも少なからずいて、そういうひとたちからは通り一遍の挨拶以上のものは返ってきませんでした。
この経験を思うに、最近の「日本の戦争責任を追求するのは歴史を痛めつけていることだ」という風潮には強くNOを言いたいと思っています。なぜならば、そのような風潮こそが、日本が人類史上唯一経験した原子爆弾の被害について声をあげる機会を失わせるからです。
日本は、原子爆弾の「被害者」として、これからも力の限り核兵器にNOを言い続けなければなりません。そして、そのためには自らの戦争責任を明確に認め、非を非として受けとめることが不可欠なのです。これを妨げる右翼的な行動すべては、私に言わせれば「非愛国的」な行動です。
ちょっと熱くなってしまいました。ご容赦下さい。
こういうご意見があると書いたかいがあるというものです。
この戯曲がこのたび「The Face of JIZO」として翻訳されました。私はこの本をアメリカにいる友人に送ろうと購入しました。映画を見てから読んでみると、また心に響きます。
よろしければコレクションにお加えください。
http://www.jpf.go.jp/j/culture_j/news/0407/07-07.html