Life in America ~JAPAN編

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ファミリーヒストリー ~仲代達矢とふたりの女

2019-08-10 00:54:12 | ニッポン生活編

人と会って話をするたび、「どうしてその人物が作られたのか?」ということに果てしなく興味をそそられる。
しかも、興味をそそられる対象は「素晴らしくいい人」よりも「普通でない人」や「信じられないくらい意地悪な人」だったりすることが多い。
どうして“そうなっってしまったのか”を追究していくと面白いものが見えてきたり、過去や家庭環境に共通点が見つかったりするからだ。

それもあってか、私はNHKの「ファミリーヒストリー」と言う番組が大好き。
アメリカでは「Finding Roots」というPBSの番組をよく見ていた。
どちらも自分のルーツを探るというもの。

先日のファミリーヒストリーのゲストは、俳優の仲代達矢さんだった。
86歳。父と同じ年だ。
仲代さんの父は、農家の長男でありながら東京に出て自力で商売を始めた人。当時、農家を巡る国の政策が大きく変わりつつあり、農民運動が活発化していた。その動きの中で農家の行く末を察知した父は新天地を求めて家を出たのだろう。
ポリティカルなジャッジができる、頭の良い人だったのだろう。この話を初めて聞いた仲代さんも「父に対する尊敬の念が湧いてきた」と話していた。

さらに、仲代さんが最後まで「愛子」と呼んでいた実の母親とその家系が、すさまじい。
愛子の父(仲代さんの祖父)は日露戦争終結後の明治42年、清国にわたり軍部の指令で歩きながら測量地図を描いていた「スパイ」だったが、農民につかまりその後処刑されるという壮絶な人生だった。

第二次大戦で東京が大空襲に見舞われたとき、当時11歳だった達矢少年は火の粉を浴びながらひとりの見ず知らずの少女の手をとって夢中で逃げた。
次の瞬間。彼が握っていたのは少女の腕だけだった。

「あの子は自分の身代わりになって死んだ」その思いと握った少女の手の感触がずっと頭から離れず、今まで誰にも言わずに生きてきたのだとと涙した。

そして、終戦。

「1日を境にして、大人どもが急に親米派になった。国のために死ねと言っていた大人どもが、平気なゆるきゃらになって生きている。大人に対する不信感が未だにあります」
仲代さんの役者としての普遍のテーマである「人間はどう生きるべきか」は、この少年時代に築かれたのだろう。

仲代さんの妻で、当時人気女優だった宮崎恭子さんは、「男に惚れるようじゃ役者としては失格」と、仲代さんと結婚して潔く女優を引退。
無料の俳優養成所、「仲代劇堂」(のちの無名塾)を設立し、多くの逸材を送り出した。

ふたりの強い女の存在が、「仲代達矢」を作り上げたのだ。


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