Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

いくつになっても、ひな祭り。

2018-03-04 17:00:13 | アメリカ生活雑感
昨年発足した「シカゴ和風(Wafu)クラブ」の有志メンバーで、お雛祭りディナーにでかけた。
なんてことない、たまには着物を来てシカゴを意味もなくぶらぶらしてみましょう、という趣旨で発足したゆるーいクラブで、着物愛にあふれていることだけが、条件。
去年もこのひまなつりディナーが最初のイベントだった。

そのあと、「フランクロイドライトのスタジオ見学」やら「クリスマスのアフタヌーンティー」やら、何かと出動する機会も多く、
そうやって着物と格闘しているうちにだんだんと着付けもひとりでなんとかこなせるようになり、
そのうち小物の組み合わせなどにも気が配れる余裕も生まれた。
母が大切にしていた着物や帯も昨年数枚持ち帰り、シカゴで母の代わりにせっせと着てあげられるのもうれしい。


今回の「ひなまつりディナー」も、昨年と同じくシカゴの高級住宅街リンカンパークにある隠れ家的寿司店、「NAOKI SUSHI」。
オーナーシェフ、ナオキさんの奥方が和風クラブのメンバーというご縁。

その美しいスペシャルメニューをいただくひとときだけは、自分の身分を忘れてしまうのだった。




10年前の御嬢さんたち(笑)
普段は各々の仕事で忙しい面々がこういうときはゆっくりと他愛もないおしゃべりをしつつゆったり。


最近髪をバッサリ切ってさっぱり。



 
 
 




母が大好きでよく着ていたクリ―ム色の訪問着。椿の模様の帯と合わせて。
コートは先日家の近くで買い求めた梅柄。ちょっとかわいすぎるけどいいとしよう。

「永遠に生きるように学べ。明日死ぬように生きろ」

2018-03-04 15:10:13 | アメリカ生活雑感
オリンピックが終わってようやく我が家も落ち着きを取り戻した感じ。
オリンピックに何の興味も関心もないPちゃんと距離を置いてゆっくりゲームを堪能しようと、オリンピックのときには必ず帰省していたのだけれど、今回はそうもいかず。
ちょうどよかったのは、韓国(平昌)との時差のおかげで、こちらの昼間はあちらの夜中。
昼間は競技を気にせずに仕事することができて、一段落して飲みモードに入ったシカゴ時間午後7時あたりからちょうど競技が始まる、というパターン。

ただ、フィギュアスケートにしたってスキージャンプにしたって、日本人が大活躍しそうな競技でかつアメリカが金メダルをとれそうもない競技はライブ放送から抹殺されるのが口惜しい。
机にコンピュータを置き、中国の海賊チャンネルで日本のテレビでオリンピック生中継を見るというダブルチャンネル状態が日課になった。

考えても見れば、アメリカがオリンピックに送り込んでいる選手の数だけみても日本とは雲泥の差。
その各々でメダル候補がいるのだから、すべてをライブ中継するのが無理というもの。だからライブで金の瞬間を見せるのは、アメリカの選手のなかでも「特別なドラマを持つ大スター」ということになる。

その大スター様の中でも別格は、
ショーン・ホワイト(スノボ)
リンゼイ・ボーン(アルペン)

かなりランクは下がって
中国系のネイサン・チェン(フィギュア)→金候補と大騒ぎしたけどSPで16位と脱落し、一気に報道が冷めた(笑)
韓国系のクロエ・キム(スノボ)


ショーンとリンゼイは、「過去の栄光と怪我での挫折というドラマ」が共通している。
ショーンが金を取る瞬間の大騒ぎはすごかった。日本人のちっちゃいアユム(平野歩夢)がどんなにすごい技でプレッシャーをかけても、あのスター・ショーンの復帰劇と超大げさなリアクションで全てがふっとんでしまう。
そう、このスポーツはアピールしたほうが勝ちなのだ。
そもそもウィンタースポーツの祭典は北欧のお金持ちのために始まったわけで、アジア人が活躍をみせるとあの手この手をルールを変えてくるのはわかっている。ハーフパイプのような「採点もの」には勝てないようになっている。

リンゼイは過去の大けがで8年間のブランクがあったものの、見事にオリンピックに復帰。
復帰するだけでもすごいのに、この層の厚いアメリカの代表になるのだから、彼女の根性には頭が下がる。
ただの「タイガー・ウッズの元カノ」ではなかったのだ。
世の中が「復帰金メダル」を熱望していたけれど、3種目を闘ってようやく滑降で銅メダルを獲得、「素直にうれしい」と涙し、彼女の涙にこちらがまた涙した。


日本人としては一番見たかったスキージャンプやスピードスケートなどは、アメリカ的にはどうでもよく(金メダル候補もいない)、放送時間早朝5時。さすがに目覚ましをかけて起きるほどの根性もなく、翌朝あわててネットで結果を知るという盛り上がらなさ。
結果、そのスケート陣の活躍を中心として、日本はメダル13個という過去最高の成績に終わったという。

ああ、でもなんだこの妙な余韻は?
オリンピックのたびに思うのだけれど、日本はなんであんなに大勢のコメンテーターをつけて大騒ぎするのだ?
選手の周りを嗅ぎまわって“ネタ”を拾うことに躍起になって、メダルをとったらまたお祭り騒ぎ。
羽生選手も宇野選手も金銀メダルでめでたいけれど、田中選手はもう影さえ消されてしまった。
沙羅ちゃんも銅メダルとれたからよかったものの、もし逃していたらさんざん「メークして色気づいたんじゃないの」とかバッシングされていたにちがいない。

唯一うれしいことは、昨今の若い選手たちがオリンピックを特別なものではなく国際大会のひとつ(気持ちだけは)と割り切り始めていることだ。
まちがっても「国をしょって立つ」などというばかげた考えがなくなってきていることが、強さの原因かもしれない。
科学者がノーベル賞目当てに研究をしているわけではないのと同じく、選手たちは自分たちの技を、最高の演技を、最高のタイムを、自分をコントロールしつつ最高のコンディションでやりきることが一番大切なこと。
オリンピックという“点”に、そのコンディションをどう調整してくるかで勝負が分かれる。

だから、「一番いいジャンプ」をここ一番でできた沙羅の涙は美しかったし「まだまだ金メダルを取れる器ではないことがわかった」と言い切れた。
メダルはとれずとも、自己ベストを更新した宮原知子や初出場の坂本佳織はすがすがしい笑みを浮かべていた。
(「残念な結果におわりましたが」と開口一番インタビューで言ったアホのインタビュアーにはあきれはてたが。松岡修造は「自己ベストで自分を超えた。おめでとうと言いたい」と切り出し、アスリートとしてのリスペクトを見せた。)

そして、日本のマスコミは依然と成長しないまま。
ちょっと見栄えのいい選手を「美人アスリート」ともちあげ、そうでもない人はガン無視。リスペクトのかけらもない。
「カー娘」などと変な愛称をつけて追い掛け回し、スノボの「美人選手」は芸能界入りかと騒ぎ立てる。
ある意味、日本のバカ騒ぎの中で見なくてかえってよかったかもしれないとさえ思う。

とまれ、彼らからはいろんなことを教えてもらった。
いちばんぐっときた言葉は、スケートの小平奈緒選手の言った、彼女の大切にしている言葉。


「永遠に生きるように学べ。明日死ぬように生きろ。」



アスリートは自分自身と闘っている孤独な生き物。
スポーツで真剣勝負をしたことも、自分と闘ったこともない人にはうわべだけの言葉に聞こえるのかもしれないけれど。
彼らの言葉には、国境を越えて説得力がある。