最近、シカゴに移ってきたときのことをよく思い出す。
バークレーから荷物を車に詰め込んで、1週間かけてアメリカを横断したときに見た風景。あの空気。
あれからほぼ5年。
当初の予定だった3年という期間を更新するたびに、心のなかでほっとしていた。
それほどまでに、もうここは私にとって大切な土地になってしまった。
離れたくない、そう思い始めた時にPちゃんの研究施設が閉鎖するという思いもかけないニュースを聞くことになる。
この研究施設は長い歴史に幕をおろし、働いていた研究者たちは別の研究施設に移るか、
別の研究課題に移るか、という選択を余儀なくされた。
このあたりはさすがにアメリカ的で、閉鎖と決まったらもうあっという間にさっさと後始末に入る。
その早さについていけないPちゃんは、ずっと心を閉ざしたままだ。
私たちの労働ビザが切れるのは、5月4日。
それから30日間10日間のみ、猶予期間として「国外に出るための準備期間」が認められている。
その後はいわゆる観光ビザに切り替わり、滞在できるのは3か月間。
つまり遅くとも9月3日には国外に撤去せよ、ということである。
とはいえ、私たちにとって行く先はどこにもない。
この日が来ることはわかっていたけれど、「仕事先がなくなる」という、こちらの意思とは関係ないところでこの日を迎えるとは思いもよらなかっただけに、ショックは大きい。
しかし、そもういっていられない。
私はここが好き。
シカゴという町にすっかり魅せられてしまったし、ボランティア仕事ながらも地元メディアの編集責任者という仕事も始めたばかり。
日米いろいろな人脈もでき、心を許せる友達や音楽仲間もたくさんできた。
今ここをおめおめと離れるわけにいくものか、という気持ちが心の奥底から湧いてくるのを押さえることができない。
小さいながらも住む家もある。
ここであとしばらく踏ん張れるように手立てを考えなければ、と思う。
結婚してからずっと、私に好きなことをさせてくれたPちゃんに、今度は私が恩返しをする番だ。
労働ビザを発給してくれる仕事を探す、もしくは大学で学位を取る(Studentビザ)か。
この2者選択である。
日米交流に加えて、将来は教育の道にも進みたいと考えていたので、
ここは一から学び直せ、という神のお告げかもしれぬと思ったりもする。
とにもかくにも、ここ数か月が勝負だ。絶対にあきらめないぞ!
バークレーから荷物を車に詰め込んで、1週間かけてアメリカを横断したときに見た風景。あの空気。
あれからほぼ5年。
当初の予定だった3年という期間を更新するたびに、心のなかでほっとしていた。
それほどまでに、もうここは私にとって大切な土地になってしまった。
離れたくない、そう思い始めた時にPちゃんの研究施設が閉鎖するという思いもかけないニュースを聞くことになる。
この研究施設は長い歴史に幕をおろし、働いていた研究者たちは別の研究施設に移るか、
別の研究課題に移るか、という選択を余儀なくされた。
このあたりはさすがにアメリカ的で、閉鎖と決まったらもうあっという間にさっさと後始末に入る。
その早さについていけないPちゃんは、ずっと心を閉ざしたままだ。
私たちの労働ビザが切れるのは、5月4日。
それから
その後はいわゆる観光ビザに切り替わり、滞在できるのは3か月間。
つまり遅くとも9月3日には国外に撤去せよ、ということである。
とはいえ、私たちにとって行く先はどこにもない。
この日が来ることはわかっていたけれど、「仕事先がなくなる」という、こちらの意思とは関係ないところでこの日を迎えるとは思いもよらなかっただけに、ショックは大きい。
しかし、そもういっていられない。
私はここが好き。
シカゴという町にすっかり魅せられてしまったし、ボランティア仕事ながらも地元メディアの編集責任者という仕事も始めたばかり。
日米いろいろな人脈もでき、心を許せる友達や音楽仲間もたくさんできた。
今ここをおめおめと離れるわけにいくものか、という気持ちが心の奥底から湧いてくるのを押さえることができない。
小さいながらも住む家もある。
ここであとしばらく踏ん張れるように手立てを考えなければ、と思う。
結婚してからずっと、私に好きなことをさせてくれたPちゃんに、今度は私が恩返しをする番だ。
労働ビザを発給してくれる仕事を探す、もしくは大学で学位を取る(Studentビザ)か。
この2者選択である。
日米交流に加えて、将来は教育の道にも進みたいと考えていたので、
ここは一から学び直せ、という神のお告げかもしれぬと思ったりもする。
とにもかくにも、ここ数か月が勝負だ。絶対にあきらめないぞ!