津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

木村重成の弟

2009-03-02 17:53:29 | 歴史
 木村長門守重成の弟・重之なる人が熊本へ逃れ来て、海東村(宇城市--旧・小川町)に住んだらしい。小川町史に次のようにある。(p1087)

              浄山院本然清雲居士
         君諱重之字與門之助 佐々木三郎佐衛門重頼之子
       木村長門守重成之弟也 君幼而俊 事勇敢 元和元年
       坂城陥後 潜匿四方数年 遂来本藩居干海東村 寛永
       一四年有故改氏篠原 一五年有馬之役 玅解公 使金
       守外記藤懸蔵人監 楼之鳩工聚材城兵屢毀之 踰月不
       就遂命翁不日落城 蓋意匠出干衆云 公賞其功又奮戦
       得首一一級名聲籍々 公大賞之賜白金及章服 後妙応
       公追念君功賜俸禄 世々勿絶祀 君以元禄六年癸酉五
       月一九日没 享寿九〇有三葬干海東村亀山之東 有碑
       無銘 五世孫明徳君賢之父也 恐其功之煙滅作銘欲刻
       諸碑 微文覧々幼入釋門奉不立文字之教 急父命不徳
       辤聊記其梗概 嗚呼若君之勲功載在傳記 豈待余語乎
       銘曰
        不聖不凢後地先天 今古霊玅至遊綿綿去来迹絶黨無
       偏 随處応現眞月常圓
         文政一〇年丁亥五月一九日
                     泰巖洞領法子道賢撰
                     五世孫篠原明徳謹建 


 さて、何と書いてあるのかさっぱり判らない。このことについて情報をお持ちの方は、是非ともご教示いただきたい。
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2 コメント

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木村一族 (代書屋)
2009-03-02 21:49:15
木村鉄太さんの墓も東海寺塔中に有ったそうで…
静岡県立図書館「葵文庫」のアメリカ紀行も(元タイトルは別)鉄太さんのものらしい…
さて 飲み仲間の先祖は木村常陸の末で さいたま市の浦和大門宿(日光御成街道)を任されたようです
粛清された家が続く事も覚悟が有っての事かも…?

さらに別… 古今伝授の間の絵は海北友松…?
静岡県立美術館所蔵「海北友松 鉄山宗鈍 禅宗祖師・散聖図」
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/collection/item/J_73_349_J.html
山名豊國さんとの縁…
今日 熊本の古書店に「国華 990号」を注文致しました
「歴史も文化も新たに発見するものだ! 更に救い出す事も大切…」
神田の古書店の相場が上がりましたので 今日は早稲田に行き「福井久蔵著 連歌の史的研究」を求めました 後の研究は二番煎じかも… です
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木村重成の弟の末裔 (篠原 つかさ)
2009-12-05 02:28:47
熊本細川家は佐々木-木村の分家にあたり、徳川から追われ母親と一緒に細川を頼って逃れ海東村で四千石にて移り住んだ。
詳しくは又次に書きます。
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