津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■井芹氏のこと

2014-06-30 06:49:47 | 人物

 渡辺玄察の「拾集昔語」(二・p384~)に、井芹氏に関する記録がある。
熊本市の北部を流れる井芹川の花園地区周辺にも井芹氏が住みついていたが、これも井芹氏の別れだという。
全国に散らばる井芹氏の本貫の地こそ御船・甲佐地域であろう。

    甲斐宗運井芹の黨を被殺候事 

御船・甲佐在々に井芹何某/\と申候て井芹の一黨七十餘人天正の年中に有之候 一人も不剛の者なく昔金石の武士にて阿蘇殿も御重實に被思召候 (甲斐)宗運も其通に被存候者ともにて候 彼井芹の大将を加賀守と申候 彼者共冥加もなく武運も盡果候て各一黨連判の書状を相認候て薩摩島津殿江密々申進候は阿蘇家の代官を井芹一黨に被仰付候はゝ味方に成可申候 併何とぞ御手立を被成候て可有御覧候 彼入道被致随意候はゞ阿蘇家の侍一人も不残幕下に罷成可申候と申遣候由にて貴殿御越候哉と被申候へば口上之儀は無之候と申候て書状を文箱共に指出申候を入道披見被申御船城外に朱質和尚と申て古老なる智徳の禅和尚有之候を呼入奥にて被申候は和尚を頼度事候て呼申候 珍客請候間自分は客の會釋可申居候に座敷へ御出候て可被申候は客人と見え候御免候へ/\と被申候て宗運か膝を枕にして可被申には頃日は持病之脚気令再發候て以の外足腰痛候 いつもの様に脚を捻りてたべ/\と被申候へ愚老捻り可申候此事此に心得有之候て頼候事にて候と被申候へは和尚被申候は殿の御用にて御望候上は慮外と申事は無之候間其通に致可申候と被申候故入道座敷え出四方山の噺など被申候處に和尚罷出右之通に被申候をいかにも捻りもみ打などいたし被進候 島津殿之使者是を見候はゝ師匠と外存間敷候故罷帰り島津殿へなひき可申やといわせ可申ための事之由に候 左候て其夜只一人に栗林等なと申はやわざ武士之者一人側に置使の仁にさゝやき被申候は島津殿ケ様の御状を被下候事は不思議に存候が御一存の御分別にて候や又はいか様之譯共有之候ての事に候やケ様の御使御出候からは島津殿も無他事思召低貴殿にて可有之候上は御内意承度候と被申候へは使者被申候は其事に候阿蘇家の侍井芹の一黨七十餘人各連判にて島津の味方に成可申候 併甲斐宗運を味方に被成候手立宜く存候と密々申越候 就夫貴老も御内心は御同前にて可有之候ま書状進可申との事にて如此に候と申候やに候 入道聞被申候て扨は左様候かと被申候迄にていか様の段も問答不申使者を馳走被致音物共遣候て翌朝遅く立に小川に令一宿候様に計ひ其夜中に甲斐武蔵守・同伊勢守両人と被令密談井芹何某は何某に討候へ/\と七十餘人の討手を被申付翌朝右之使者罷立候跡に一日の内に甲佐御船在々に罷在候井芹共悉く討被申候 井芹大将の加賀守は渡邊軍兵衛討申候 當分之上豊内村庄屋又右衛門は加賀守の曾孫にて候 井芹河内守が加賀守は甥にて候 彼加賀守か曾孫は糸田村の彌助十兵衛にて候 右之通に七十餘人を一時に殺し被申候て宗運泪を流し候て被申候由は是非に不及候 井芹の各おのれ/\か自害とは云なからあたら者共一騎當千の奴原故にて候 入道か指一つ折れ候と被申候て深く惜み被申候由に 右の使者案のことく小川泊り翌朝此事を令風聞舌を巻罷立候由に候 入道其事を聞被申候て島津に返事を能して候 彼使者に風聞させんために小川町に泊り候様にあひしらひ小川にて聞候様に計ひ候と被申候由に候 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■沢村家先祖附から (三・了... | トップ | ■長岡おはす »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿