津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■後塵を拝した肥後の維新

2023-09-14 07:01:02 | 歴史

                                                        内田健三氏      

 前回書いた■内藤濯と竜北のわらべ唄に登場する内藤濯の妹の男子が、内田健三氏である。
つまり内田氏は、小楠の弟子で医師の内藤泰吉の娘の子、つまり泰吉の孫にあたる。

近代史家・花立三郎熊本大学教授は「熊本歴史叢書5、細川藩の終焉と明治の熊本」に、「もう一つの明治維新」を書かれているがその冒頭に、内田健三氏の平成12年12月29日の熊本日々新聞の「肥後=細川藩は明治維新に乗り遅れた」という記事を取り上げて居られる。
我々は徳富蘆花の「熊本の維新は、明治三年に来ました」のフレーズが頭から離れない。
研究者の先生方も、これに勝るオリジナルな表現が出来かねるのか、どなたも一様にこのフレーズを引用される。
立花氏も長い間蘆花のこの言葉に「不信をもった」とされる。
先の内田氏のこの「熊本藩が乗り遅れた明治維新」とは、「維新の大業は、薩長土肥に推進され、肥後は後塵を拝した」と書かれている。
つまり四藩の主導によりなされた維新の大業には、肥後ならずともその他大勢の藩も乗り遅れたという事になる。
蘆花がいう熊本の維新とは、主語として「実学党による」と言う言葉が冠されてしかるべきなのだろう。

               (未完)

 

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