津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「大凡荘」の集合写真と、山藤章二

2023-02-23 06:52:35 | 熊本

 先の史談会で会員のN氏が「大凡荘」があった場所について語られた。
その際、その大凡荘(柴垣隆邸)に集合した67人の著名な方々の集合写真を会員にお知らせした。右翼と言われた大物が熊本の地に集結した写真である。
      写真をクリックすると大きくなります。

    この写真は随分以前捜し出したものだが、どこから見つけたのかと思いインターネットで調べてみたら、ヤフーの画像検索で見つけ出したものと思われる。
当時は出元までは調べていなかったようだが、この写真は大凡荘主人・柴垣隆氏の御子息・達郎氏(水盤の後ろ、右手の学生服の方)が、出席者の寄せ書きと共に蜷川正大氏に贈られたものであることが氏のブログ「白雲去来」に紹介されていた。
蜷川正大氏とは「大悲会」の二代目の会長を務められた方である。達郎氏との関係はよく判らないが、達郎氏は映画のプロヂューサーとして、我々が良く知る往年の日本映画を多く作られている。

 大悲会と言えば、初代会長の野村秋介氏の名前が忘れられない。
大悲会については詳しい事を知らないから、安直なコメントはここでは差し控えたい。
1992年野村氏は、漫才師の横山やすし氏らと共に「たたかう国民連合・風の会」から参議院選挙に出馬した。
当時、週刊朝日では、漫画家の山藤章二氏の「ブラックアングル」が評判を呼んだ。独特のデフォルメで要人の似顔絵を書いたり、時には物議をかもす絵で世論を揶揄した。
そんな折、山藤氏はこれを「蚤の党」と評して物議をかもした。そこで野村氏は朝日新聞社に出かけ、大いなる抗議を行っている。その結末は、野村氏の朝日新聞社内での拳銃自決というショッキングなものだった。
30年以上経過するが、横山やすしの選挙出馬や野村氏の拳銃自殺事件はよく覚えている。
山藤氏はこの事件に大いなるショックを受けて、しばらくこの「ブラックアングル」はお休みになったそうだ。
言論の自由はあろうが、少々度が過ぎたという事か?
この「ブラックアングル」は2,260回に及んだというからものすごい。そしてこれは単行本として数えきれないほど発刊されている。
私も愛読者の一人であるが、何ともこの才能には畏れ入る。
最近の氏は、頭髪はさることながら、鼻髭・あごひげを延ばされて、まるで仙人と言った風情である。
つい二日前がお誕生日であった。86歳。まだまだご活躍いただきたい。

「蚤の党」事件については何か特別にコメントされたのかは良く知らないが、山藤氏も事件の当事者の一人ともいえる。

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