白雲去来

蜷川正大の日々是口実

今夜は「ソース」飯。

2023-09-22 16:47:41 | 日記

9月19日(月)晴れ。

朝食は、抜いた。昼は、ほっともっとの「特のりタル弁」。夜は、総菜のクリームコロッケ、マカロニサラダ、キャベツ千切り。鶏の唐揚げ、〆は「お赤飯」。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

野村先生は、いわゆる「ソース」が嫌いで、獄中句集『銀河蒼茫』の中には、「冬の昼  ソース嫌いで困っている」と言うものがあるくらいだ。「秋の部」には「コロッケの夕餉 粛々秋の燈」と言う句があるが、先生はきっとコロッケに醤油をかけたのにちがいあるまい。

私は、どちらかと言えば「ソース派」である。関東地方では大体、ウースター、中濃、トンカツの三種類があるが、私は、中濃ソースが一番好きだ。旅行に行くときでも「中濃ソース」を持って行く。「天ぷら」には、さすがにソースはかけないが、コロッケや目玉焼きには、ソースである。ホテルには、その「中濃ソース」を置いていないので、残念である。

月に一度か二度くらい、どうしてもソースをかけて食べるものが欲しくなる。今夜も、クリームコロッケ、マカサラ、キャベツ千切りには、中濃ソースをかけて食べた。ふふふと頬が緩む。これにマルシンのハンバーグと赤ウインナーかプレスハムがあれば最強である。

展転社の荒岩さんから、群青忌の折に、お配りする野村先生の『友よ山河を亡ぼすなかれ』のカバーデザインが送られて来た。群青忌まであと一ヵ月となった。まだ、色々とやることがあり、落ち着かない。当日、会場でお会い出来ますことを楽しみにしております。


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大先輩の「偲ぶ会」へ。

2023-09-22 15:43:37 | 日記

9月18日(日)晴れ。

中国、台湾における洪門の研究家と知られている行政調査新聞社の松本州弘先生を「偲ぶ会」が、埼玉県の狭山市において行われ出席。志村馨君と保土谷駅にて待ち合わせて、11時06分の横須賀線で横浜駅へ。ここで東急線の特急に乗り換へ。東横線に無特急があることも知らなかった。駅で犬塚博英先輩と大熊雄次氏と待ち合わせて、「偲ぶ会」の会場となる中華料理屋へ。

松本州弘先生の略歴を会場で知り、その足跡に改めて感動した。会場で配布されたのは松本先生の著書『義の絆ー孫文と宮崎滔天』(朝日新聞出版)と、松本先生の交友を記録した写真DVD。それと門下生である、「偲ぶ会」の主催者である福山辰夫氏が獄中で詠んだ「短歌・俳句」集、『積もらざる雪』。どれも、事務所の書棚にあるが、改めて『積もらざる雪』に松本先生がお書きになられた、「序文」を読み、目頭が熱くなった。感動的なとても良い会だった。横浜に着いてから志村馨君と安着祝い。※僭越ながらご挨拶をさせて頂いた。

 


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アダラカーン。

2023-09-21 13:00:49 | 日記

9月17日(日)晴れ。

午前中に家を出て、家族そろってお墓参り。伊勢原に向かう高速は三連休の真ん中と言うこともあって、海老名のSAまでは随分と混んでいた。海老名を過ぎると、魔法のようにスムースに走ることが出来た。不思議だ。途中のJAで仏花を買ってお寺に。まずご住職に来月の群青忌の際のご挨拶。そして野村先生のお墓に詣でてから、すぐ下にある私の両親のお墓へ。家族四人で来るのは随分と久しぶりの事だ。ご無沙汰を詫びて、お墓を洗い手を合わせた。

帰りに、たまに行く246沿いの「蕎麦屋」へ寄るがあいにく休み。吉永小百合の「追っかけ」のおばさんに挨拶したかったが残念だった。仕方がなく、リンガーハットで昼食。昼食と言えば、伊勢佐木町の関内駅寄りの入り口に、私たち家族の好きなインドカレーの「モハン」というお店があった。ビルの老朽化で移転すると聞いていた。しばらくしてお店のあったビルの前を通ったら、入り口にチェーンが掛かっていて「閉店」の張り紙があった。どこに移ったのか気になっていたが、何度、元のお店の前を通っても移転先を知らせる張り紙がない。廃業してしまったのかと残念に思っていたら、子供がスマホで調べてくれた。何でも「みなとみらい」に移ったとのこと。早速、昨日家族で行った。志村馨君とバッタリ会い一緒にランチ。

「マークイズ」という商業ビルの前のビルの二階にあった。私たちが「月光仮面」の映画に出てくる「どくろ仮面」の手下のインド人、「アダラカーン」とひそかに呼んでいる(スマン)マスターが笑顔で迎えてくれた。スタッフも同じで、相変わらず「キーマカレー」と「ナン」が美味しかった。


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随時小酌。

2023-09-21 12:31:31 | 日記

9月16日(土)晴れ。

「酒をたしなむには随時小酌にかぎる。私は孤独で呑む酒も好きだが三四人の気のあった男友達と手が盃へひとりでに進んでゆくような愉しい酒も好きだ。女のひととの酒は酒が重苦しくて仕方がない。私はかつて女の酔っぱらいにめぐりあったことはないが、女が酔っぱらうと酒についての修業が(大酒を呑むの意にあらず)ついていないので、二三盃でひざを崩してしまい二合位も呑むと大の字になるのがある。そんなのは真平ごめんだ」。これは先日買った『作家と酒』(平凡社・編集部編)の林芙美子の項に書かれていた文章だ。「酒をたしなむには随時小酌にかぎる」という言葉が心に沁みた。

PCで調べたら、「随時小酌 川流不息」が語源で、「気の向くままに酒を呑む、川の流れのように」。いい言葉じゃないか。最近は歳のせいもあって「大破・轟沈」の日がほとんどない。それでも何カ月に一度くらいは、社友のO氏や平塚のI氏らと飲むときは、つい甘えて大破・轟沈してしまう。浪人生活ゆえ、狭斜の巷へ繰り出す余裕のない日が多い。そんな私を激励しようと、たまに誘ってくれるのが嬉しい。しかしほとんどは酔狂亭で「随時小酌」である。そのうちに字の上手な方に色紙に、その言葉を書いて貰おう。


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ある訃報。

2023-09-19 17:52:24 | 日記

9月15日(金)晴れ後雨。

17日は下の子供の誕生日。東京で友達と一緒に生活している下の子供が久しぶりに我が家へ。夜、横浜駅のセルテというビルの中にある焼肉「叙々苑」にてお祝いの食事。上の子供は、会社から直接お店に来た。家族四人での食事は久しぶりである。さすがは叙々苑。値段なりに美味しかった。支払いは、上の子供がカードで。「いや三人でワリカンにしようよ」と言うと「当然じゃん」。しょんぼりした。

群青忌の案内状を私の分担文400余枚出した。何しろ五年ぶりのことだ。事務所に行くと10通程度「あて所に尋ねあたりません」とハンコを押されて戻って来たのが15枚。仕方がないが、住所録の整理にもなる。

ちょっと買い物で外に出た時に携帯を忘れた。そんな時に電話がかかってきて、帰宅していた下の子供が出た。電話の主は、元野村先生の担当公安だった警視庁の「S信」さんの奥さんだった。野村先生が亡くなられてからしばらくして定年退職したことは知っていた。群青忌のたびに案内状を出しており、記憶が正しければ、最後にお会いしたのが10年前の20年祭だった。今回も案内状をお出しした。「S信」さんの奥さんの話では、「二年前に亡くなられた」とのこと。どのような状態で亡くなられたのか、私が電話に出たわけではなかったので聞きそびれた。

奥さんの話では、「野村先生のDVDを棺に入れようと思って探したが、どうしても見つからなかった。先日、何気なしに再生デッキのスイッチを入れたら、そこに入っていました」。子供からその話を聞いたとき、思わず落涙しそうになった。野村先生が亡くなられてから30年が過ぎ、親しかった人たちの多くが鬼籍に入られた。時が過ぎるのではなく、人が去って行く・・・。その思いを強くした。


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