白雲去来

蜷川正大の日々是口実

シルクロードは映像に限るか。

2024-04-27 12:42:34 | 日記

4月26日(金)晴れ。

朝食はぬいた。昼は、私のソウルフードであるソースチャーハン、茶碗サイズのチキンラーメン。夜は、鶏モモの塩焼き、タコのマリネ、春雨のサラダ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

今週は、23日の火曜日に、お世話になっている方と自宅近くの「浜一寿司」にて、時局を肴の一献会。24日の水曜日は、関内の、うどんのおおぎ屋にて、同級生などの仲良しさんたちとの、月に一度の懇親会。その後、紅灯の巷に繰り出し、傾城と傾国とに酔う。三軒転戦して帰宅。

閑があるとNHKから発売されている「シルクロード」を見ている。BOX1と2だ。BOX1はDVD6枚組で12集。BOX2はDVD9枚と特典が一枚。一枚が60分から1時間40分くらいある。見ごたえがある。シルクロードの出発点である長安(現在の西安)に行って見たいと思うが、中々踏ん切りがつかない。

送別の詩として有名な、王維の「元二の安西に使いするを送る」。「渭城の朝雨 軽塵を浥し 客舍青青 柳色新たなり 君に勧む 更に尽くせ一杯の酒 西のかた陽関を出づれば 故人無からん」。長安から渭城までは訳25キロ。西域に旅する人を、ここまで送るのが習わしだったという。「元二」が使いする「安西」は、更にその先で長安から直線距離で2500キロもあったと資料にある。地図やましてナビなどない時代、それらの地を旅するには、行倒れた人の白骨を道しるべとしたという話が「シルクロード」には度々出てくる。現在では、鉄道や道路が整備されているが、映像で見るのが無難と実感している。※王維と元二の送別「君に勧む 更に尽くせ一杯の酒」の図。


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中華街から老舗が消えて行く。

2024-04-26 11:30:18 | 日記

4月22日(月)曇りのち雨。

今にも空が泣き出しそうである。菜種梅雨か・・・。朝食は伊豆高原の「山幸」で買ってきたアジの干物、やはり伊豆高原の土産屋で買った「シイタケワサビ」、シジミの味噌汁。昼は、中華街でルーロー飯に餃子。夜は、「山幸」のサバのみりん干し、大根サラダに、伊豆高原のニューサマーオレンジのドレッシング、春雨のサラダ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

オイスターソース、ウェイパー、乾燥きくらげを買うためと昼食を兼ねて中華街へ行った。平日にも拘わらず、人が多い。食べ歩きをしている若い人たちが目立つ。中には、立ったまま何かを食べながらビールを飲んでいるカップルがいて、ちょっと驚いた。久しぶりに昼間に歩いたら、ほとんどが「食べ放題」のお店となっていてる。老舗がなくなり、新しい店ばかりである。

生憎「安記」は昼休み中、もう30年以上も通っている中華飯店に行ったら、「馬さんのなんとか」という店に変わっていた。仕方がないので市場通りにある、静かそうな店に入ってランチ。初めてのお店だったが、観光客に媚を売らない感じがして、落ちつけた。今度は夜に行って見ようと思っている。

自宅に戻ってから、私の横浜スクラップブックから中華街を探したら、2011年と2017年のガイドブックがあった。2011年の地図の中に書かれている70%のお店が廃業し、新しいお店となっていた。コロナの影響や、跡継ぎの問題もあったのかもしれないが、老舗のお店がどんどんなくなって行くのは寂しいものだ。


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断食の最終日。

2024-04-23 12:01:36 | 日記

4月20日(土)晴れ。

断食の最終日。私の部屋は二階。手の届きそうな所にヤシの木に似た木がある。そこに、鶯やら名も知らぬ鳥が来て、白々と夜が明ける頃から鳴くのである。その鳴き声がうるさくて、目が覚めてしまう。とても千里鶯啼いて緑紅に映ずの「江南の春」の気分にはなれない。風流などとは言っていられないほどの音量なのだ。

朝七時、希望者で宿の周りを40分ぐらい歩く。お椀を伏せたような大室山が目の前に迫る。リフトで頂上まで登るそうだが、高所恐怖症の私は、一度も登ったことがない。小学生の低学年の頃、家の近くに誰かが忘れて行ったのだろう、大きなコウモリ傘があった。遊び場にしていた普門院というお寺に3メートルほどの高さの塀があり、上級生の子供たちが、度胸試しとして、そこから飛び降りていた。私は、低学年と言うこともあり、飛び降りたことがなかった。

大きな、コウモリ傘を見た時、その傘を開いて飛び降りたら、落下傘のようになってフワリと降りられるのかもしれないと思った。そこで、遊んでいた友達を集めて、お寺に行き、傘を広げて飛び降りてみた。フワリとするどころか、あっという間に傘はオチョコになり、私は、足をくじいた。すぐに友達が母を呼びに行ってくれて、慌ててやって来た母にしこたま殴られた。以来私は、高所恐怖症になったのだ。どうやらその傘は、置いていったのではなく、強風でオチョコになってしまったものを、捨て行ったものと言うことを後で知った。

朝食は、大根のスープ。昼は無し。夜は、お粥。暇な一日、持って行ったNHKの「シルクロード」と「新漢詩紀行」をのんびりと見ていた。今日で、断食は終わり。明日は帰宅する。


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断食の準備。

2024-04-20 11:29:18 | 日記

4月16日(火)晴れ。

朝食は塩鮭、納豆、わかめスープ。昼は、野菜炒め、わかめスープ。夜は、メンチカツ、クリームコロッケ、キャベツの千切り添え、お蕎麦に竹輪店の天ぷら。お供は、思い切って頂いた「森伊蔵」を開けて独酌。

最近、様々な馴染みのお店が閉店してしまっている。自宅の近所で、いつもハンバーグやコロッケを買いに行っていた肉屋さんも「高齢の為閉店いたします。長い間ありがとうございました」との張り紙がしてあった。

大好きな「さつま揚げ」の専門店も二軒とも廃業。更には、もう20年以上通っていた中華料理店も廃業した。考えてみれば、私と同じように歳をとるのだから、後継ぎがいなければ廃業する以外にない。寂しいことだ。

今週から行く断食の最中に見ようと思っていたDVDが届いた。NHKの『新漢詩紀行』全10巻と、同じNHKの『シルクロード』のBOX2全10巻。そして幾冊かの本・・・。私の歳ではシルクロードへの旅は無理なので、せめて映像で楽しもうと思っている。


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先の戦争は、間違いなく大東亜戦争である。

2024-04-19 09:23:34 | 日記

4月15日(月)晴れ。

春眠暁を覚えず。処処として啼鳥を聞く。自宅の近くには児童遊園地や英連邦墓地などがあるせいか、この時期にはウグイスや名も知らぬ鳥の鳴き声で目を覚ますことがある。贅沢かも知れないが、オイオイもう少し寝かせてくれよ。と思う時もある。朝食は、面倒なのでレトルトのカレーにコロッケ、ほうれん草の味噌汁。昼は抜いた。夜は、かつ丼の頭、いわゆる煮カツとナスと新玉ネギと豚肉のオイスターソース炒め、筋子。お供は「赤兎馬」。子供は残業で遅いし、愚妻も出かけている。酔狂亭にて文字通りの月下独酌。

自衛隊が、沖縄戦のことに触れて「大東亜戦争」と呼称したことで朝日新聞が騒いでいるという。まだそんなことに目くじらを立てるアホな記者や新聞社があるとは、時代錯誤も甚だしいと笑ってしまった。我々の祖父や父、兄らは太平洋戦争に参加したわけではない。大体、当時は太平洋戦争などという呼称はなかった。

昭和16年(1941)、日本政府はアメリカ・イギリスに対して宣戦布告を行った。12月12日、当時の東條内閣はは、昭和12年(1937)より継続していた志那事変(日中戦争)を含んで「大東亜戦争と呼称す」と閣議決定をしたのである。従って先の大戦の正式な呼称は、大東亜戦争なのである。太平洋戦争などと言う言葉は、敗戦後の米国製の歴史観でしかない。太平洋戦争などと言ったら、亡くなられた多くの英霊の方々に申し訳ない。

 


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