白雲去来

蜷川正大の日々是口実

野村先生への手紙。

2022-07-01 18:14:40 | 日記

6月27日(月)晴れ。

朝食は抜いた。事務所に行く途中で「ほっともっと」で「特のりタル弁」を買う。事務所でもそもそと食す。夜は、カツオのたたき、カニカマのフライ、函館のボタン海老、キャベツと豚肉炒め。「黒霧島」をお供に酔狂亭にて独酌。

この間、「梅雨入り」したばかりなのにロクに雨も降らずに「梅雨明け宣言」が出た。途端に30度を超える猛暑。老体にはこんな時期の猛暑は体にこたえる。お国は「節電」を奨励しながら「熱中症」の予防のため「適度にクーラーを使用してください」。訳ワカメだ。電気代も気になるが、熱中症も怖い。今年初めてクーラーを使った。

事務所の野村先生の資料蘭に、生前、野村先生のに来たハガキや手紙のスクラップがある。久しぶりに開いたが、まあ錚々たる人たちのものがあった。一部ご尊名のみ紹介してみたい。敬称を略で、小沢遼子、大島渚、栗本慎一郎、石原慎太郎、小沢一郎、東映の岡田茂、川内康範、西武の堤清二、橋本龍太郎、連合赤軍の永田洋子、飯干晃一、田中正明、中村武彦、浅沼美知雄、刺客の手によって亡くなられた某任侠の大物組長などである。※石原慎太郎先生の手紙の末尾。


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有吉さんの教養と気遣い。

2022-06-29 13:59:08 | 日記

6月26日(日)晴れ。

朝食は、家族そろって「お粥」と鮭の「山漬け」。今日は、午後一時より友人の還暦祝いが西横浜の「オアジ」にて行われ出席。東京に戻る下の子供を保土ヶ谷まで送る。オアジには一時少し前着。松本、佐伯両氏の段取りでお店の一階を貸し切り。談論風発、口角飛泡、喧々諤々の酒席。気の置けない人たちとの酒は楽しい。解散後に「飲み足りない」人達と「やまと」へ。7時前に帰宅。

私の蔵書の中に気に入った本は多いが、幾度も読み返す本と言うものは、それほど多くない。その「お気に入り」の一冊に車谷弘氏の『わが俳句交遊記』(角川書店)がある。車谷弘さんは、『文藝春秋』や『オール読物』などの編集長を務めた編集者で俳人。その中に、有吉佐和子さんから「七夕の茶会」に誘われた話があり、興味深かった。招かれたのは、車谷さんの他に日本学者として有名なドナルド・キーンさんや外国人の大学教授にまじって俳優の加東大介さんに野村證券社長の北裏喜一郎さんといった人たち。

その茶席にかかっていた掛け軸を日本人の皆が誰の書で何と書いてあるのか分からない時に、ドナルドキーン氏が「これは勝海舟の書でこう書いてあります」とすらすらと読み下した。こひれには居合わせた人たちが皆驚いた。その勝海舟の書は今日の「七夕の茶会」合わせた意味の物であり、更には花瓶の花も棚の置物も皆、七夕ゆかりの物だったそうだ。有吉さんの教養と気遣いが感じられてならない。

私の幼馴染に古美術を商いにしている友人がいる。その人から、古美術や人間関係などについて教わることが多いのだが、特に、「家にある書画骨董を見てほしい」と頼まれて伺うと、家は素晴らしく立派でも、いわゆる成金の家にある物は、大きいだけのいわゆる「こけおどし」の物ばかりでこ、ほとんどと言って良いほどろくなものがないそうだ。反対に、家は質素でも、由緒正しい方の家は、玄関に小さな香炉(それも高価な)が一つ置いてあったり、季節に合わせた絵や軸物がさりげなく飾ってあったりで、「品」を感じるといっていた。車屋弘さんの「七夕の茶会」を読んで、友人の話を思い出した次第。


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伊勢佐木町の老舗「じゃのめや」へ。

2022-06-29 13:35:44 | 日記

6月25日(土)晴れ。

仕事の都合で、友達と東京で暮らしている下の子供が久しぶりに帰宅。前日に、「父の日」のお祝いで「黒霧島」の6本パックが届いた。ふふふという感じである。この子が小さい時、風呂上りに椅子の上に載ってヘアートニックとブラシで私の頭を良くケアしてくれた。子供心に髪が薄くなっていてるのを感じていたのだろう。トニックをこれでもかとかけてブラシで髪を梳かしてくれた。「とーたん髪の毛が伸びて来たよ」と目に見えたお世辞を言いながら・・・。そんな訳があるわけないが嬉しかった。「黒霧島」に「ボーナスが出たからお小遣い」か。良いことがあるなぁ―。

五時から伊勢佐木町の老舗「じゃのめや」で愚妻の誕生日の食事会。このお店に来るのは30年ぶりくらいか。「すき焼き」が評判なのだが、愚妻のリクエストで「しゃぶしゃぶ」にした。明治の創業のお店は中々趣があっていい。まあ個人的には、相変わらずの浪人暮らしだが、家族が元気で言うことなし。


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『日本週報』の特集が凄い。

2022-06-28 15:04:56 | 日記

6月24日(木)曇り。

若い頃ならば、飛び切り美味い食事や酒を楽しんだ翌日は、体に気が漲り、よおーし、と気合で起きたものだが、古希を過ぎると飲んだ翌日はいつも10時過ぎまで起きられずにいる。朝早くから労働に勤しんでいる正しき人たちに平身低頭。スマン、スマンのオスマントルコである。

昼食に近い朝食は、昨日と打って変わって慎ましく赤ウインナー、カリカリベーコンにサニーサイドアップの卵焼き、とろろ昆布のスープ。夜は、冷食の餃子、蒸し鶏、タケノコのから揚げを肴に、お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

事務所の資料棚にあったのが、『日本週報』という雑誌の昭和28年4月号。古書店などで買った記憶がないので、亡くなられた大磯の小早川貞夫先生の遺品だと思う。その雑誌の特集が「政治の腐敗と日本革命」。大川周明、井上日召、津久井龍雄の鼎談の他に石川準十郎、木村武雄、赤尾敏、笹川良一、三上卓と言った大御所が原稿を寄せている。こういった雑誌が忘れられて行くのは実に寂しい限りだ。昭和28年と言えば、今から67年も前で著作権も失効しているだろうから、いずれまとめてみたいと思っている。『日本週報』は何冊か持っているが、特集の良いものが多い。


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南長崎の鰻の名店へ。

2022-06-28 14:47:41 | 日記

6月23日(水)曇り。

随分前の『週刊文春』のコラム、平松洋子さんの「この味」で知ったのが「茂吉の鰻」という話。

歌人斎藤茂吉は、無類の鰻好きだった。いや、好きという言葉から八ミ出してしまう、空前絶後の鰻アディクト(注・常用者、中毒者、熱中者、大のファンぶり)僕だってあたしだって大好物なんですよ鰻、と手を挙げるひとはたくさんおられようが、茂吉ほど鰻を食べに食べたひとをほかに知らない。その破格の行状を明るみに出すのが、『文献 茂吉と鰻』(林谷廣著昭和五十六年〃短歌新聞社刊行)だ。著者は、斎藤茂吉記念館の運営に尽力してきた人物で、斎藤茂吉研究会会長、アララギ会員。いったい茂吉が生涯にどれほど鰻を食べたか、日記や資料を駆使しながら、重箱のすみまでつつきにつついて調べ上げた一大労作である。茂吉の鰻好きはつとに有名ではあったけれど、ここまで微に入り細をうがった調べ物はなく、しかし、「文献」と一歩下がるところが奥ゆかしい。鰻が気になる者として、やっぱりこの本は読んでおかなくちや、とあちこち手を尽くしたが残念ながらまだ手にしていない。

南長崎、と言っても東京の話。ここに鰻の名店があることは以前から聞いていた。本田宗一郎や中曽根総理と言った人たちが愛したお店として有名で、お店の名前はそのまま「鰻屋」。ついにそのお店を訪れる機会が来た。大先輩のお世話で総勢6名での来訪。私のつたない筆では、その鰻の絶品は表現できない。南千住の「尾花」など年に一二度はこういったお店で、食事をしてみたいものだ。まあ贅沢な話ではあるが・・・。諸先輩に感謝合掌。良い一日だった。


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