津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・真下氏

2009-10-18 08:59:19 | 歴史
 家祖沢井対馬守は足利将軍義輝公に仕、「御生害之時同戦死」(綿考輯録・巻九)した。

対馬守子・梶之助元重は真下と改姓  
   *大和国真下ニ居住、一色之招ニより来て家老職となる
   *一色義有被討果候節、何として宮津を切抜候哉、弓木を心掛、東より登り峠にて
    米田(助右衛門)に行逢候、米田と真下は常に睦かりけるか、真下此時も詞をかけ、
    今日の次第とかういふに及はす、他人の手にかゝらんより貴殿と死んこそ本望なれ
    とて刀抜く、助右衛門ハ鑓にて互に馬上より挑ミ合、やかて真下を突通す、真下懇
    に城中の事を頼ミ死し、米田も落涙して領掌いたし候(中略)
   *助右衛門一言の約束もたしかたく、真下か妻子弟四人を育ミ置、男子七之助を御家
    人となし三百石被下、後七兵衛と云、其子孫今の真下喜角なり

    1、七之助(七兵衛) 
       (1)乗物かき小者頭 三百石 「丹後」  
           父ハ一色義有(臣・脱カ)真下梶之助元重(於豊前小倉御侍帳)
       (2)御側御弓鉄炮頭并組外衆 三百石 乗物昇小者頭(肥後御入国宿割帳)
                細川綱利公御書出(天和三年)三百石
    2、七兵衛   
       (1)有吉内膳組 三百石 (寛文四年六月・御侍帳) 
       (2)御詰衆・六番岩越忠右衛門組 預知・三百石 (御侍帳・元禄五年比カ)
    3、源太兵衛・元蕃、元寄
    4、源太兵衛(梶九郎)  三百石 御側弓十張頭鉄炮頭 屋敷・内坪井
    5、梶之助   御中小姓役 三百石
    6、七兵衛(梶之助)  着座之嫡子(梶之助嫡子)
    7、亀角
    8、亀之允(源太兵衛)御物頭列・町方御奉行触 高橋町奉行 三百石
           文化十三年(作事所目付)~文政五年十月 高橋町奉行
           文化十二年十一月本役 後、作事頭ニ転
    9、軍之助
    10、亀之助(梶之助・敬次)  御使番 三百石


 ■梶之介弟・沢井小八郎重包松井家家臣となる (家系永代記録・大和澤井家 1995澤井元生著)
 ■元重か姉ハ忠興君の妾となる、式部寄之ハ此腹也(名ハさい、後長岡勘解由延元ニ嫁す、
  五百石被添遺候                (綿考輯録・巻九)

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