津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■今日という日・・?

2024-02-28 08:27:04 | 徒然

 新暦・旧暦の違いはあれど、386年前の寛永15年(1638年)2月28日は、多くの犠牲者を出した天草島原の乱が終結した日である。
27日に軍議があり28日の攻撃と定められたが、佐賀鍋島勢の抜け駆けにより戦いが始まり、二日にわたっての戦いとなった。
細川家では一人一人の行動を申告させているが、27日・28日のそれぞれの行動が目撃した人、行動を共にした人など、証人の名前を挙げながら報告されている。
実質上の一番乗りは田中左兵衛だとされている。残念なことにこのことを幕府軍が確認できておらず、幻となって益田弥一右衛門が一番乗りとなったが、細川家は田中左兵衛に大いなる華を与えている。
加増を重ね、初代の城代となっている。
陣佐左衛門は少年の首をとった。佐左衛門はそれが天草四郎であろうと確信を持ち、そう報告をしている。
それは間違いないもので、首実検に立ち会わされた母親は変わり果てた我が子を見て泣き崩れた。
13万を超える幕府軍によって3万数千の一揆軍が殲滅された。江戸幕府開闢以来の内戦であり、また国内での内戦の終結が西南の役であり、その戦いは田原坂周辺の主戦場での戦いが、玉名・山鹿へと移っている。
日本国内における内戦の始まりと終わりが熊本に関係しているというのも、皮肉なことではある。

 そんな今日2月28日は、奥方の誕生日でもある。とうとう彼女も八十路になった。
もっとも、「私は29日生まれらしい」という。本当は漢字表記の名前をカタカナで届け出されたり「いい加減な扱い」だといささかお冠である。

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