熊本における浄土宗の古刹往生院を訪ねた際、大矢野家のお墓を発見した。細川家家臣大矢野家のものであるのかどうかは定かではない。大矢野氏は天草五人衆の一つである。「阿部茶事談」の著者栖本又七郎も同様、天草五人衆の後胤だ。共に加藤清正、小西行長に対抗して戦い、破れた後は小西の旗下に組み込まれ、小西没落後は加藤清正配下となり、加藤改易後は細川家家臣となった。大矢野源左衛門という侍があった。いたずら息子を咎め立てていた町人の親父が投げた火吹き竹が、運悪く源左衛門にあたり、親父は無礼討ちにあってしまう。いたずら息子は後に僧籍に入り不運な父親の菩提を弔いながら生涯をかけて109体の石仏を建立した。放牛石仏と呼ばれるものである。堀内傳右衛門の旦夕覚書に記録されている。
最新の画像[もっと見る]
- ■資料がまだ出来ていない 1週間前
- ■「其方」とはどなた? 2週間前
- ■「其方」とはどなた? 2週間前
- ■江戸勤番に於いて死去すると・・・ 3週間前
- ■ヤフオクで勉強させて頂いております。 3週間前
- ■幽齋公の狂歌 4週間前
- ■幽齋公の狂歌 4週間前
- ■諏訪大社・神長官守矢主殿などに関する資料 1ヶ月前
- ■藤崎宮御祭礼に付「殺生禁断」 1ヶ月前
- ■毛利秀士氏、今年度「荒木精之記念功労者」受賞さる 2ヶ月前
大矢野家ってあの「蒙古襲来絵詞」を所持していたという大矢野家ですか?
大矢野氏、ご指摘の通りです。大矢野氏自身この絵詞に登場していますが、竹崎氏との関係は不勉強でよく分かりません。