津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(51)

2022-10-29 07:01:24 | 家紋

                         

                                      新・肥後細川藩侍帳【あ】の部

新居市左衛門は、(南東44-21)新居七右衛門家の6代目・新居蝶夢 名は保輝、市左衛門と称す。時習館訓導及び所々の郡代と成る。
       弘化二年十二月廿六日歿す、年七十一。家紋は「丸に違い鷹の羽紋」「隅切り立角に揚羽蝶紋」

跡部平蔵は、(南東44-20)跡部平八家の7代目。家紋は「七宝に唐花紋」「隅立角に平四つ目結紋」

愛教四郎次は、(南東44-又24)愛敬四郎次家の4代目か。ここでは「愛教」とあるが「愛敬」が本当である。家紋は「梅鉢紋」

雨森清太夫は、(南東43-5)雨森糟一家の5代目・雨森浅之助 名は正房、浅之助と称し、後清太夫又荘右衛門と改む。藩に仕へ食禄
       百五十石、小姓組たり。大力の士にして奔馬をも抱き止め居たり。文化八年七月廿九日歿す。享年五十六。墓は河原町延壽寺。
       家紋は「丸に橘紋」

青地源右衛門は、(南東44-7)青地源七家の6代目・守次(源右衛門)。家紋は「一文銭紋」

青木左九郎は、(南東44-5)青木 競家の5代目・左九郎(養子 後・権之助)、何が原因か文政三年三月廿日御知行被召上候 高四百石とある。
       家紋は「松笠菱に丸紋」

青木純記は、(南東43-11)青木掟次郎家の7代目。家紋は「隅入り立角に鬼州浜紋」

秋山正作は、秋山玉山を初代とする(南東44-13)秋山儀右衛門家の3代目である。家紋は「薬研紋」

天野善左衛門は、(南東44-26)天野善次家。同名人が多く人物の特定が出来ない。家紋は「隅入り立角に四つ目結紋」  

天草十大夫は、天草氏の末裔(南東44-9)天草次郎吉家の7代目・郡八(後・十太夫・甚助・勘右衛門)か。家紋は「隅入角に隅立四つ目結」

粟津嘉次郎は、【青龍寺以来】(南東43-3)粟津九郎家の8代目・寿平太(後・嘉次郎・三郎兵衛)。家紋は「隅切り立角に七宝紋」 

綾部四郎助は、(南東43-10)綾部蹇吉家の6代目・素川 名は正典、通称四郎助、藩に仕えて奉行職となる。安政六年八月二十日歿す。年七十九。
      家紋は「丸に鷹の羽紋」

麻生喜左衛門は、(南東43-1)麻生喜一郎家の5代目か?。家紋は「抱き柏紋」?  

阿部多膳は、(南東43-19)阿部重五郎家。4・5代目が同名で人物の特定が難しい。家紋は「二つ丁子巴紋」

有馬彦七は、(南東43-26)有馬源内家の2代目。家紋は「細丸紋」

粟津権兵衛は、【青龍寺以来】(南東43-25)粟津 平家。同名の人が多く人物特定に至らない。家紋は「隅切り角に稲妻菱紋」 

安達仁左衛門は、(南東43-22)安達藤助家の2代目。家紋は表示なし。

          新・肥後細川藩侍帳【さ】の部

沢村宇右衛門は、沢村大学の養嗣子・宇右衛門(松井氏)を祖とする【丹後以来】沢村大学嫡流家の(南東46-1)沢村衛士家の8代目・宇右衛門友輔(養子 実・友顕弟正氏嫡子 宇衛)。家紋は「石持地抜きに鱗紋」「   」

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