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元田家遠祖豊前守は尼子義久に仕え、その子與八郎・その子内蔵丞は織田信雄に仕えた後、内蔵丞が丹後にて忠興に仕えた。
この指物附の主尉大夫どのだが、このお宅も尉大夫を名乗る人が多く人物の特定ができないでいるが、6代目かと思われる。
大組付、鉄炮50挺頭などを勤めた。
10代目が元田永孚で京都留守居・中小姓頭・用人・奉行などの要職を歴任、その後宮内省に出仕明治天皇に近侍し、侍讀・侍講・侍補を勤めた。枢密顧問官として「教育勅語」の起草に参加した。死の直前に華族に列した。そのお墓には指物附と同様の家紋が刻まれている。
家紋は隅立て角に上り藤紋。青山霊園にて撮影されたもの。
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