我が家の先祖附を眺めながら、僅かの手がかりを元に関連する事柄を少しずつだが調べている。私の今日の歴史狂いの原因の一つは、先祖附の中にあった「佐々助三郎」の名前であった。「あの水戸黄門の・・・?」という訳だ。貞享二年六月の事、助三郎こと宗淳は熊本に入っているが、ご先祖様は各所を調査する宗淳について廻っている。又幕府の巡見使が都合九回熊本に入ったが、天和元年に奥田八郎衛門以下が来熊の際またまた案内役を務めた。実はこの二件について調べているが、一向に前進しない。宗純の熊本入りについては、水戸まで行けば何か見つかるのでろうが、暇がない。前に書いたような「本」にでもしようという野心はないのだが、全く興味を示さない子供達に、なんとかご先祖様の事跡を伝えようと思うが故である。この状態だと、相当長生きをしなければ成らない。
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