津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(63)

2022-12-01 08:44:09 | 家紋

                               一時不手際にて説明文が削除されておりました 。お詫び申し上げます。12:11再掲

                           

            新・肥後細川藩侍帳「し」の部

生源寺助之允は、樹下氏一族【青龍寺以来】(南東51-5)生源寺 市家の9代目・角平(助之允)。
     初代は田邊城に籠城した樹下大炊介である。家紋は「丸に山の字紋」「隅切り立角に左巴紋」 

庄村五郎右衛門は、【丹後以来】(南東51-9)庄(荘)村省三家の8代目・新平(五郎右衛門)か?、家紋は「四つ石紋」

重田九一郎は、御船頭 (南東58-22 船)重田九一郎家の6代目。家紋は「梅鉢紋」     

嶋永重蔵は、       不詳          家紋は「三つ菱紋」

            新・肥後細川藩侍帳「ひ」の部

平野九郎右衛門は、北條氏、相模二郎時行を遠祖とする(南東53-1)平野九郎太郎家、代々九郎右衛門の名乗りで人物の特定は出来ない。家紋は「三つ鱗紋」
平野七兵衛は、同上分家、(南東53-2)平野七角家の4代目、家紋は同上。
平野作大夫は、同上分家、(南東53-7)平野弥平家の6代目、作大夫(善左衛門)。家紋は同上。

平野太郎右衛門は、太郎左衛門の誤植か?、(南東53-13)平野 大家、代々太郎左衛門を名乗り人物の特定は出来ない。家紋は「陰隅切り立角紋」
平野軍次は、同上一族(南東53-25)平野嘉門家の4代目、家紋同上
平野太源太は、同上一族(南東53-20)平野甚九郎家の6代目、家紋同上
平野源吾は、同上一族(南東53-24)平野角蔵家の4代目、家紋同上
平野藤助は、同上一族(南東53-9)平野太郎四郎家の4代目。家紋は「三つ角紋」?  

平野十郎右衛門は、(南東53-19)平野膳内家の7代目・傳太郎(養子 十郎右衛門・十郎)。家紋は「蛇の目紋」  

尾藤多賀丞は、尾藤知宣の息を初代とする(南東53-3)尾藤閑吾家の7代目・波枝(多賀丞)。家紋は「違い鉞紋」「桔梗紋」 
      比着座、留守居番頭、番頭、佐敷番頭、留守居大頭を勤めた。

尾藤市左衛門は、同上分家、(南東53-4)尾藤九平家の8代目。家紋は同上。

尾藤九郎兵衛は、【丹後以来】(南東53-10)尾藤友雲家の7代目。家紋は「隅入り平角に六曜紋」  

平井貞之允は、(南東53-5)平井清九郎家の7代目で400石、何が理由か判らないがこの代に御家断絶10代目に至り再興し五人扶持、家紋は「丸に■文字紋」「五つ木瓜に桔梗紋」  
平井丹左衛門は、同族、(南東53-26)平井井平家と思われるが該当年代に名前が見えない。家紋は「丸に■文字紋」「竹輪に■紋」

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