津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

鍋奉行

2007-10-10 20:27:52 | 歴史
 いわゆる豊前小倉侍帳は、慶長九年から肥後入国前・慶長九年迄が記載されている。しみじみ眺めると面白い発見が有る。大阪銅物奉行とか、京都買物奉行、大阪米奉行、明屋敷奉行、そして鍋奉行などという者がある。惣銀奉行、人割奉行、馬具奉行、諸職人奉行、鉄炮薬合奉行、炭薪奉行、畳奉行、味噌奉行、買物奉行、杣奉行、人足奉行、御家奉行、鍛冶奉行等々である。鷹匠は25人、犬引き4人、餌さし11人、忍之者が7人もいた事が分かる。
 鉄炮鍛冶が一人、宮村出雲と記されているが、田邊城籠城衆の北村甚太郎である。細川孝之について香春城に入った折、孝之により宮村出雲と名乗りを替えた。150石御鉄炮二十挺頭である。孝之が牢人した際出雲も牢人、忠興から扶持を頂戴したが後鉄炮鍛冶を家業とすることになる。「宮村出雲覚書」を残したことは有名である。熊本にもお供し承応元年死去した。
 又、刀鍛冶2人、鑓鍛冶1人なども記されている。具足屋、蒔絵屋、漆工屋、紺屋、表具師、畳表打、釜屋、金具屋、引物屋、白銀屋、表具師そして炭焼きまでが侍帳に其の名を残している。

 涼しい季節になって「鍋奉行」などと聞くと、「どういうお役目?」と聞いてみたくも成る。
 
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