津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■庶民の暮らしと「銭」

2024-06-11 12:47:19 | 徒然

 随分以前■「旦夕覺書」--月・19をご紹介した。筆者である旦夕(堀内傳右衛門)が、延岡・内藤家への急用を頼まれて一日で着するようにと出発している。
延岡は私の奥方の里だが、今では道路が随分整備されて車で2時間もあれば行くことができる。
当時延岡は「縣(あがた)」藩と称しているが、城下まで120㌔ほどある。日之影あたりから舟で下る算段であろうが、日之影迄90㌔ほどある。
参勤並みの歩きにしても二日がかりの距離になる。

 大雨の中それも雷雨の中、稲光に照らされる中、伝右衛門は高森の岩上(神)御關所にたどり着き馬を借りている。
処があいにく「銀」しか持ち合わせず支払いに難儀している。
たまたま関所に知り合いが居り、銭と換金できたのか無事に用事を済ませている。

 東国は金勘定、西国は銀勘定というが、庶民は銭勘定で生活している。
鼠小僧が一両小判を恵んでくれたとしても、庶民は換金することもできない。これは映画・TVの世界の話である。
もし両替所に持ち込んだりすれば、小判の出所を追1及され下手をすると牢屋に引かれ、小判は取り上げられたろう。
江戸 庶民の生活費というサイトにある通り、一番高給取りの日当が大工で333文(銀5匁)これで家族が一日をくらすのである。
銀50匁=1両とすると、一日1/10両の稼ぎだから、年300日として30両、1両10万とすると年収300万円、これが日雇い町人の最高クラスの稼ぎである。
これとて日常の生活は「銭」の世界であることは間違いない。

 処で無事に用を済ませた傳右衛門は帰熊して報告をすますと、日程に疑義ありとしてお調べを受けたようだ。
縷々説明をしたのであろう、これが認められて、熊本~縣(延岡)城下までの日程が変更されたという。

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