津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「拾集物語」を読む (九)

2014-07-21 09:06:24 | 史料

                         一、同四きのへ辰の年
                           此年の三月太守様大津山にて鹿狩被仰付候 此年
                           の三月六日矢満下彦兵衛猪右衛門親子と立山之約
                           束證文取置候彼山は亡父御先代に彦兵衛内の山に
                           て候へ共たて候て見可申とて彦兵衛御山無之由申
                           候故たて被申候に大分の御山に仕立申候内にて御
                           當代にて當所へ安松茂右衛門と申御山奉行在宅之砌
                           大分之御塀柱被成御剪候て御為に成候由に候近年
                           迄ゆかみ椎之木多有之候を當所之人々薪に申請剪
                           候前々右之由緒候故右之通に拙者又々たて申候然
                           者當分はたて得不申あれ居候右之約束手形物入に
                           有之候 此年の四月大雨折々洪水 此年より切支
                           丹の影ふみはじまる郡奉行弓削太郎右衛門殿牧
                           八郎右衛門殿之御郡代之時浅井喜兵衛庭にてはじ
                           めてふむ 此年五月三日大雨大水 此年之秋山出
                           村大武大明神修建御惣庄屋豊内彌左衛門役職之時
                           此年田口天満宮今之宮地に遷宮 此年雨しげし
                           此年世上悪し 此年之九月よりほうきぼしいずる
                           ひかり西の方にさす後には又ひがしにさす 此年
                           本願寺より智運寺と申使者僧被為下候 此年六月當
                           所西福寺へも智運寺来寺 此年十一月七日より邊
                           田見村井手初而ほりはじむる 此年又豊後より切
                           支丹長崎へ通る 此年雲歩と申禪僧を豊後國當太
                           守様之御領内に被遣候正法邪法分明之為と世上に
                           令取沙汰御尤の御事と申候 此年より横田手永
                           改易にて木倉手永に當所もなる
                            

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■先祖附 岩間(小十郎)家 | トップ | ■「近世畸人伝」から僧 南谷  »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
渡辺玄察について (Sagawa)
2014-07-21 16:05:08
拾集物語(九)まで、すべてプリントさせて頂いております。有り難く思っております。
今、私は玄察の「拾集昔語」(一)を書き起こしています。書き起こすことによって、分かる部分が多々あることを知りました。下記の本です。
「肥後古記集覧廿八 大石真麻呂集、拾集昔語一」
大変勉強になってます。
益々のご活躍を祈念致します。
寺本直廉といい、渡辺玄察といい、何の因縁でしょうか。書いて頂き感謝致しております。
返信する
Unknown (津々堂)
2014-07-21 16:21:41
有難うございます。たんなる読書ではなかなか見に入らぬものですが、書き写すという作業は良く理解も出来、頭にも残るようです。タイピングは私にとってはボケ防止の為でもあります。
返信する

コメントを投稿