津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「丹後三家物語」11・細川越中守内室大阪屋敷にて自害之事

2021-08-27 11:41:12 | 史料

 奥州會津の城主、長尾喜平治景勝は 時に上杉會津中納言 太閤御他界以後、繼目の御禮延引せり。因茲家康公より
上洛可有由度々使札に及よいへ共、更に承引なかりけり。左あらば景勝退治とて、大軍を催し給ひ、家康
公六月十六日大阪を御進發の時、細川越中守忠興も家康公の御供なり。爰に石田治部少輔三成は、内々家
康公と不和なるが、常に隠謀有けるにや、時節來と悦て、家康と一戦を遂、勝負を可決とぞ勇ける。此
石田三成は江州彦根に於て、僅に十八萬石の所帯なれば家康公に對敵すべき人にはあらねども秀吉公の御
時より五奉行の第一にて諸大名の心入、天下の風味を呑とかや、一味の歴々多かりけり。先七月十九日に
家康公の御留主居佐野肥後守を追ひ拂、其外此度關東下向の諸大名大阪に殘し置妻子達を悉本丸へ取込け
る。爰に越中守忠興の内室をも、城中へ可入とて催促數度に及びけれども曾て承引なかりければ、城より
人數を二千ばかりつかはして、細川の屋敷を取巻ける。内室是を見給ひて只一筋にと思ひ切、十歳の男子
と八歳の女子有しを手づからこれを刺殺、其刀にて自害せり。女性の身のしわざにはたけしとも奇特とも
例しすくなき次第也。忠興留守に殘されし三人の家來は小笠原正齋、河北石見、稲留伊賀といふ者なり、
正齋石見はからひて屋敷に火をかけ兩人も腹切て焔の中へ飛び入ぬ。稲留伊賀はゆへありて大阪いまだ無
事の時より越中に有けるが、主人の妻子自害有て屋敷も灰燼となりければ稲留聞てあきれはてとてもいひ
わけ立かたしと行方しれずに成にける。

   ガラシャ夫人が二人の子供を手にかけたという話はここにも出てきている。いい加減な話に満ちた史料である。

 

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■有吉家文書解説‐「年中行事抜粋」(廿八)堅メ之式書抜

2021-08-27 06:50:00 | 有吉家文書

○堅メ之式書抜

一御條目相渡堅見届候間麻上下着罷出候様前日及達候事
 御條目を相渡し堅く見届けられ、麻裃を着け罷り出る様、前日達しになる事
    但兼而御条目相渡居候御役々ハ堅メ迄見届候
    但兼ねて御条目相渡し居り、御役々は堅め迄見届けること
一此堅メ之儀御殿又ハ政府之差別外ハ同席之同席ニ応候事
 此堅めのことは、御殿又は政府(奉行所)の差別外は、同席(家老)の同席に応じる事
一当日当人出答有之候ヘハ御奉行より文箱之蓋ニ諸書付入御用番江差出候左之通
 当日当人出答が有れば、御奉行より文箱の蓋に諸書付を入れ御用番(月版家老)へ差出すこと左の通り
    一繰出名附
    一誓詞   此三通所ニ鎰々有之
    一前書写
    一御條目
一夫より御目附を呼御用番より右繰出名附等三通相渡候ヘハ口之御間江参当人を口之間衝立外ニ繰付置誓詞板ニ乗硯江添
 此硯等者坊主より持出 御用番座着之向を通り衝立之迦ニ出置御目附猶詰間ニ罷出宜旨御用番江申達候事
 夫より御目附を呼び御用番より右の繰出名附等三通相渡せば、口の御間へ参り当人を口の間衝立の外に繰付置き誓詞板に乗硯添へる
 此硯等は坊主より持出し 御用番座着の向うを通り、衝立の迦に出置き、御目附猶詰間に罷り出宜しき旨御用番へ申達の事
一夫より御用番口之間江罷越西より一間を左江当南より一間を後ニシテ北向ニ座着此座着之間合御尊政府共同様 御條目相
 渡候節ハ文箱蓋
に入なから持参右横ニ差置候事 
 夫より御用番口之間へ罷越し、西より一間を左へ当南より一間を後にして北向に座着、此座着の間合御尊・政府共同様 御條目を渡す節は文箱蓋
 入なから持参、右横に差置く事
 

一御用番坐着之上御目附より当人を繰出候得ハ誓詞之前ニ罷出時宜有之候間一寸会尺いたし候夫より左之通及達候
 御用番坐着の上御目附より当人を繰出されれば、誓詞の前に罷り出お辞儀有れば一寸会釈いたし、夫より左の通り達に及ぶこと
    御條目を相渡候間、夫ニ而拝見之上堅メ之判元見届可申候
       但御条目不相渡節ハ勿論右之口上無之候
    御條目を渡し、夫にて拝見の上堅めの判元を見届けべく申すこと
       但御条目を渡さぬ節は勿論右の口上はないこと
一右之通申渡御條目相渡候間請取元之坐ニ帰拝見之上血判有之候得者御目附誓詞を板ニ載なから持参候間見届之段当人江
 申達左候得者御目附元之坐ニ直リ前書写を当人江相渡当人退去之上詰間江入候事
 右の通り申し渡し、御條目を渡し請取り元の坐に帰り拝見の上、血判があれば御目附誓詞を板に載せなから持参あるを見届け、当人へ申し達し、そ
 うあれば
御目附は元の坐に直リ、前書写を当人へ渡し当人退去の上詰間へ入る事
    但幾人ニても居続ニて手数同断
    但幾人にても居続にて手数は同断
一御用人并御近習一手は直ニ被召出有之由ニ付即日堅メ有之候其外ハ追而堅有之候尤御用之覚旧ニも可応事
 御用人并て御近習一手は直に召し出しが有る由に付、即日堅め有ること、其外は追って堅め有ること、尤御用の覚旧にも応ずべき事
    但御留守年ニても御用人ハ多即日ニ堅有之候尤翌日ニ成候儀も有之事
       天保三年二月五日御備頭澤村宮右衛門堅見届之節機密間より差出之口達書左之通
       御條目相渡之夫ニ而一ト通御拝見可有之直ニ堅之判見届可申候外ニ請場之書付等二通相渡候追而可有拝見
       候以上二月五日

    但御留守年(在府)にても御用人は多く、即日に堅め有ること、尤翌日に成ることも有る事
       天保三年二月五日御備頭澤村宮右衛門堅め見届の節、機密間より差出の口達書左の通
       御條目相渡し夫にて一と通り御拝見有て直に堅めの判を見届け申べきこと、外に請場の書付等に通、渡して追って拝見あるべきこと
       以上二月五日

一御日柄ニても堅不苦例文化五年四月十六日杉浦仁一郎・綾部四郎助御郡代当分被仰付候ニ付於御奉行所堅被仰付候節ニ
 而御奉行奥田権之允
より今日ハ御日柄之事ニ御座候得共先例不苦趣ニ付今日堅被仰付ニ申談候段前以御用番江口達有之
 筈之処無其儀失念之段申述
有之候事
 御日柄にても堅め苦しからぬ例、文化五年四月十六日杉浦仁一郎・綾部四郎助御郡代当分仰付られることに付、御奉行所に於いて堅め仰付られる節
 に
御奉行奥田権之允より、今日は御日柄の事に御座候得共、先例苦しからず趣に付今日堅め仰付られるに申談ずること、前以って御用番へ口達有る
 筈の処、其儀なく失念の段申述べ有る事

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