津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お浸しに・・・

2021-08-02 09:40:23 | 徒然

 今朝は一番に病院に行く予定にしていたが、すっかり忘れて朝食をとってしまった。
今日という日を予約していたわけではないが、今日は検査日で「朝食抜き」という指示があったのだ。

仕方がないから、明日に変更して早々に散歩に出た。

 今日は少しコースを変更して歩こうと思い、錦ヶ丘公園を目指すことにした。
歩いているとあるアパートの足元の植込み部分に「すべりひゆ」の大塊を二つ・三つ発見した。

 実は昨日の早朝番組所ジョージの「目がてん」をみていたら、食物になる野草を特集していた。
この番組は大好きで欠かさず見ているのだが、里山を開墾して「科学の森」をつくり実験農場として様々な成果を上げ、森や川の再生のヒントを与えている。
環境省が主催する【第8回グッドライフアワード】において、『実行委員会特別 環境アート&デザイン』を受賞したという実績がある。
日本テレビの「ダッシュ村」などと同様、傾向を同じくする企画である。

この番組の中で取り上げられたのが「すべりひゆ」「おおばこ」「ドクダミ」の三種である。
これらの植物は近世史の上に於いても、飢餓の時の食物としても知られている。
とくに「すべりひゆ」は、今でも地方の飲食店などで「お浸し」として見受けることが出来る。
この写真のようなものでも、きれいに洗い、そのまま茹でて4~5センチにざっくり切ってカツオブシをかけてお浸しにするのである。
戦後の食糧難の時代にも、「さつまいもの茎・葉」は食べたことがあるが、「すべりひゆ」は食べたことがない。
番組の司会者がいわく、食糧難の時に備え覚えておきましょうといつていたが、ずいぶん依然何かの番組で乾燥保存もよいと言っていたことを思い出す。
所ジョージもこれを食して「うまい」と声を上げていた。
今日発見したこの「すべりひゆ」、さすがに抜いて持ち帰る訳にも行かず、昨日の番組を思い出しながら40数分の汗だくの散歩となった。

    

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■解説・有吉家文書「年中行事抜粋」(十三)召出日之式

2021-08-02 07:22:19 | 先祖附

    (期日脱落)         同席中
               大御奉行     

               御奉行一人
   十日          御目附同
               学校御目附同
               御郡御目附

               同席中
               大御奉行
               御奉行一人
               御目附同
   廿日          助教 同
               御穿鑿頭同

                                                    同席中
               大御奉行
               御奉行一人
   晦日          御目附同
   小ノ月ハ廿九日   御勘定頭同
             御算用頭同
一、奉伺候ケ条前日見志らへ等之儀伺日々之通ニ候事
  伺い奉るケ条は前日見調べ等のことは伺日々の通である事
一、同席中五半時出仕之事
  同席(家老)中五つ半時出仕の事
一、例之通一同奉伺御機嫌之事
  例の通り一同御機嫌お伺いの事
一、御用人より案内有之歌仙之御間江一同座着猶御用人より案内有之御前江罷出候脱劒且罷出候諸事御着座後初召出之
       通、尤同御間へ御奉行以下茂相揃候事
  御用人より案内が有れば歌仙の御間へ一同座着し、猶御用人より案内有り御前へ脱劒して罷出ること、諸事御着座後初召出の通り、尤同御間へ
    御奉行以下も揃う事

      但伺もの持参伺日同断併召出日ニハ会議帳御下無之候、尤不時伺帳差上候節ハ不被為在御支度ハゝ今御印頂
      戴仕度旨前以御用人を以申上候事
      但伺物持参伺日同断併て召出し日には会議帳御下しないこと、尤も不時に伺帳を差上げる節は、御支度なければハ今御印を頂戴仕度き
         旨を前以つて御用人を以て申上ておく事

一、御前下り候節御奉行以下江不及会尺儀伺日之通候事
  御前を下る節は、御奉行以下へ会釈には及ばないことは伺日と同様の事
一、詰間江参被仰付之趣且伺相済候諸書付御奉行佐弐役受々江申聞候事
  詰間へ参り仰付らる趣、且伺相済み諸書付御奉行佐弐役受々へ申聞せる事
一、御奉行之伺物者御前より下り被仰出之趣御用番江申達品々より書付茂出候ヘハ御用番披見之上差通候事
  御奉行の伺物は御前より下り、仰出された趣を御用番へ申達し、品々より書付も出されれば御用番披見の上差通す事

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■一色軍記(9)

2021-08-02 06:47:46 | 先祖附

義清初名吉原左京大夫と號せし人也申出されけるは當家すでに運盡滅亡に及び銘々城を枕に打死せんと極ると雖更々無念のこ
とにあらず、先祖尊氏將軍職を賜りける建武三年より義昭公に至る迄十五代當家は八代年間は二百四十二
年御一族の列に加り當國の守護と迄なし下給ひしなれば一族不殘命を義昭公に奉り死を一所にすべき事な
り。今天下を平氏に奪れ信長が臣下となるべき道にあらず世に足利の殘徒などと穢らは敷名を呼ばるゝ事
の無念天下のいせひを以て長岡に申付たる一國平均五ヶ年が間國をひらかず明智長岡の両家に戰ひ勝事廿
三度に及べり。去に依て敵より和睦を乞ひ縁者と成て一國両輪に納る事また二ヶ年に及べり。足利家へ對
して忠臣も義心も此上なし是末代に至りて人も感る所也。籠城の諸將も死を我と同じうしていさぎよき打
死有べしと仰けるを聞て籠城の人々泪を流し誠に一色九代の大將なりとぞ申ける。斯て義清仰けるは先日
義俊暇乞の盃に新判官より傳りたる什代の鎧兜を我に送置たれば、敵をあざむく一つの計略に我一色五郎
義清と改名し相戰ん義俊死たりと思ひ定し長岡勢あんに相違の思ひをなすべし。又先日田邊の城内におい
て沼田石川が口論の趣を聞ば沼田も當家を見捨ざるおもむきに聞ゆる也、さあらば義俊が打死いつはりと
思はゝ沼田、有吉、松井等をはじめ降参の奴原に敵のうたがひかゝらん。其時は忠興兄弟も彼らと一手に
は向ふまじ此儀いかにと申されければ大江、杉山をはじめとし籠城の軍士共御尤の御事也と恐入つてうや
まひける。

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