津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■犬追物に関すること

2018-12-06 09:00:01 | 歴史

       0024862 写本 犬追物故伝書抜粋 写記不明 

 現在ヤフオクに 写本 犬追物故伝書抜粋(萃の間違い)という文書が出品されている。
ちょっと興味をひかれるが 25,000円が付値というから、とても手が出ない。
随分厚みのある大部のもののようで内容写真も提示されて、値段の価値はありそうに思える。
以下の文書からの抜粋であると説明されている。

      犬追物全書
八廻日記口伝
中原豊後守覚悟巻
高忠覚悟巻
犬追物馬の足
犬追物真鏡の記
犬追物明鏡の記
検見故実記
犬追物馬場打寄の記
犬追物の記
公方御犬記
御犬記
実澄聞書
古鏡の記
益鏡
山下完書
清芸公日記

犬追物の歴史は相当古い。これが廃れてしまったのは綱吉の「生類憐みの令」が大いに影響しているのではなかろうか。
薩摩の島津家や細川家・小笠原家などで伝えられ、細川家に於いては齊藤権之助(芝山)らが天明年間に再興したとされる。
熊本藩の支配機構には次のようにある。
 犬追物
 一、騎射稽古於大慈寺河原致度由天明三年十一月伺有之 翌年閏正月其通被仰付候事
 一、同五年二月ゟ椎田村ニて稽古有之候事
 一、同七年二月齊藤権之助騎射師役被仰付 御物頭列ニ相成候 同日江良又十郎右師役被仰付 
   権之助江差添指南仕候様被仰付候事
 一、寛政四年二月ゟ竹丸下ニて稽古有之候事
 一、同十年十二月ゟ当時之場所ニ相成候事
 一、諸事学校御目附請ニて無之 政府請ニて御座候事

資料をみると馬場に犬を放ってこれを騎馬から特殊な矢を放って競う競技らしいが、犬の数が半端ないもので驚かされる。
藩で犬を養っていたのだろうと思っていたが、そんな記録には今迄出会ったことが無かった。
過日「熊本藩町政史料」を読んでいたら、どうやら足りない分を町方からかき集めたことが伺える。
享和元年の記事として次のようにある。
     合七拾目也
   右ハ去ル十八日犬追物御見分有之候ニ付、御町中より犬弐拾疋差出候ニ付、
   右飼料幷牽人賃錢共ニ一疋に付三匁完被渡下、慥受取申候処如件
     享和元年三月
これは惣月行司が御勘定衆御銀支配役衆に宛てた書類なのだが、犬追物が実施されるにあたり20疋の街中の犬が借り集められてその礼金の受領書みたいで町方の協力ぶりが判る。
3匁とは銀勘定であろうが、当時は銀1匁=105文に引替たという記述が同史料にみえるから、1疋あたり315文であることが判る。
落語の「時そば」の話からすると蕎麦が一杯16文(400円?)だから、そば約20杯分としても8,000円、これが高いのか安いのか何とも判断しかねる。
時には犬が死ぬ事もあるというから、なんとも残酷な話ではある。

しかしこの文書、高いけれど気になって仕方がない。

コメント (3)
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■度支彙凾 寛政元より文化七迄 法令條論・十七(2)

2018-12-06 05:57:02 | 史料

 五四二
 天明八年四月公義御觸
一折銀・割銀・焼銀之儀、是迄上納銀包方之節常是ニて、
 少々之折割焼ニても相省キ、包方不致候得共、以來は錆
 銀は勿論六七分迄之折・割銀幷焼銀之極印一向ニ不分分
 は格別、一ヶ所ニても極印相分候分は、無構上納銀ニ改
 包か致旨此度被仰出候間、其段相心得、世上通用無差滞、
 武家・町家共取引可致候、勿論八分より之折・割銀幷焼
 銀は極印一向難見得候ハヽ、少々之焼ニても通用難成候
 間、右之分は京・大坂・江戸銀座、或は両替屋之内、銀
 座下買之者方え差出、定法之歩合引方を以直させ可申
 候
 右は先達てより追々相觸候通、近來銀双場引上、諸色高
 價ニ至り、萬民難澁之事ニ付、世上通用銀相増候得は一
 統之為ニ候間、丁銀吹方被仰付、尚又前書之趣相觸候儀
 ニ付、丁銀諸事之者は成丈ヶ遣拂致し持圍ひ致間敷儀、
 右之御趣意を不相辨、若通用可成分取遣差滞、又は歩合
 銀取候趣等有之おいてハ急度咎可申付候
 右之趣武家・在町・寺社領共不洩様、御領ハ御代官、私
 領ハ領主・地頭より可被相觸候
   三月

 五四三
 一無益ニ手間懸り候高直之菓子類、向後可致無用候、是
  迄拵來候共相止可申事
 一火事羽織・頭巾、結構之品可致無用、幷町方火事場ま
  とひ錫箔之外用間敷事
 一能衣装甚結構も相見候間、向後輕ク可致候、幷女之着
  類も大造之織物・縫物無用ニ可致事
 一はま弓・菖蒲・甲・はこ板之類、金銀かなもの幷箔用
  ひ申間敷事
 一雛幷もて遊ひ人形之類、八寸以上可為無用候、右以下
  之分は麁抹之金入とんす類之装束ハ不苦候事
 一雛道具、梨子地は勿論蒔繪ニ候とも紋所之外無用之事
 一櫛・こうかひ・髪さし等、金は決て不相成候、銀・鼈
  甲も大造ニ無之は不苦候、幷目立候か去り細工入組高
  直之品は賣買堅停止之事
 一きせる其外もて遊ひ同前之品、金銀遣申間敷候、幷蒔
  繪等結構ニ致間敷事
 右之條々急度可相守候、惣て奢たる品拵申間敷旨、元禄
 享保年中觸之趣、猶又此度改て右之通被仰出候、尤只今
 迄商人仕入候分は、當年限ニ賣買いたし、來戌年より書
 面之通賣買停止たるへく候、停止之品自今若あつらへ候
 者有之候ハヽ、奉行所え相伺可受差圖旨、町方えも相觸
 候條可被得其意候
   酉三月

 五四四
 寛政元年五月公義御觸
一都て道中往來いたし候者、宿々え對しかさつなる儀不致
 荷物貫目も彌改所におゐて相改候間、御定之通相守可申
 事
一百姓・町人賣荷之分、宮門跡方・堂上方其外重キ家柄之
 會符、手寄を以借受致往來族も有之趣相觸候、以來宿々
 え役人差出相改、若紛敷會符荷物は留置、奉行所ニおゐ
 て嚴敷可令吟味候條、紛敷會符決て相用申間敷候
一往來之旅人より、宿役人ハ勿論馬士人足幷旅籠屋等ニ對
 シ不法之儀有之ニおゐてハ、奉行所え訴出候筈候間、兼
 て其旨可存候
一川々渡越之儀、川會所え相懸り、川越人足相雇順々ニ越
 立可申筈候處、近來は川越共遠方迄出迎、旅人を欺過分
 之陳錢・酒手等えたり取、旅人も川會所へ懸候てハ、出
 水之時節又は夜越等危故人足不指出砌、川越共と直ニ相
 對を以渡越いたし候趣相聞候、依之以來は往來之旅人川
 會所へ相懸り人足相雇川越可致候、尤極り之陳錢之外酒
 手等ねたり候歟、又は此以後旅人と直相對いたし候ハヽ、
 御仕置被仰付候段嚴敷申渡候間、相雇候人足酒手等ねた
 り候とも聊も不差遣、川役人共之内へ其旨相達往來可致
 候
一宿々馬士人足等旅人へ對し、定賃錢之外酒手ねたり旅
 人難儀いたし候由相聞候、以來右定之者は嚴敷御仕置被
 仰付候間、其ものゝ名前次宿之役人ともえ申太刀候とも、
 又は御料ハ御代官役所、私領は領主・地頭役人へ申出候
 とも、道中奉行え訴出候とも可致候
一東海道筋宿々之内祝儀取と唱、江戸・京・大坂其外より
 持出候通し日雇人足より酒手ねたり取候由、通し日雇人
 足共若道中ニて病気等之節は、右祝儀取共世話いたし候
 故、常々酒手等遣置候儀も有之趣ニ相聞不筋之事ニ候、
 通し人足稼之もの共ハ若道中ニて病気等之節は、問屋役
 人え申聞候得は差支之儀無之候條、以來祝儀取抔と唱候
 所行不致様ニ急度申付候間、酒手等遣候儀致間敷候
一右通日雇人足共儀、宿々ニて品々不法・不足之儀も有之
 趣相聞不届ニ候、以來右躰之儀有之ニおゐてハ、當人ハ
 勿論受負候者まても可為曲事條、急度可相慎事
 右之通町在共、御領は御代官、私領は領主・地頭より不
 洩様可被相觸候
   三月

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