津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■キリシタン大名の高山右近「福者」に…法王承認

2016-01-23 21:25:21 | 新聞

読売新聞 2016年01月22日 23時22分の記事から

 昨年は没後400年にあたり、日本のカトリック関係者らが、殉教者として福者への認定を働きかけていた。バチカンは来年2月にも、高山右近の地元・大阪で、福者の敬称を与える「列福式」を行う予定だ。

 日本カトリック司教協議会で列聖推進委員長を務める大塚喜直・京都教区司教は「信念を貫いて生きることが難しい現代において、高山右近の生き方は勇気を与えてくれるものだ」と話し、列福を歓迎した。

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高山右近に付いては過去にもいろいろ書いたり取り上げたりしてきた。 

          ■高山右近列福・・・・?

          ■松寿庵先生・第154講

         ■まだ見ぬ故郷〈上〉〈下〉―高山右近の生涯 (新潮文庫)

 

次はガラシャ夫人なんて事は・・・無いでしょうね

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■八晝八夜で江戸へ

2016-01-23 07:28:17 | 歴史

 危篤に陥った齊樹の後継に付いて、齊茲の意をくんで奉行副役の杉浦仁一郎が一月十八日の朝熊本を発し、二十六日の朝上屋敷に到着している。
その前、江戸からの急報を熊本に伝えた中川唯之允は一日早く折り返し出発してこれも江戸へ急行した。仁一郎はこれを途中で追い抜き江戸についたが、後から到着した中川は大いに驚いたという。一橋家からの養子の話を断り、宇土細川家から齊護を迎えて次の藩主とした。ちなみに一橋家からの養子の話というのは、齊樹の奥方・紀が一橋家(治済)の出身であることによる。仁一郎の抜群の働きは大いに評価され、後奉行職へと上り詰めることに成る。 

       文政八年十二月中旬より少将様(齋樹)御疱瘡御煩、正月二日に至、御危篤の御容體に付、一橋様より、幕府より御養子進られ度段、
       御留守中川唯之允早打にて申来り、正月十五日熊本に着、直に二丸御殿に出、濱町様(齋茲)に言上致し、頂戴物等致し、十七日發
       足せり、此儀早御家中へ相聞へ、人氣忽動揺せり、政府には惣打寄にて、此儀遅々に及候ては大事なり、一刻も早く、濱町様思召奉
       伺べしと、山城殿(松井督之)・宇右衛門殿澤村・御勝手方御家老・九郎太郎殿郡大御目附・服部多門御奉行・杉浦仁一郎御奉行副役等、忠臣義
       膽の重役の諸衆議定致され、御用人津田三十郎を以て、人氣動揺の次第、御血脉筋、決して御絶し有之間敷段、身命を不顧申上ら
       れ候へば、御同意御聞入有之候に付、一刻も中川に追懸、懸止べしと申され候へとも、大事の御使、余上らんと申人一人も無之候處、
       杉浦仁一郎進出、某御墨付を給はりて、是より馳向可申と望出候、此仁一郎と申は、竹田菊池の騒動を始、八代宇土の御用に至る迄

       度々の大事を相勤、人々許し候侍にて、衆議是に一決し、則此使を申付られ候時年四十六時に十八日朝、中川に後るゝ事一晝夜、直
       に早駕に乗り、内裏(豊前大里)に至り、飛船に乗り込、直様數百両を出し、船板に張付、刀を把て船頭に膝詰懸、此小判悉取せ候間、
       皆々力を出すべし、然し懸命の使故、約束の日數を過ば、己等一々薙切て死んぞと申渡候に付、船頭共大に恐れ、死力を出して漕立
       未約束の日數に至らずして大阪に着し、中川を尋れば先刻澱舟に乗込と申、是天の與と乃平潟通を馳上り、此所にて中川に追越し、
       東海道を馳通り、箱根の関所に至しに、関所の番士、追々の早打に不審を立居、如何なる大事の超候や、仔細を承て通さんと云、時
       に一策を思案し、某は下役の者にて御返答出来兼申候、跡より中川と申者、留守居役を勤、専此事を取計居候、委敷此者へ御尋下さ
       るべしとて、事故なく馳脱て、同月二十六日朝龍の口に到着、八晝八夜詰合と談合し、一橋様に御断申上、當君公(齊護)を奉迎、二
       月十二日少将様御逝去、御跡式仰出され、御先祖様御以来の御血脉、御継統遊され候に付、上下一統始て安堵の思を為し候、然れ
       ば此度の大事を議定致され候重役の老人達、皆身命を投て、共に國家を守られ候忠義の優劣は無之候へとも、其功烈は仁一郎第一
       にて有之候
 池松筆記

ちょうど今の時期昼夜兼行で早駕にゆられて江戸へ向かう仁一郎の姿が目に浮かぶ。ご苦労様・・・・

 

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