津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

路上観察学会推薦・・?

2011-10-14 20:29:01 | 書籍・読書

  路上観察学会と称する珍妙なる一団(?)がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%AF%E4%B8%8A%E8%A6%B3%E5%AF%9F%E5%AD%A6%E4%BC%9A

  湯河原の細川護煕様の御屋敷内にある陶芸の作業場や茶室は、会員・藤森照信(東大教授)氏の設計によるものだが、施工にあたっては会員赤瀬川原平氏・南伸坊氏なども現れて、随分楽しく行われたことが知られている。
 
    不東庵工房

路上観察学会の行動自体も随分ユニークで私も会員になりたいほどだ。そんなお歴々が、奥の細道・中仙道で何を発見されるのか、興味まさに津々である。

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   奥の細道俳句でてくてく

内内容(「BOOK」データベースより)

赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫、そして友情出演・杉浦日向子―豪雨のみちのく路、吹雪の越後路、猛暑の加賀路を1年半の歳月をかけて膝栗毛。道中で採集した珍品奇景。詠んだ奇句怪句に、泉下の芭蕉翁も腹よじる?数千点から238点を厳選した新機軸のフォト句集。

内内容(「MARC」データベースより)

 

「奥の細道」刊行300年を記念して、路上観察学会5人衆が「徘徊は俳諧に通ず」を合言葉に「奥の細道」へ。道中の珍品奇景を詠んだ238点を掲載する新機軸のフォト句集。杉浦日向子との座談会も収録。       

 

 中仙道俳句でぶらぶら

 

内内容(「BOOK」データベースより)

徘徊力で俳諧す!中山道六十九次膝栗毛、珍品妙景に詠んだ奇句怪句。『奥の細道』につづく新機軸。路上俳句集好評第二弾。

内内容(「MARC」データベースより)

路上観察学会5人衆が「徘徊は俳諧に通ず」を合言葉に、こんどは中山道をたどった六十九次膝栗毛。珍品妙景に詠んだ奇句怪句を満載したフォト句集。2002年刊「奥の細道俳句でてくてく」につづく第2弾。随行日記も収録。

 

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iPhone 4S がやってきた

2011-10-14 10:05:33 | 徒然

 我が長男は半端ではないS・ジョブスの崇拝者である。彼が亡くなった時の落ち込みようは常軌を逸していた。噂にあったiPhone5の発売の話が4Sに替わると、いささか熱が冷めたかに見えたが、やはり思いは昂ぶり過日購入の手配をした。我が家から歩いて10分もかからぬところにソフトバンクの携帯取扱店がありそこでの手続きである。全国で一日100万を越える人が申し込んだというから、いつになることやらと思っていたら、なんと・・・・「10/14お昼過ぎにご来店くださいとTELが入った。」なんとあっけないことか・・・・・
銀座では大勢の人が(一番の人は三日前からだとか・・)列を作って並んで、人気の凄さが伺える。

 私はといえば携帯電話は、ただ電話の送受信のみである。iPhoneに興味が無いわけではないが、息子のお古をせしめてしばし訓練に及ぼうかと思案中である。

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侍の住まい

2011-10-14 08:58:58 | 歴史

                            


この図は細川藩士・久野氏の屋敷図である。久野孤松家のご子孫からご提供を請けたものだが、文政年の記述があることから、菊の栽培家として知られる久野菊翁(新之丞)200石の屋敷であろうと思われる。玄関脇の南向きの広い土地で菊の栽培が為されたのだろうか。
                   肥後菊  http://flower-k.at.webry.info/200711/article_48.html

東隣が山本氏、西隣が岐部氏の書入れがあり大変貴重な図面であるが、いまだ何処に在ったものか確認できていない。
8畳+6畳+6畳、4畳の台所に続きの土間、湯殿があり、馬小屋まである。新之丞は郡奉行を努めた人であり馬は大切なもので在ったのだろう。山本家との境をまたぐように井戸があり共用していたのであろうか。屋根のついた門構えが伺える。

 武家住宅については、熊本大学の北野隆名誉教授の論考、「江戸時代における熊本城下町の武士住宅について」がある。
http://ci.nii.ac.jp/els/110007599590.pdf?id=ART0009417427&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1318137193&cp=

 又、熊本県立大学の大岡敏昭教授は、その著「幕末下級武士の絵日記-その暮らしと住まいの風景を読む」の中で、「中下級武士の住まい」という項でいくつかの間取りを紹介して解説を加えている。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4782407033/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
そこには意外な侍の生活ぶりが伺える。

 又、「新熊本市史--別編第二巻」第三編--建築(p582~583)には、槙島真澂家・伊藤安熹家・志水元五家・澤村彌三郎家などの間取り図が紹介されている。

 これらの論考も又、侍の住まいを知る上で貴重なものである。

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