閏三月七日三成伏見ヲ立テ居城佐和山ニ蟄居ス 先是太閤在世ノ内ヨリ三成専横ノ擧動ノミニテ
諸将不快ノ事多シ中ニモ忠興・池田・両加藤・浅野・福嶋・黒田等ハ三成カ擧動終ニハ天下ノ亂ト
ナルヘシ依之日比ノ積悪内府へ訴へ誅スヘキトノ僉議アリ其外同意ノ輩多カリシケレハ三成既ニ
危カリシニ佐竹義宣カ計ラヒニテ三成伏見ニ逃上リ我屋敷ニ籠ル七名ノ人々ハ跡ヲ慕ヒ頓テ内府
ノ屋形ニ集リ三成カ罪科十一ヶ条ヲ書立テ明日三成ヲ召サレナハ忠興讀聞セ清正・嘉明ハ両手ヲ
トラへ刺殺スヘシト啇議シ七人共ニ明朝罷出へシトテ丑刻ニ退出セリ 其跡ニテ内府本多正信ニ
密談アリテ赦宥セラルゝニ極リ翌朝七人出仕セシ時内府諭シテ申サレケルハ昨夜啇議ノ趣熟考
スルニ兎角家康ハ我儘ナリト世上ニ物議アル由然ルニ太閤五奉行ノ一ニ抜擢セラレタル三成ヲ七
人ノ談合ニテ刺殺シテハ彌専横ニ歸スルヘシ三成カ命ハ我等乞受ント懇ニ申サレケレハ餘リ慈悲
スヘキ是非ナキ事トテ各退散ス 其後右七人ノ邸第へ三成一味ノ輩襲来ル由風説アリケレハ諸
将皆各邸ヲ守備シテ殊ノ外騒シカリケリ 此時分内府申サルゝハ三成世間ニ交リ各ヲシテ快カラ
サラシムレハ彼ヲ佐和山ニ屏居イタサスへシ 是ニテ各怒ヲ止目ラルへシト有ケレハ何レモ領掌
シ御為メアシク存シケル故色々相談ヲモシテ佐和山ニ引籠ラシム 夫ヨリ伏見大坂稍ク静ナル事
ヲ得テ内府伏見城ニ移居セラル 忠興暇ヲ乞テ丹後ニ下國ス
三成佐和山ニアリテ百方奸謀ヲ廻シ密ニ内府へ使ヲ遣ハシテ曰ク忠興佯テ味方フリセシカトモ皆
陰謀ノ調義ナリ其故ハ忠興カ大坂屋敷ノ造築シ人ヲ遣ハシテ探見レハ詰リ々々ニ銃眼ヲキリ野心
ノ企テ明白ナリ又加賀利長モ歸國ノ後武具ノ用意ノミ致シ居城ヲ堅固ニシ忠興ト牒シ合セ頓テ討
テ登ルヘキ催ナリト讒シケル 内府大ニ驚キ即チ丹羽五郎左衛門ニ越前ノ兵ヲ加ヘ木目峠ニ番所
ヲ建テ利長ヲ防キ忠興ノ抑ヘニハ丹波ノ兵ニ命シ内府モ加賀ヘ出陳セラルトノ催ナリ 其比忠興ハ
丹後ニ在幽齋及ヒ興元ハ大坂ニアリ松井康之ハ伏見ニアリ内府幽齋ヲ召テ誠トシカラストハ思ヘ
共忠興利長ト謀ヲ通シ異心アル由聞ヘタレハ疑イナキニシモアラス父子ノ間虚實ヲ審ニセラルヘシ
敢テ異圖ナクハ其趣誓詞ヲ認メラルヘシトアリケレハ忠興ニ於テ素ヨリ反心ナシ誓書ヲ献シテ他ナ
キヲ明スヘシト答フ 是ヨリ先キ榊原康政并金森・有馬両法院ハ兼テ忠興ト睦ク此事ニ付テ互ニ相
談シ榊原氏ヨリ興元・康之両人ヲ招キ内府ノ趣意ヲ懇ニ申諭シケルユヘ幽齋初メ三人乃チ連署ノ
誓詞ヲ進呈ス 内府疑ヒ晴レ幽齋出仕シケレハ別テ懇ニセラレ又忠興モ十一月丹後ヨリ出テゝ誓
詞ヲ呈シケレハ愈以喜悦セラレナリ
【慶長五年】
慶長五年庚子二月内府ノ命ニ忠興連々貧困ノ由承ル些少トイヘトモ豊後ノ福原直高但馬ノ出石ニ
易封ノ跡六萬石アリ之ヲ大坂ノ厨費ニ充テン受取人差下スヘシトナリ 忠興拝謝シテ松井康之・有
吉立行等ヲ以テ杵築ニ赴シメ有吉ヲ杵築ノ城代トシ松井ハ検地済テ丹後ヘ歸ルヘシト命ス 其後
忠興モ丹後發足杵築ニ赴有吉先導シテ領分ヲ巡見セリ
四月廿八日玄蕃・助右衛門ヨリノ報告杵築ヘ達ス 其趣ハ上杉景勝異志アルニ付秀頼ノ名代トシ
テ内府親ヲ兵ヲ帥テ發足シ大坂ヨリ先鋒ハ福嶋正則・加藤嘉明・忠興三人ニ相定ルトノ事ナリ 之
ニ依テ早速杵築を出舩シ大坂ニ至リ即刻登城ノ處先鋒ノ命アリ直ニ丹後ヘ歸國シテ出陳ノ用意シ
廿三日忠隆宮津ヲ發シ忠興ハ廿七日ニ發ス 朝妻ニテ忠隆待合セ七月十六日下野宇都宮到着
同所ヨリ二里程北ノ在所ニ至リ全軍那須野原ニ野陳ヲ設ケ諸勢ヲ待合スヘシトテ小屋カケ等ノ用
意シケル内大阪ノ第ヨリ飛脚到来シ関東下向以後石田カ黨蜂起シ内府ヲ敵ニナシ丹後ヘハ丹波
但馬ノ兵ヲ以テ押寄セ諸大名ノ内室は大坂城中へ人質ニ取入ルヘキ巧ミノ由ナレハ其段内室へ
言上ノ處決シテ登城ナサレマシキトノ事ニ付留守ノ儀ハ気遣ヒアル間敷トノ旨小笠原少齋ヨリ注進
ス
六月十六日内府ハ景勝退治トシテ大坂ヲ進發七月二日江城ニ入廿一日同所を發シ廿四日野州
小山ノ舊城ニ着此處ヲ本陳ト定メラル 其晩伏見城代鳥井彦右衛門ヨリノ飛脚参着翌廿五日諸将
ヲ本陳ニ集メラレ石田三成異謀ノ趣告来レリ此儀ハ景勝ト牒シ合セ置キケルト見ヘタリ然レハ其外
ノ大老奉行中モ大概一味タルヘシ各ハ大坂へ人質コレ有ル事故勝手次第馳上ラルへシトアリケレ
ハ福嶋正則進ミ出旗下ニ属スヘキ旨ヲ申ス 其外諸将何レモ見方仕ルヘキ旨言上ス 之ニ依テ諸
将ハ是ヨリ直ニ先駈尾州清須ニ軍ヲ次シ内府モ繼テ出軍上方ニ進發アルヘシト軍議相決セリ
廿六日忠興ハフキト云フ驛ニ一縮廿七日上蓑ニ着此時内室自害ノ事報知アリ 此事後條ニ詳ナリ 然處
小山ヨリ飛脚ノ趣ニ因リ加藤嘉明同道ニテ本陳へ歸リケレハ内府ノ命ニ最前は上方出馬ト申ケレ
共上方一統セシ上ハ先ツ江戸二在城シ今マテノ領分ヲ持固ムヘシ各大坂ノ人質ヲ敵方ヨリ害シテ
ハ末代マテノ恥辱ナリ急キ馳登り進退ヲ定メラルへシ是マテノ志忘レ難シト申サレケレハ忠興進ン
テ申スヨウ當陳ニ相従フ輩ハ常ニ懇意ノ面々ナレハ此期ニ臨ミ爭テカ心變リスへキ忠興カ妻ハ去
ル十七日大坂城内ニ取入ントセシユヘ自害ニ及ヘリ何ノ面目有テ上方ニ属スヘキヤ諸将残ラス上
坂ストモ忠興ハ何時モ先鋒ヲ勤へシト申ケレハ正則ヲ初メ人質ノ儀此方ヨリハ出サゝル事ニテ敵奪
取リナハ是非ナキ次第ナリ急キ上方へ發向アラハ先鋒シテ軍功ヲ顯ハスへシト有ケレトモ内府猶
モ同意ナキ躰ナレハ忠興重而左程ニ疑心有テハ大事成り難シトテ異心ナキ旨何レモ誓詞ヲ呈シケ
レハ内府喜悦アリテ此上ハ諸将追々ニ攻上ラルへシトテ井伊直政・本多忠勝ヲ先鋒ニ加ヘラレ内
府ト秀忠ハ先ツ江戸へ歸城アリテ直ニ出馬有ヘキトナリ

のぼうの城
著者:和田竜 著
出版社名:小学館
価格:1,575円(税込)
【本の内容】
時は乱世。天下統一を目指す秀吉の軍勢が唯一、落とせない城があった。武州・忍城。周囲を湖で囲まれ、「浮城」と呼ばれていた。城主・成田長親は、領民から「のぼう様」と呼ばれ、泰然としている男。智も仁も勇もないが、しかし、誰も及ばぬ「人気」があった-。
【著者情報】
和田 竜(ワダ リョウ)
1969年12月大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。2003年に本作と同内容の「忍ぶの城」で、脚本界の大きな新人賞である「第29回城戸賞」を受賞。小説は、『のぼうの城』がデビュー作となる
明日から新年度となる此の時期、メディアの改変期に伴い親しんできた番組や連載の記事がなくなり、淋しい思いにさせられる。熊本日日新聞に平成16年1月から連載されてきた、「言葉のゆりかご」が今日で完了した。毎回熊本に関係する一人の人物を取り上げ、解説がなされていたが、大変興味深く勉強させられた。筆者にはしょっちゅう熊本県立図書館でお目にかかった。以前も書いたが、「近代肥後異風者伝」も終り、筆者には肩の荷を下ろされたことだろう。連載は1535回に及んだというが、同様の作業を続ける私としては目標を失った思いがする。御礼を申上げたい。