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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

チャレンジ失敗

2010-03-05 23:43:48 | 徒然
             チャレンジは 凶とでにけり春しぐれ  津々

 68歳爺は無謀にもある事にチャレンジしました。今日はその合否の発表日、歳もとしですから覚悟はしていましたが、一寸悔しさが残りました。今お酒をいただいていますが、やけ酒では有りません、楽しく飲んでいます。わが道楽も頂点に達しての悪あがきでしたが、なんだか冥土の土産になった気分で楽しいのです。数十年前の一級建築士の受験以来のことですから・・ちょっと興奮しました。

           下手な句を披露したくなるのも一興という気分です・・

               
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さすが鴎外先生

2010-03-05 11:58:33 | 歴史
 忠利室保壽院は色々な処で御名を千代姫と紹介されている。
【細川忠利正室(千代姫)徳川秀忠養女、実は小笠原兵部大輔秀政女、慶長ニ年(1597)九月生まれ-慶安二年(1649)十一月廿四日江戸白金邸にて没。年五十三、保壽院三英紹春】

 これに疑義を挟んでいるのが他ならぬ綿考輯録の編者・小野武次郎である。保壽院の輿入以来の臣・岩間六兵衛の家記や、松井家の家記には「おせん様」とあり、武次郎はこれで首を傾げたらしい。千代姫という名は、後年公儀に「御系譜」を差し出す際に、千代姫の実家小笠原家と辻妻合わせをして登場した名前らしい。本当のところは「おせん様」で、「御系譜」差出の際(寛政五年-1793)千代姫様になった。亡くなられて140余年後の話である。

「私云、右御姫様御名御家譜等ニ而見当不申、色々吟味仕候処、岩間権之進小笠原殿より御附人岩間六兵衛子孫家記之内ニ御せん様と有之、又長岡筑後直之(松井家五代当主)所持之御系図と有之本ニも同様ニ御座候、然処御書所ニ而は千代姫様と有之様ニ聞候間、此方之証拠を以学校より問合候処、彼方ニても吟味詮議も有之たる由ニ而、御千様と有之方く、御記録も直り候との儀、安永庚子七月御祐筆頭松本幸之進より申来候、然処公儀より仰を被蒙、寛政五年癸丑御系譜被差出候事ハ御大名衆御一同之由ニ而、小倉小笠原殿御当代右近将監忠苗より御問合之ケ条数々御答ニ相成、且御名之事彼方之御達二万一相違なと有之候而ハいかゝとの事ニ而、此方様よりも御問合ニ成候処、千代姫様と御書出に成候段申来、元彼御家より被為御入候御方故、唯今是よりとやかく可有様無之との事ニ而、此方様よりも千代姫様と御書出ニ成候ニ付、御家譜も此節千代姫様と改申候」

 森鴎外の「阿部一族」を読むと、ここには「奥方は小笠原兵部大輔秀政の娘を将軍が養女にして妻せた人で、今年四十五歳になっている。名をお千の方と云う。」とある。鴎外先生は武次郎のこの記述に目を留められたのであろう。

 色々な著作に「千代姫」とあるが、「本当はちがうんだよな~」と独り言を云いながら読むことにしよう。そして鴎外先生に大拍手を捧げなければ成らない。

 
コメント (3)
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