津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

好物は・・焼き鳥

2009-08-03 17:19:40 | 徒然
 リチャードギア主演の「忠犬ハチ公」のリーメーク米国版「HACHI 約束の犬」を、愛子様がご両親殿下と御覧になった。あの話は「作り話」であったことはご存知だったろうか。すっかり渋谷のランドマークとさえなっているハチ公だから、いまさら何をとも思うが・・・日本エッセイスト・クラブ編のベストエッセイ集「’88年版」に、作家・林秀彦氏の「父がデッチあげたハチ公伝説」という一文がある。昭和五年のことだと言うが、罪なことをなさったものだ、話には尾ひれがついて「修身の教科書」にのり、ヘレンケラーはハチ公血縁の秋田犬を連れ帰ったという。主人公上野英三郎氏の飼い犬には間違いないようだが、渋谷に出かけるのは焼き鳥屋の残りものにありつかんが為だったらしい。
 実はウィキペヂアを覗いても、この真実には触れていない。遺骸を解剖したら、焼き鳥の串がでてきたとしているが、このあたりが真実だろう。

 リチャードギアが「HACHI」などと呼びかけて、秋田犬を抱きかかえているが・・・「好物は焼き鳥ですよ・・・・・・」
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細川家家臣・大木氏

2009-08-03 09:10:06 | 歴史
 かっての肥後国主加藤家家臣が、どのくらい細川家の家臣として召し出されたかを調べたことがある。綿考輯録によると、これも加藤家家臣だった日下部(志水)元五が尽力したと記している。私の調べたところでは95人ほどになったが、細川家の侍は950~1,000人位だとされるから約一割にあたる。加藤家十六将と称えられた森本儀大夫・庄林隼人佐・貴田孫兵衛や、飯田覚兵衛・小代下総守・出田宮内少輔・下津棒庵などの本人若しくは子息たちが再仕官した。その中に大木兼友の名前も見える。
兼友の父・兼能は、織田信長の兄・津田信広と一族十数名を討取り高名した。佐々成政の侍大将として肥後に入ったが、成政没落後加藤清正に仕えた。内室は清正の側室竹の丸の妹だとされる。清正に殉死し、清正廟(本妙寺浄池廟)を守るように兼能の碑が建てられている。

   加藤清正
      ∥
  +--竹の丸     有吉英貴---+---英安=====直常------------→ 有吉家
  |                   |
  +---●               +---たつ
      ∥                   ∥  
   大木兼能-----+---兼友--------兼憲---+---憲近===兼賢----→ 大木本家
             |                 |  
             +---●             +--直常有吉英貴養子
                 ∥-----→      |
   佐々成政===備前---平馬            +--兼賢兄兼近養子
                               |
                               +--幸周-----------→ 大木分家
         肥後佐々家(佐々友房等)
           水戸佐々家(佐々助三郎等)

 旧加藤家家臣の内での、一番の大身(兼近5,500石)となった。
           
          
コメント (4)
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