杵築史談会の久米会長から、浅井長政の二男万菊丸の紹介についてご了解を得たので、いよいよ当サイト「戦国武将の胤」に書き加えようと思う。万菊丸は生後間もなく、密かに福田寺に預けられた。このことは周知の事実であった。その後万菊丸は二人の家臣の手により、九州の杵築に落ち延びた。慶長五年、杵築は細川家の所領となる。万菊丸は覚右衛門直政と名乗り、細川家の庇護を受ける事となる。老年に至り病を得、細川家家臣・牧左馬允の知行地の杵築に身を引くことになる。細川公の肥後転封に伴い禄を返上して、慶安元年76歳で亡くなっている。その嫡流が肥後藩士となり、二男家は後の杵築藩(能見・松平家)家臣となって枝葉を広げている。数奇な運命に翻弄された三人の姉たちと、九州に安らぎの地を見つけた覚右衛門・直政(万菊丸)は相見えることは無かったのだろうか・・・
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