一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

清冽のひと

2016-09-17 09:14:54 | 読書


        詩人・茨木のり子さんのさいごはこうだった。

        2006年2月某日、かねがね可愛かがってもらって
        いた甥の宮崎治が何度か茨木宅に電話したが応答
        がない。はじめて疑念がかすめた。
        翌日は日曜日。同じく応答なし。

        悪い予感。車で東伏見へ向かった。
        鍵がかかり、呼び鈴にこたえる人は現れない。
        合鍵を預かったいたが、内側からロックされている。
        ただ、電燈の明かりが漏れている。在宅中?
        倒れているのか……? 悪い予感が走った。

        119番に電話をすると、救急車とパトカー、
        レスキュー隊がやってきた。
        隊員がハシゴで二階へのぼり、窓をこじ開けて家に
        入り込み、玄関のインナーロックを外す。

        治は玄関から二階へ駆け上がった。
        寝室に伯母(茨木のり子)はいた。
        普段着のまま掛け布団をかけてベッドに横たわっていた。
        あたかも寝入っているようであったが、すでに息絶えて
        いることが見てとれた。

        これが茨木のり子さんのさいごの状況である。
        さらに文面をなぞると……

        頭部に外傷があった。階段や居間のゴミ箱に血のついた
        ティッシュや郵便物が散乱していた。

        事件性?

        現場は一時緊張したが、遺体を大学病院で解剖した結果、
        死因は脳動脈瘤の破裂によるものであった。
        
        郵便受けから17日の朝刊は抜かれていたが、夕刊以降は
        そのまま残されていた。
        推測できるのは以下のことだった。

        --17日午後の時間帯。
        郵便物を手に階段を上って居間に戻ろうとした際、脳内
        に異変がおきた。痛みをこらえて出血をぬぐい、ベッド
        に横になった。その程度の手当てができる異変であった
        が、その後、脳内に第二次の異変がおきて息絶えた、と。

        茨木は我慢強い人であった。
        最初の異変のとき119番すればできるはずであったが、
        迷惑かけると思ったのか、しなかった。

        甥の宮崎治が驚いたのは、遺書が残されていて、死後の
        処理を託されていたことだった。

        遺体はすぐに荼毘(だび)に付すこと……通夜や葬式や
        偲(しの)ぶ会などは無用……詩碑その他も一切お断り
        するように……死後、日数を経て近しい人々に「別れの
        手紙」を差し上げてほしい……。


        息絶えたとされる2月17日から発見されのは3日後。
        これを一般には孤独死というのかもしれない。
 
        しかし、私は茨木のり子さんの死は自立死(そんな言葉
        があるのかどうか)、または立派な尊厳死のような気が
        する。
        見習いたい、見事なさいごの〆である。


        ※ 『清冽 詩人茨木のり子の肖像』
                 後藤正治著   中央公論社