詩人の茨木のり子さんが亡くなったのは
2006年2月17日である。享年79。
ご主人が亡くなってから31年間ひとり暮らし
だった。
「別れの手紙」は鉛筆書きで記されていた。
年月日は空欄にしたまま。三ヶ月前に用意されて
いたもののようである。
正式な遺言状として完成したのは一ヶ月前。
この世との別れの時期を察知していたかのように
茨木は万事、事を済ませていた。
府中市の葬儀場で密葬が行われた。集まったのは
甥の宮崎治夫妻、その子どもたち二人、地方から
やってきたのり子の夫の親戚、茨木のお手伝いを
していた女性の計、11名であった。
ひと月後、遺言通り、「別れの手紙」が郵送された。
(年月日は甥夫妻が記した)
以下はその「別れの挨拶」である。
「このたび 私 2006年2月17日
くも膜下出血にてこの世におさらばすることになり
ました。これは生前に書き置くものです。
私の意思で、葬儀、お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、一切
お送り下さいませんように。返礼の無礼を重ねる
だけと存知ますので。
「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い
出して下さればそれで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな
おつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸に
しまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊か
にして下さいましたことか……。
深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて
頂きます。
ありがとうございました」
いかにも茨木のり子さんらしい、簡素で思いやりに
満ちた言葉である。
人はいかに生きて、いかに死んでゆけばいいのか。
私は深く深く、考えさせられた。
※写真は茨木のり子さん愛用のコーヒーカップ
『茨木のり子の家』
平凡社