一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ふふふ、の一日

2016-03-05 17:18:25 | 雑記


   
      お雛さまを早く片付けないと婚期が遅れるという。
      だが、もう嫁(ゆ)く当てもない私はもうしばら
      く飾っておくことにした。

      旧暦のひな祭りは4月9日だそうだが、まさか4月
      までは置くつもりはない。
      3月いっぱいくらいは「雛の月」として許される
      のではないか。

      そんな私の「ふふふ、の一日」。

      先日も例の整体にいって「週刊新潮」を手にとって
      ぱらぱらとめくった。
      五木寛之のエッセイ「健康常識に逆らって」を読ん
      で笑いが止まらなくなった。

      一般に不道徳とかちょっとした非行は赤の他人から
      すると痛快でたまらないものだが、
      氏の常識もけた外れに可笑しいものである。
      
      それを氏の文章に添って紹介しよう。

      氏は一日に一食しか食べない。
      午後目をさまし、夕方まで雑事をこなす。
      FAXやら郵便物やら片付けないと、たちまち周囲は
      紙の山となる。
      夕方からは人にも会う。

      夕食はきちんと摂るが、いつしか夜食になっている。
      それからが本業で、深夜に書きはじめて気がついた
      ら朝になっていて、風呂に入って寝るのくりかえし。

      ある日の病院での会話。
      「昨日食べたものをあげてください」「う~む」
      「朝食から順に」「食べていない」
      「昼食は?」「寝ていたから食べない」
      「夕食は?」「夜食だけど覚えていない」

      どうやら認知症の検査だったらしいが、正直に答えた
      だけである。

      一日一食で不自由ではないし、痩せた感じもしない。
      頭は使うが、首から下は右手しか使わない。
      歩数も一万歩どころか、千歩も歩いていないだろう。

      決して健康とはいえないが、不健康ともいえない。
      齢80を過ぎたらどこかしらおかしくなるのは当然で、
      いくつかの不具合はある。
      下肢の慢性的な痛み、前立腺の肥大、そのほか自覚
      症状だけでも5つ6つはある。
      徹底して調べたら20くらいは病気が見つかるだろう。

      これでも出来るだけ病院のお世話にならぬよう、
      努力しているつもりだ。
      その努力は苦しみを耐え忍んでやっているわけでは
      ない。
      食べたいものを必死でこらえているわけでもない。
      
      結果的に一日一食になったが、
      もし食わずに生きられたらカスミを食って生きたいと
      思うほどだ。

      さらに氏の文章はこう続く。
  
      周囲をみると、健康情報に振りまわされて生きている
      人がいかに多いか。
      もはや趣味がこうじて、命より大事な健康、といった風
      情になっていて滑稽である。

      かくいう氏は、そのうち一日無食の仙人になるので
      は? と思うそうだ。

      私はもう、「むふふふ」が止まらない。
      思い出しては笑っているのである。
    

      


      

      
      


 
 

      

鶯よ!

2016-03-05 08:40:48 | 自然

      昔、『鳩よ』という雑誌があったが、今でもあるか
      どうか。
      あえて「鶯よ!」というタイトルにしてみた。

      このところの暖かさでそちこちで鶯が鳴きはじめた。
      この間までチッチッと藪鳴きしていたのに、
      この変わりようは何?! と思ってしまう。

      ほとんどが
      ホー、ケッキョ
      とまだブッキラボウというか、たどたどしいのに
      (私が初鳴きを聞いた)一番手は

      ♪ ホ、ホ、ホ~ホケキョウ

      と鐘三つ鳴らしたくなるような見事さ。

      鳴きはじめてたった2~3日しか経っていない、
      というのに。
      抑揚といい、声色(?)といい申し分のない
      見事さなのである。
      演歌ならコブシがまわっているような。

      すでに円熟の域に到達している鶯の鳴声を聞いて
      人生を思った。
      
      ほとんどがあえぎあえぎ暮らしている中で、
      若くて世に出て成功をおさめる人もいる。
      彼(彼女)らの人生がそれで終わってしまわ
      ないかと心配だ。
      なぜならトップに立てば必ず降りなければ
      ならないからだ。

      山登りにたとえれば登るより下る方が難しい
      とも云われる。
      一方、ほとんどの人は日々、上ることのみを
      考えて生きている。

      「生きるとは何か」
      この齢にして、ふと考えた。

      結論はでない。(この齢にしても)

      生を全うするために生きている、
      そんなことを考える。

      またまた聞こえた。
 
      ♪ ホ、ホ、ホ~ホケキョウ

      あの鶯は「生きるとは?」なんて考えない。
      まさに、いまをときめいて囀っているのだろう。

      ※ 近所の庭のしだれ梅