一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

雨後の竹の子

2020-05-12 08:01:51 | 雑記
        「雨後の竹の子」とは、
        雨が降った後、竹の子がニョキニョキ顔(頭?)を
        出すことをいうが、
        私はこれから明治初期の新聞の興亡を連想します。

        いま風にいえば、
        日本中がロックダウン(鎖国)していた江戸がほろび、
        新しく出来たのが明治維新でしたが、
        フタを開ければ、
        大久保利通(薩摩)や伊藤博文(長州)を主とする
        薩長(土肥)による藩閥政府でした。

        西洋に遅れをとった新政府は、
        「富国強兵」「殖産産業」「文明開化」などを
        スローガンとしていましたが、
        人々の暮らしは一向に良くなりませんでした。

        そこで板垣退助、中江兆民らが、
        「国民の政治参加」や「国会開設」「言論の自由」
        「地租(税金)の軽減」などを求めて
        立ち上がったのです。

        これが自由民権運動で、
        日本初の民主主義運動といえましょう。

        これには、地方の豪族や青年志士がこぞって
        参加しました。

        なかには私財をなげうって、
        井戸と塀だけを残す「井戸塀政治家」も
        少なくありませんでした。

        また新政府に不平不満をいだく輩(やから)が
        新聞を発行して、
        反政府運動を繰りひろげました。

        そうした新聞は藪の竹の子と同じように、
        起こっては消え、起こっては消えしました。

        西洋から入ってきた新聞ですが、
        江戸時代はご存じ「瓦版」で、
        庶民の多くは文盲でしたから、
        「読み売り」という商売も流行りました。

        明治になっての新聞は
        当初、政論中心の大新聞(インテリ向け)と
        社会記事や新聞小説の載った小新聞の2種類で、
        後者は大新聞の半額の値段でした。

        (一葉の恋人、半井桃水が歌塾の中島歌子に
         ゴロツキ呼ばわりされたのは新聞小説を
         連載していたからかもしれません)

        すったもんだがあって、
        やっと明治憲法が発布されたのは
        明治22年2月11日、
        現在は「建国記念日」となっていますね。
        (以前は紀元節)

        憲法が出来るまで維新から22年かかっているのです。

        さらに国会が開設されたのは翌・明治23年。

        しかも選挙権は、
        直接国税15円以上をおさめる成人男子で、
        きわめて少ない制限選挙です。

        女性が選挙権を得るのは、
        それから50数年後の、
        太平洋戦争敗戦(昭和20)です。

        ああ、時代が変わるには
        なんと年月を要することか。