5月2日は樋口一葉が生まれた日である。
(明治5年5月2日生誕)
わずか24歳で早世したから没後124年になる。
一葉は早くして父と長兄が亡くなったため、
10代半ばで戸主へ。
母と妹の生活をみなければならなくなった。
駄菓子屋や仕立物をしてわずかな賃金をもらい、
友人知人から借金もした。
生涯、口を糊することに苦しめられた一葉が、
後世になって「お札」の肖像画になるとは、
夢にも思わなかったであろう。
日々生活に追われる一葉だったが、
唯一の慰めが、小説の師・半井桃水との逢瀬だった。
一葉は小説で身を立てようとしていたのだ。
しかし、それも歌塾の中島歌子らに反対され、
なくなく恋心を封鎖。
(その頃、小説家や新聞屋はゴロツキと評判が
悪かった)
死の直前、
『たけくらべ』で鴎外に激賞されたにもかかわらず、
「どうせ、一時の人気なんて煙のように消えてゆくのよね」
とすっかりひがんでしまった一葉。
当時、
軍医で文壇の重鎮であった鴎外に認められることは、
望外の悦こびであったはずなのに、
素直にはとれなかったのだ。
(事実、一葉の葬式に「乗馬で見送りたい」という
鴎外の申し出を、樋口家は断っている。
わずか10数名の寂しい葬式だった)
一葉の代表作は
『たけくらべ』のほかに『にごりえ』『十三夜』
などたくさんあるが、
私は死後公刊された『一葉日記』を推奨したい。
それにはさいごまで
桃水を慕う恋心が切なくつづられ、
胸を衝かれる。
(明治5年5月2日生誕)
わずか24歳で早世したから没後124年になる。
一葉は早くして父と長兄が亡くなったため、
10代半ばで戸主へ。
母と妹の生活をみなければならなくなった。
駄菓子屋や仕立物をしてわずかな賃金をもらい、
友人知人から借金もした。
生涯、口を糊することに苦しめられた一葉が、
後世になって「お札」の肖像画になるとは、
夢にも思わなかったであろう。
日々生活に追われる一葉だったが、
唯一の慰めが、小説の師・半井桃水との逢瀬だった。
一葉は小説で身を立てようとしていたのだ。
しかし、それも歌塾の中島歌子らに反対され、
なくなく恋心を封鎖。
(その頃、小説家や新聞屋はゴロツキと評判が
悪かった)
死の直前、
『たけくらべ』で鴎外に激賞されたにもかかわらず、
「どうせ、一時の人気なんて煙のように消えてゆくのよね」
とすっかりひがんでしまった一葉。
当時、
軍医で文壇の重鎮であった鴎外に認められることは、
望外の悦こびであったはずなのに、
素直にはとれなかったのだ。
(事実、一葉の葬式に「乗馬で見送りたい」という
鴎外の申し出を、樋口家は断っている。
わずか10数名の寂しい葬式だった)
一葉の代表作は
『たけくらべ』のほかに『にごりえ』『十三夜』
などたくさんあるが、
私は死後公刊された『一葉日記』を推奨したい。
それにはさいごまで
桃水を慕う恋心が切なくつづられ、
胸を衝かれる。